辺境の【魔法杖職人】が、自分の作る杖は世界最高だと気付くまで
茨木野
第1話 ソフィア、婚約破棄される
シュッ、シュッ、シュッ。
静かな工房に、
薄く削り出された木くずが、宙を舞い、木の香ばしい匂いが立ち込める。
ソフィア・クラフト。年齢は十九。
艶やかな黒髪を無造作に束ね、その瞳もまた、深い夜のような黒色をしていた。
派手さはない。
だが、その佇まいは、長い年月をかけて磨かれた職人の道具のように、静かで芯の通った美しさを帯びている。
彼女は作業台に向かい、一心不乱に手を動かしていた。
その手にあるのは、樹齢三百年を超える「雷鳴樹」の枝だ。
普通の職人が扱えば、内包された雷の魔力によって触れた瞬間に黒焦げになる危険な素材。
だが、ソフィアの指先は、まるで赤子を撫でるように優しい。
雷鳴樹も、ソフィアに反抗することはなく、ただ黙って、されるがままになっている。
ソフィアには「魔力」がない。
生まれつき、体内の魔力保有量が完全なゼロなのだ。
この世界において、魔力を持たない人間は稀有であり、時に「欠陥品」とさえ呼ばれる。
だが、自身の魔力というノイズがない分、素材が発する微かな「声」や、魔力の「流れ」が、指先を通じて鮮明な映像として脳内に浮かび上がってくるのだ。
魔力を生まれつき持たぬ代わりに、魔力への異常なまでの鋭敏な「感受性」を持つ。
それが……ソフィア・クラフトのもつ天から与えられしギフト。
彼女にとって杖作りとは、製造ではなく、対話だった。
素材の癖を聞き、流れを整え、あるべき形へと導く。
そんな神聖な儀式にも似た時間を……邪魔する者が、部屋に入ってきた。
「おい、ソフィア! 聞いているのか! ソフィア!」
工房の扉が蹴破らんばかりの勢いで開かれ、怒鳴り声と共に、男が土足で踏み込んでくる。
ソフィアは、削りかけの杖が傷がつかないよう、素早く、しかし丁寧に白布をかけてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……何でしょうか、デリックさん」
デリック・ザフール。年齢は二十。
この村一番の商会の跡取り息子であり、ソフィアの婚約者だ。
今は亡きソフィアの祖父ヴィルが、「魔力のない孫娘が、将来ひとりで生きていくのは困難だろう」と案じ、有力者であるザフール家に頭を下げて取り付けた縁談だった。
祖父の親心によって結ばれた絆。だが、当のデリックにとっては、そうではなかったらしい。
「俺が話しかけたら、すぐに手を止めて返事をしろ! ソフィア! このどんくさ女!」
「……デリックさん。今は、仕上げの最中です」
「仕上げだなんだと、いつまでやっているんだ! そんな杖一本に、もう5日もかけているじゃないか!」
「5日もなんてかけてません……。こないだ使っていた杖と、間違えてませんか?」
「だまれ! 口ごたえするな!」
デリックは、苛立ちを隠そうともせずに叫んだ。
彼の後ろには、見慣れない派手な服装の女性が、へらへらとした笑みを浮かべて張り付いている。
「商談の納期は明日なんだぞ。お前のようなグズに任せていたら、商機を逃してしまう」
「ですが、この雷鳴樹は非常に繊細です。性急に刃を入れれば、魔力回路が断裂し、使い手の魔力が逆流する恐れが――」
「御託はいいんだよ! お前の仕事は遅い! 古臭い! 効率が悪い!」
デリックは、ソフィアの言葉を遮り、後ろの女性の肩を抱き寄せた。
「見ろ、彼女はリサだ。隣町から来てもらった、優秀な【簡易生産】スキルの持ち主だぞ」
「どーもー。あ、その杖まだ削ってるんですかぁ? ウケる」
リサと呼ばれた女性が、くちゃくちゃとガムを噛みながら、小馬鹿にした視線を向けてくる。
「リサなら、素材なんて適当でも、スキルを使えば一日で大量に杖が完成する! しかも、見た目はピカピカだ!」
「……見た目は、そうかもしれませんね」
ソフィアは静かに、リサの腰に差してある「杖」を一瞥した。
確かに、艶やかな塗装が施され、宝石らしき飾りもついている。だが、ソフィアの鋭敏すぎる感覚には見えていた。
内部の魔力回路はずたずたに千切れ、無理やり接着剤で固められたかのような、悲鳴を上げる素材の姿が。
あれでは、初級魔法を数回撃っただけで破裂するだろう。
「それで、本題だ」
