第3話 お客様第一号
開店から一週間が経っても、客足は鈍かった。
無理もない。路地裏の古びた店構えに、店主は若き女性一人。一見さんには敷居が高すぎるのだ。
それでもソフィアは焦らなかった。マダムが残してくれた最高級の素材の手入れをしながら、静かにその時を待っていた。
そして、その日はやってきた。
帝都に冷たい雨が降る午後だった。
カラン、コロン……。
ドアベルの音が、どこか重苦しく響く。
濡れた軍靴の音がして、一人の長身の男が入ってきた。
漆黒の軍服に、金の刺繍。肩には大佐を示す階級章。
濡れた銀髪をかき上げたその美貌は、彫刻のように整っているが、凍てつくような無表情が他人を拒絶している。
帝国軍魔導師団長、ギルバート・フォン・ヴォルグ。
その過剰な魔力で敵味方問わず恐怖させることから、『破壊神』と渾名される男だ。
「……店主はいるか」
地を這うような低い声。
ソフィアはカウンターの奥から静かに現れ、一礼した。
「いらっしゃいませ。私が店主のソフィアです」
ギルバートの眉がわずかに動く。彼は店内を見回し、落胆の色を隠そうともせずに溜息をついた。
「いや……すまない。古い店構えを見て、ベテランの職人がいるかと思ったのだが。冷やかしだと思って忘れてくれ」
「杖をお探しですか?」
帰ろうとする背中に、ソフィアは静かに声をかけた。
ギルバートは立ち止まり、懐から「何か」を取り出してカウンターに置いた。
それは、黒く炭化した木片だった。かろうじて杖の形を留めているが、見るも無惨に内側から破裂している。
「……今月に入り三本目だ。軍の支給品も、貴族御用達の高級品も、俺が握ればこの有様だ」
自嘲気味に吐き捨てるギルバート。
だが、ソフィアは表情一つ変えず、その残骸を手に取った。
魔力ゼロの指先が、死んだ木片に残る「魔力の痕跡」を読み取る。
(……酷い。熱で焼けたんじゃない。魔力の奔流に耐えきれず、回路がズタズタに引き裂かれている)
彼の魔力は「炎」だ。それも、極めて純度が高く、密度の高い青白い炎。
一般的な杖は、木材にドリルで穴を開け、そこに触媒(魔石など)を埋め込むだけで作られる。
だが、それでは木材が本来持っている「年輪(魔導回路)」が切断されてしまう。
普通の魔術師ならそれでも通じるが、ギルバートのような規格外の魔力が流れ込めば、切断された回路で魔力が乱反射し、熱を持って暴発するのは必然だった。
「直すことはできませんが、作ることはできます。あなたが、負担なく魔法を使える、杖を」
ソフィアの断言に、ギルバートが怪訝な顔をする。
彼女はマダムの在庫棚へと歩み寄り、一本の木材を選び出した。
『炎龍樹』の枝。耐火性に優れるが、硬すぎて加工が難しく、敬遠される素材だ。
「少し、お時間をいただけますか」
「どれくらいかかる?」
「それは、杖次第ですので、なんとも」
ソフィアは作業台に木材を固定すると、愛用のノミを構えた。
空気が変わる。
ギルバートは何も言わず、ただその「気配」の変化に息を呑んだ。
トントントン、シュッ。
心地よいリズムと共に、硬い炎龍樹がバターのように削られていく。
だが、ソフィアが見ているのは表面ではない。
木材の内部に走る、無数の年輪――天然の魔導回路だ。
(彼の魔力は、直線的で鋭い。だから、回路も真っ直ぐに。でも、出口付近では拡散するように……)
彼女が行っているのは、単なる加工ではない。
「外科手術」だ。
木の繊維を一本たりとも傷つけず、薄皮一枚を剥ぐように回路を露出させる。
そして、芯材となる『
接着剤は使わない。木材自身の樹液と、微細な凹凸を噛み合わせることで、木と触媒を「一体化」させるのだ。
それは、途切れていた血管を繋ぎ合わせるような、神業だった。
切断された回路をつなぎ、滞っていた流れをスムーズにする。
魔力を持たない彼女だからこそ、他者の魔力の流れを誰よりもはっきり視認できる。
それゆえに、完全なる魔力回路の構築が可能となるのだ。
「…………」
ギルバートは、黙ってその作業に見入っていた。一言も言葉を発さず、ただ……じっと、【魔法杖職人の美技】に見蕩れていた。
「――できました」
顔を上げると、ギルバートは、なぜだか眠そうにしていた。
「すみません、どれくらい時間経ってますでしょうか?」
「ん、ああ、大して経ってないな」
ソフィアは気になって、壁掛け時計を見やる。
たしかに、数時間くらいしか、針は進んでいなかった。
そう、針は、であるが。
(良かった、思ったより早く作り上げられたみたい。没頭すると、気づいたら一日経ってたこともあるし……)
ソフィアが差し出したのは、飾り気のない、しかし滑らかな曲線を描く一本の杖だった。
表面は丁寧に磨き上げられ、温かな艶を放っている。
「どうぞ。……恐れずに、魔力を流してみてください」
ギルバートは恐る恐る杖を握った。
その瞬間。
カッ!
彼の手の中で、杖が赤く脈打った。
「っ!?」
ギルバートは反射的に手を離そうとした。いつものように、熱暴走して爆発すると思ったのだ。
だが、熱くない。
杖は彼の膨大な魔力を、まるで乾いた砂が水を吸うように、ごく自然に飲み込んでいく。
抵抗がない。詰まりがない。
魔力が、指先から杖の先端まで、一本の清流となって駆け抜けていく感覚。
「……なんだ、これは」
彼は店の裏口を開け、雨の降る路地裏に向けて、軽く杖を振った。
本気ではない。ほんの挨拶程度の魔力だ。
ゴオオオオオオッ!!
刹那、青白い炎の柱が、雨雲を切り裂いて天へと昇った。
周囲の雨が一瞬で蒸発し、白い霧が立ち込める。
とてつもない威力。だが、杖は微動だにせず、ただ嬉しそうに微かな余熱を帯びているだけだ。
「嘘だろ……。俺は今、魔力を抑えなかった。なのに、杖がきしむ音さえしなかった……」
「あなたの魔力は素晴らしいものです。ただ、通り道が狭すぎただけ。この杖なら、あなたの『全開』にも耐えられます」
ソフィアが淡々と言うと、ギルバートはゆっくりと振り返った。
その氷のような瞳に、初めて熱い感情の灯がともる。
彼は大股でソフィアに歩み寄ると、その手を取った。不器用な、しかし万感の想いを込めて。
「……ソフィア・クラフト。礼を言う。貴女は、俺の救世主だ」
その日、帝国の「破壊神」が、自分の
そしてそれは、無名の杖職人ソフィアの名が、帝国の歴史に刻まれる始まりでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます