窓からの景色
大学時代の話だ。当時、私は念願の一人暮らしをかなえ、大学近くの、駅から少し離れた場所にあるマンションに住んでいた。マンションは片側が道路に面し、もう片側はそびえ立つ山に面しているという立地だった。
私はそのマンションの、山側の部屋を借りていた。夏は道路側より涼しくて良いのだが、とはいえ焼け石に水で、虫もよく出るからうっとうしい。それでも冷房代はケチりたいので、網戸と殺虫効果のある線香などでどうにかするつもりだった。
その日も、溶けそうなほどの暑さだった。いつものように窓を開けたとき、ふと山の中に赤い色が見えた。
生い茂った緑の中に存在する赤は、文字通り異色を放っており、私は気になってスマホのズーム機能で確認した。――なんてことはない。神社の鳥居だった。
そういえば、あの山には神社があり、今年の正月も多くの参拝客で賑わっていた。
なんだ、鳥居か。別に期待していたわけではないが、何も期待していなかったわけでもない。妙にがっかりしながら、私はカーテンを閉め、部屋に戻った。
異変に気付いたのは、それから一週間ほど経った日のことだった。
いつものように窓を開けると、再び赤いものが目に入った。
「……あれ、あの鳥居、こんなに近くに見えたっけ?」
最初に見たときは、よく気づけたなと思うほど小さく見えた気がする。ところが今は、山を見れば誰でも気づくのではないかという距離感だ。
気のせいか。私は胸に引っかかるざわつきを押しつぶすように、カーテンを閉めた。
違和感が確信に変わったのは、その三日後だった。
やはり、確実に近づいてきている。赤は相変わらず緑の山で異彩を放っており、その存在感は誰の目にも明らかなはずだ。
そして、もう一つ気づいたことがある。
普段人が訪れる、私の知っている山の神社は、この山の反対側に位置している。つまり、どう頑張っても私の部屋から見えるはずがない。
ならば、あの鳥居は何なのか。
私はその日、眠れなかった。
この話を友人にすると、友人は「一目見てやる」と言い、すぐに家へ来てくれた。
「実在したらさ、肝試しにしようぜ。他の仲間も呼んでさ」
そう笑う友人につられ、私もなんだか勇気が湧いてきて、「気のせいかもしれない」と思えるようになった。
「で、どれだよ?」
そう聞く友人に、私は窓を開け、山の中に見える赤い鳥居を指さした。
「あれか」
そう言うと、友人はカバンから望遠鏡を取り出した。
「準備いいな」
「まあな」
友人は自慢げに笑いながら窓から身を乗り出し、鳥居へ望遠鏡を向けた。
しばらく無言が続いた。
「……おい、何か見えたのか?」
不安になった私が声をかけると、友人は震えた声で言った。
「おい、今すぐ引っ越せ。肝試しもなしだ。とにかく、できるだけ早くあれから離れろ」
迫真のその声は、冗談にしては重すぎた。
「何が見えたんだよ」
私が何度聞いても、友人はただ「引っ越せ。必ず引っ越せ」と繰り返すだけだった。そのまま友人は有無を言わさず私を自分の家に連れて行き、その夜は泊めてくれた。
翌朝、落ち着いたのか、ようやく友人は口を開いた。
「鳥居ってさ、当たり前だけど、向こう側にはそのまま向こうの景色が見えるだろ。でも……違ったんだよ」
「違った?」
「ああ。あの鳥居の奥には、山なんか映ってなかった。見えたのは……たくさんの“手”だった」
「手?」
「そう。鳥居にしがみつくみたいに無数の手があってさ。その何本かが、こっちに向かって。」
「手招きしてたんだよ」
ぞっとした。
あの鳥居が何だったのか、今ではもうわからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます