第4話 帝都での初仕事を終えた朝
それは、遠い、遠い日の記憶。
彼女がまだ、「ソフィア・クラフト」になる前の夢だ。
前世のソフィアは、ベッドの上だけの住人だった。
生まれつき体が弱く、二十代になる頃には、指先一つ動かすのにも苦労するようになっていた。
白い天井。消毒液のツンとする匂い。静寂と孤独。それが、彼女の世界の全て。
そんな灰色の日常の中で、唯一の彩りが「映画」だった。
小さなタブレットの中で、少年や少女たちが杖を振り、空を飛び、不思議な生き物と冒険をするファンタジー映画。
彼女は、擦り切れるほど、何度も何度も繰り返しそれを見た。
(いいなぁ。わたしも、あんなふうに空を飛べたら)
健康な体で、風を感じて、誰かの役に立つ冒険がしたい。
けれど、現実は残酷だ。両親の背中が年々小さくなっていくのを、彼女はただ見ていることしかできなかった。
ごめんなさい。迷惑ばかりかけて、ごめんなさい。
そう謝り続けて、ソフィアは短い生涯を終えた。
だから、目覚めてこの世界――剣と魔法が存在する異世界にいると知った時、神様に感謝した。
奇跡が起きたのだと思った。自分が望み、恋い焦がれた魔法の世界。ここでなら、自分も自由に生きられる。そう信じていた。
けれど、現実は無情だった。
「……魔力、ゼロ。判定不能です」
五歳の時、神殿で告げられた宣告。
この世界では、誰もが当たり前のように魔法を使う。なのに、ソフィアだけが「ゼロ」。
前世と同じだ。また、自分は「欠陥品」として生きていくしかないのか。
追い打ちをかけるように、帰りの馬車が魔物に襲われ、両親が帰らぬ人となった。
一人残されたソフィアを引き取ってくれたのが、祖父のヴィル・クラフトだった。
辺境の村外れにある、小さな工房。
そこには、魔法のような道具が溢れていた。触れただけで丸太がバターのように切れる斧。一振りで畑を耕せる
「……すごい」
幼い彼女は、目を輝かせてその光景に見入った。
魔法は使えない。でも、これなら。この「物作り」なら、魔力のない自分にも、できるかもしれない。
もう、誰かのお荷物になるのは嫌だった。自分も、何かを生み出せる人間になりたかった。
「おじいちゃん。わたしにも、作れるかな? おじいちゃんみたいな職人さんに、なれるかな?」
恐る恐る、祈るように問いかけた。
魔力のない役立たずには無理だ。そう言われる覚悟はしていた。けれど。
「ああ、なれるとも」
祖父は、ゴツゴツとした大きな掌で、ソフィアの頭を優しく撫でてくれた。
温かかった。節くれだった指先の、やすりのような感触が、たまらなく愛おしかった。
「ソフィア。お前は、最高の職人になれる。特に……『杖職人』としての才能は、わし以上だ」
「え……? でも、わたし、魔力がないよ?」
「だからだよ、ソフィア」
祖父は作業台に置かれた木材――雷鳴樹の枝を手に取り、幼い彼女に見せた。
「魔力のある人間は、自分の体の中に『音』が溢れている。自分の魔力が邪魔をして、素材が発している微かな『声』が聞こえないんだ」
「素材の……声?」
「ああ。どんな物にも心がある。魔力がないお前の中は、静寂だ。空っぽだ。だからこそ……世界中の誰よりも鮮明に、素材の声を聞くことができる」
祖父の言葉が、染み渡っていく。
空っぽなのは、悪いことじゃない。欠けているからこそ、受け入れられるものがある。
それは、ただの慰めではない、確かな論理だった。
「お前は、この木の声が聞こえるだろう?」
「……うん。ビリビリしてて、ちょっと怒ってるみたい」
「そうか。なら、その怒りを鎮めてやるのが、職人の仕事だ」
その時、ソフィアは初めて、嬉し涙を流した。
生きていていいのだと。この手で、何かを為せるのだと、教えてもらったから。
◇
チュン、チュン。
窓の外から聞こえる小鳥のさえずりで、ソフィアは目を覚ました。
「……ん」
懐かしい夢を見ていた気がする。
ソフィアは眠い目をこすり、あくびを噛み殺した。
体が、温かい。見れば、自分の体には上質な軍服のコートが掛けられている。
使い込まれた革と、微かな残り香。男性特有の、落ち着く香りだ。それは、昨晩の客人のものだとすぐに分かった。
(えっ……いつの間に寝て……)
ソフィアはバッと体を起こし、慌てて店内を見回す。
すると、店の入り口にある硬い椅子に、腕を組んで座っている男の姿があった。
ギルバートだ。彼は入り口を背にして、まるで番犬のように外を睨み……いや、船を漕いでいた。
端正な顔立ちが、カクンカクンと揺れている。
(嘘……私、お客様の前で居眠りを!?)
