第2話 杖屋で腕試し
帝都への旅路は順調だった。
マリアの馬車に揺られること三日。石造りの巨大な城壁が見えてくると、ソフィアの胸は期待と不安で少しだけ高鳴った。
紹介された場所は、帝都のメインストリートから一本外れた、職人街のさらに奥まった路地裏だった。
古びたレンガ造りの建物。
看板には、塗装の剥げかけたフクロウの絵と『銀のフクロウ亭』の文字。
一見すると寂れた骨董屋のようだが、ソフィアの目には違って見えた。
扉の隙間から漏れ出す、濃密で静謐な魔力の気配。ここは、間違いなく「本物」の店だ。
「……ごめんください」
カラン、コロン。
ドアベルが乾いた音を立てる。
薄暗い店内には、所狭しと杖や素材が並べられていた。
埃をかぶっているものもあるが、管理状態は完璧だ。湿度も温度も、木材が最も呼吸しやすい環境に保たれている。
「客なら他を当たりな。うちはもう店じまいだ」
カウンターの奥から、しゃがれた声が響いた。
現れたのは、杖をついた小柄な老婆だった。腰は曲がり、身長はソフィアの胸ほどしかない。だが、その瞳だけは猛禽類のように鋭く、射抜くような光を宿している。
彼女こそが、この店の主、マダム・グランだ。
「お客様ではありません。私はソフィア・クラフト。マリアさんの紹介で参りました」
「クラフト……待て。ひょっとして、『ヴィル・クラフトの孫』かい?」
「え? はい。ヴィルは私の祖父ですが……ご存じなのですか?」
マダム・グランは、値踏みするようにソフィアを頭から爪先までジロジロと見た。
そして、ふんと鼻を鳴らす。
「手を見せな」
挨拶もそこそこに飛んできた命令。ソフィアは黙って両手を差し出した。
マダムは、その手をじっと見つめる。
白く細い指。だが、指先には無数の細かな傷があり、親指と人差指の付け根には、ノミを握り続けた者特有の硬いタコができている。
そして何より、爪の間には、安物の香油ではなく、高級な木材保護オイルの匂いが染み付いていた。
「……ふん。口先だけの小娘じゃなさそうだね。いい『職人の手』だ」
「恐縮です」
「だが、手先が器用なだけじゃ、この店は継げないよ。ここは帝都だ。客の要望を見抜き、最適な一本をあてがう『眼』がなくちゃあ生き残れない」
マダムは壁一面に飾られた杖の棚を指した。
そこには、優に五十本を超える杖が並んでいる。どれも最高級の素材を使い、意匠を凝らした逸品ばかりだ。
「あたしはこの店を畳んで、隠居するつもりだ。最後の余生、相棒にする杖をこの中から一本だけ持って行きたい。……あんたが選びな」
「私が、マダムの杖を……ですか?」
「ああ。あたしに一番ふさわしい杖をここから選べ。もし納得いくものを選べたら、この店も在庫も、全部くれてやる」
それは、職人としての究極の「目利き」の試験だった。
普通なら、老婆の体格に合わせて、扱いやすい短めの杖や、軽量化された杖を選ぶだろう。あるいは、魔力増幅率の高い高価な杖か。
だが、ソフィアは動かなかった。
ただ静かに目を閉じ、マダム・グランという人間に流れる「魔力」を感じ取る。
(……すごい)
ソフィアの脳裏に、映像が浮かぶ。
小柄な老婆の体の内側には、まるで深海のような、静かで、しかし底知れない質量の魔力が渦巻いていた。
激流ではない。重く、ゆったりとした、巨大な潮流。
この魔力を、細く繊細な杖に流せばどうなるか。
杖内部の魔力回路が狭すぎて、魔力が詰まり、杖自体が悲鳴を上げて弾け飛んでしまうだろう。
ソフィアは目を開けると、煌びやかな棚には目もくれず、店の隅へと歩き出した。
そこには、売り物ですらない、傘立て代わりの壺に無造作に突っ込まれた、一本の太くたくましい杖があった。
長さは二メートル近く、太さも大人の腕ほどある。ゴツゴツとした樹皮が残ったままで、およそ杖とは思えない無骨な代物だ。
「……これです」
ソフィアは、その巨大な杖を両手で抱えるようにして持ち上げ、カウンターに置いた。
マダムの眉がピクリと動く。
「あんた、バカにしてるのかい? あたしのような年寄りに、そんな丸太を振り回せって?」
「いいえ。振り回す必要はありません。この杖は、ただそこに在るだけでいいのです」
ソフィアは愛おしそうに、杖の表面を撫でた。
「この木材は『エイネン樹』ですね。この木の年輪……つまり『天然の魔力回路』は、非常に太く、緩やかに蛇行しています」
「……ほう?」
「今のマダムの魔力は、激しい川ではなく、満ち引きする海そのものです。しかし魔力量は多い。細かく整えられた人工的な回路では、あなたの魔力を受け止めきれず、熱を持ってしまう。
ですが、この太く長い年輪……魔力回路なら……あなたの魔力をあるがままに受け入れ、スムーズに魔法を使えるでしょう」
ソフィアには見えていた。
「この無骨な杖の中で、木材の回路と、核となる触媒――おそらく『地竜の心筋』――ですね、無理につなぎ合わされることなく、自然に溶け合っております。地属性の魔力を持つ、マダムにぴったりの、見事な一品です」
一通りの説明を聞き終えたマダム・グランは、しばらく沈黙した。
やがて、その口元がニヤリと歪む。
「杖を割ってもないのに、芯材を言い当てるとはね」
マダムはソフィアの手から、その巨大な杖を受け取った。
小柄な彼女が持つと、まるで大樹に寄り添っているように見える。
彼女が軽く魔力を込めると、杖は低く唸るような音を立て、先端から柔らかな光が溢れ出した。それは、老婆を優しく守るような光だった。
「杖が喜んでます。貴女を選んで良かったって」
「よく分かってるじゃないか。そう、人が杖を選ぶんじゃない。杖が人を選ぶのさ」
「マダム……」
「合格だ。ソフィア・クラフト。この店は、今日からあんたのものだよ」
マダムは鍵束を放り投げた。
ソフィアが慌てて受け取ると、マダムは満足げに笑った。
「好きに使いな。ただし……いいかい、ここは帝都だ。あんたのその『眼』を必要とする、とんでもない化け物が迷い込んでくるかもしれないよ」
「化け物、ですか?」
「ああ。自分の力を持て余し、道具を壊し続けて泣いているような、寂しい化け物がね」
それが誰のことを指していたのか。
ソフィアがその意味を知るのは、店を開いてすぐのことだった。
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