デリックは、勝ち誇ったように鼻を鳴らし、残酷な宣告を口にした。
「ソフィア・クラフト。お前との婚約は破棄する。そして、この『
「……そうですか」
ソフィアの声は、驚くほど平坦だった。
怒りや悲しみがないわけではない。だが、それ以上に「やはり」という諦念が胸を満たしていた。
効率と数値こそが正義の彼らにとって、魔力もスキルもなく、ただ手作業で品質を追求する自分は、異物でしかなかったのだ。
「いいのですか? この店は、祖父が遺した――」
「あの頑固ジジイの時代は終わったんだよ! これからは量産の時代だ。お前のような『魔力ゼロ』で『愛想もない』女は、俺の隣には相応しくない」
愛想がない。
その言葉に、ソフィアは少しだけ目を伏せた。
素材の声を聞くことに集中しすぎて、人の機微に疎くなっている自覚はあった。
だが、それが彼女の職人としての矜持でもあった。
「……分かりました。婚約破棄も、立ち退きも受け入れます」
ソフィアは、着ていた作業用のエプロンを丁寧に畳み、作業台に置いた。
そして、壁に掛かっていた革製のツールバッグだけを手に取る。
中には、伝説の職人と呼ばれた祖父ヴィル・クラフトが生涯愛用し、ソフィアへと受け継がれたノミや鉋、そしてヤスリといった手道具一式が入っている。
「ですが、この道具だけは持って行きます。これだけは、商会の資産ではありませんから」
「ふん、好きにしろ。そんなガラクタ、金にもなりゃしない」
デリックは興味なさそうに手を振った。
ソフィアはツールバッグを肩にかけ、最後に一度だけ、愛着のあった工房を見渡す。
木の香り。染み込んだオイルの匂い。
ここでの日々が終わる。だが、不思議と心は軽かった。
もう、誰にも急かされることなく、納得いくまで杖と向き合えるのだから。
「それでは、お元気で」
ソフィアは優雅に一礼すると、背筋を伸ばし、工房を後にした。
背後で、「やっと清々したぜ」「あーあ、可哀想な人」という嘲笑が聞こえたが、彼女は振り返らなかった。
◇
村を出て、乗り合い馬車の停留所へ向かう。ザフール商会の影響がない場所にいくなら村を出るほかないのだ。
その道すがら、ソフィアはふと足を止めた。
これからどうしようか。
当てがないわけではないが、住む場所も仕事場も失った事実は重い。
その時だった。
「あら、ソフィアちゃんじゃないか」
聞き覚えのある、快活な声がかかった。
振り返ると、大量の荷物を積んだ馬車の御者台から、日に焼けた中年の女性が手を振っていた。
行商人のマリアだ。亡き祖父の代から、希少な木材や道具を卸してくれていた、数少ない「本物」を知る理解者である。
「マリアさん……」
「なんだい、そんな大荷物を抱えて。……あー、なるほどね。あのバカ息子に追い出されたかい?」
マリアは全てを察したように溜息をついた。
ソフィアが小さく頷くと、彼女は豪快に笑い飛ばした。
「ハッ! 見る目のない男だねぇ! あんたの腕があれば、宮廷職人だって狙えるってのに」
「宮廷職人だなんて……私は、ただの時代遅れな職人ですから」
「謙遜するんじゃないよ。……そうだ、ちょうどいい話があるんだ」
マリアは荷台をポンと叩き、ソフィアを手招きした。
「帝都に行きな。あそこには、あたしの古い馴染みで『銀のフクロウ亭』って杖屋をやってる婆さんがいるんだがね。そろそろ引退したいから、店を譲れる骨のある職人はいないかって、相談されてたんだよ」
「店を……譲る?」
「ああ。ただ、あの婆さんも相当な偏屈でね。『半端な奴には譲らん』って、来る奴来る奴みんな追い返してるらしい。でも、あんたなら……『ヴィル・クラフトの孫』なら、話は別さ」
帝都。マデューカス帝国、最大の都市。
そこには、宮廷魔導師や騎士団長など、本物の強者たちが集うという。
ここよりも厳しい世界かもしれない。だが、そこになら、自分の杖を必要としてくれる人がいるかもしれない。
「乗んな。帝都まで送ってってやるよ」
「……ありがとうございます」
ソフィアは馬車に乗り込んだ。
車輪が回り始め、慣れ親しんだ景色が遠ざかっていく。
魔力ゼロの職人は、まだ見ぬ帝都へ向けて、静かに歩み出した。
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