とんでもない失礼をしでかしてしまったことに気づき、ソフィアの顔から血の気が引く。
彼女は椅子から飛び退くようにして立ち上がった。
「――っ、お客様!?」
ソフィアの声に、ギルバートがピクリと肩を震わせ、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
その紫色の瞳は、少し充血していた。
「……あ、いや。……すまない、起こしてしまったか」
ギルバートは、バツが悪そうに視線を逸らし、立ち上がった。
そして、居住まいを正すと、ソフィアに向かって深々と頭を下げた。
「まずは、非礼を詫びさせてほしい」
「え?」
(……なんで、頭を下げるの……? 商談の最中に眠った無礼者は私の方なのに……?)
ソフィアはきょとんと首をかしげる。
「いかなる事情があったとはいえ、未婚の女性が一人で住む家に、男が土足で上がり込み、一晩を明かすなど……あってはならないことだ。君の名誉を傷つけるような真似をして、本当に申し訳ない」
あまりに真剣な謝罪に、ソフィアは目を丸くした。
商談中に寝たことを、てっきり叱られるのかと思っていた。
現に、自分の元婚約者のデリックは、そうだった。徹夜明けで疲れて、うつらうつらしてしまった時、彼は「だらしない!」「やる気がないのか!」と、ソフィアを声高に叱責したのだ。
「い、いいえ! 私が勝手に寝てしまったのが悪いですし……それに、事情とは?」
「……店の鍵の場所がわからなかった」
「え?」
「不用心に眠る君を、置いて帰るわけにはいかなかった。泥棒に入られたら目覚めが悪い」
「……は?」
ソフィアは呆気にとられた。
これほど優秀な魔法使いが、ただ「鍵の場所がわからない」という理由だけで、硬い椅子で一晩中、見張りをしていたというのか。
(……不器用で、律儀な人)
呆れると同時に、ソフィアの胸の奥が少しだけ温かくなった。
ギルバートは顔を上げると、改めてソフィアを真っ直ぐに見つめた。
その眼差しには、昨日までの冷ややかな値踏みする色はなく、熟練の職人に対する、真摯な敬意が宿っていた。
「ソフィア・クラフト殿。……改めて礼を言わせてくれ。昨夜は、素晴らしい仕事を見せてもらった」
一瞬、ソフィアは彼の言葉を理解できなかった。
やがて、仕事を褒められたのだと、遅まきながら気づく。
(……おじいちゃん以外の男の人から、初めて……仕事を褒められた)
知り合いの女商人や、帝都で出会った前店主のマダム。同性から褒められることはあったが、男性から真正面から技術を認められたのは、ヴィルを除けばこれが初めてのことだった。
戸惑い、しかしやがて、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
頑張って作ったものを、そして、物作りの情熱を、評価してもらえた。
それが、本当に嬉しかった。
「ありがとうございます。気に入っていただけたなら、職人冥利に尽きます」
「…………」
なぜだか、ギルバートが固まってしまった。
目を少し見開き、こちらを凝視している。
「あ、あの……?」
「あ、その……すまない。あまりに綺麗で……つい……」
(綺麗……? 綺麗な物なんてある……。ああ、新品の、彼の杖のことか。ふふ……綺麗な杖だって。良かったね、おまえ)
ソフィアは、ピカピカに磨き上げられた杖に視線を落とし、母親のような慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
良い人とともに、杖としての生を歩める。産声を上げたばかりの子に、心の中で「大事にしてもらうんだよ」と語りかける。
その横顔を見て、ギルバートがさらに顔を赤くしていることには気づかずに。
「これほどの杖は、帝国の宮廷魔導師でも作れまい。……俺は君を侮っていたようだ。許してくれ」
深々と頭を下げるギルバート。
ソフィアは、彼が「破壊神」と呼ばれ恐れられていることなど知る由もない。ただ、「魔力がすごい人」に自分の仕事を認められたことが、純粋に嬉しかった。
祖父の言った通りだ。自分にも、誰かの役に立つものが作れたのだ。
「顔を上げてください。私はただ、素材の声を聞いて、あるべき形にしただけですから」
「……そうか。だが、俺の気は済まない」
ギルバートは、カウンターに置かれた「新しい杖」を愛おしそうに手に取った。
その手つきは、割れ物に触れるかのように慎重だった。
「これは俺の生涯の相棒だ。……代金を、支払わせてほしい……いかほどだろうか?」
ソフィアはパチクリと目を瞬かせた。
(代金……あ、そうだった。ここは杖屋。杖を売る店。私……今日からこういった、お金のやり取りも自分でやらないといけないんだった)
今までは、杖作りに没頭していたが、これからはそうはいかない。
だが、言うまでもなく、職人一筋だったソフィアに、商売の知識など備わっていなかった。
適正な価格なんてわかるはずもない。
少し考え、ソフィアはおずおずと口を開いた。
彼の魔力量や身なりからして、お金には困っていないだろう。
だが、ここは正直に、かかった経費と手間賃を請求するべきだ。
「えっと、ぎ、銀貨5枚……で、いかがでしょうか?」
金貨一枚が一万円相当とするなら、銀貨は千円。
つまり、ソフィアは――国家予算クラスの国宝級の杖を、たったの五千円でどうでしょう、と言ったのだ。
ソフィアが上目遣いで不安そうに見上げると。
「…………は?」
今度は、ギルバートが呆気にとられる番だった。
彼は怒るでもなく、ただ信じられないものを見る目でソフィアを見つめるのだった。
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