第18話 憎むことができれば憎みたい。

ハードボイルド・セブン

エピソード3. 彗星

第18話




彗星インターナショナルと養子縁組あっせん機関が鼻持ちならぬ形結びついているすべての状況を把握した日光から、二重帳簿の真実を聞いた赤見は手元の水グラスを無意味にくるくる回した。渦を巻いていたグラスの中の水は、やがて何事もなかったように静かな表面を取り戻した。赤見は水グラスをリビングの低いテーブルの上に軽く置いた。


「ダメ。」

「良いですよ!じゃあ、俺たち二人で……。はい?」

「ちゃんと仕事をするって言ったのに、もう依頼を忘れたのか?私たちはただ彗星総一郎の秘密を暴いて、それを口実にして海王グローバルとの競争で負けるように脅すだけだ。ここにお前が言った正義の処断が介入する余地はない。」

「正義の処断まで大げさに言った覚えはないですけど。」

「大体同じだろ。日光、お前はつい最近まで殺し屋だったのに足を洗ってからもう孤児の福祉まで責任を負いたくなったのか?私としてはお前のそのメカニズムが理解できない。突然モラルでもが芽生えたのか、それとも個人的な他の理由があるのか。」


赤見は本当に疑わしそうになって、向かいのソファに座っている日光をじっと見つめた。寝床に入る準備が終わったまま髪はちょっと乱れていて柔らかい室内着を着た日光は普段よりは少し鋭さが欠けていたが、それでも彼はまだ指一本で赤見を殺せる男だった。しかし、実際に質問を受けた元殺し屋、日光は少しショックを受けたような呆然とした表情を浮かべた後、耳と首筋の肌が真っ赤になるほど興奮してばっと立ち上がった。


「先輩!」


こいつ、怒るとこうやって席を蹴って立ち上がる癖があるんだ。赤見が再び水グラスを握り、ゆっくりと水を飲みながら考えた。身近な他人がいなかった赤見は他人の習慣に気づくようなこの瞬間が少し新鮮に感じられた。


日光は言葉を選ぶように歯で下唇を噛み、自分らしくない薄くて抑えた声で呟いた。


「俺は先輩を尊敬しています。」


一瞬、周囲が静かになる。


「憧れており、敬愛しています。」


日光が深く頭を下げたため、赤見は日光の真っ黒な脳天しか見ることができなかった。表情の分からない頭から、低く力のない声が続いて漏れ出した。


「先輩が俺に掛けた催眠のせいで、俺は、俺は先輩が好きで狂いそうなんです。」

「……何を言いたいんだ?」

「でも、今だけは先輩に失望したいですね。」


赤見は何か文句を言うためにと口を少し開けたまま固まってしまった。


「子供たちが安価で変態野郎たちに売られていくのに、上品なふりをして他人のことのように扱う先輩なら、俺も尊敬したくないです。でも、今だって失望してない。尊敬するしかないじゃないか。先輩が俺にこの感情を植え付けたから。俺はいつもそれが好きだったけど、今は初めて残念ですね。憎むことができれば憎みたい。」


リビングに重い沈黙が倒れる巨人のようにドスンと降り注いだ。赤見はどんな言葉を口にしたら良いのか見当もつかなかった。ただ、日光から聞いた言葉を理解し消化するだけで、全神経が消耗されていた。


赤見は誰かと衝突し、対立し、ぶつかることに全く慣れていなかった。幼い頃から常に他人を催眠術で操り、命令し、洗脳して生きてきた代価だった。このように、たとえ嘘であっても自分に好意を抱いていた相手が、露骨に失望と憎むという言葉を使って叱ってくることは赤見が耐えられるような種類のものではなかった。


赤見が完全に混乱している間、日光が先に口を開いた。少しは穏やかになった声が、赤見の耳に優しく響いた。


「ただ先輩が、催眠にかかっていない俺でも、尊敬できる先輩でいてくれたらダメですか?難しいことでもないじゃないですか。」


力いっぱい柔らかく出した声とは対照的に、日光は骨の髄が真っ白になるほど強く握りしめた拳を胸あたりに置いていた。その身振りは、溶岩のように熱い敬愛で燃え上がる心臓を物理的に握りしめる無駄な試みだった。こんなに先輩を敵対する状況でも先輩の言葉を従いたいという服従心は非常に強力で、末端の毛細血管まで血が沸き返るほどだ。


底の見えない古い井戸のように空っぽだった心に今や先輩だけが溢れ返っているのに。先輩を我慢できなくて、先輩が耐えられなくて、むしろ叫びたいのに。でもね。


先輩が真実にはそんな価値のない人だということを受け入れる過程は、まるで出口がない事実を既に知っている迷宮をさまよっているような感じです。


「出て行け。私の家から。」


震える声。催眠命令ではなかった。自分で出て行けということだ。日光は頭を上げて赤見を見た。感情の欠片らも感じられないその無表情が、今には困惑で凍り付いた状態だと知っている。ああ、やっと先輩の好感度を恐怖から無関心へ、無関心から煩わしさへと少しずつ引き上げていたのにな。先ほどの会話で全てが0に戻ってしまった。


日光は眉を緩めて、瞳だけを上に引き上げた。リビングの天井からその威容を誇っているシャンデリアは、いつも通り度外れに輝いていた。日光は疲れてしまった。俺の人生はなぜいつもこうなのか。少しだけうまくいきそうになると、すぐにまた底に落ち込んでしまう。あの高貴な光に届こうとする、上がろうとする試み自体が間違っているのか?ただ底を虫のように這いずり回る格好が自分にふさわしい人生の姿なのかもしれない。


日光は自分にしばらく与えられた部屋に入って、外出着に着替えてから玄関に立った。


「俺の荷物は勝手に処理してください。明日から二日おきに午後10時にここに来て催眠を充電しに来るから。」


赤見は催眠を充電するという馬鹿げた言葉にも答えてなかった。実際、彼は日光を見てさえいなかった。日光はくすりと笑い、靴をくしゃくしゃに履いた。


大邸宅を出て門まで行くだけでも長い時間がかかった。庭が広すぎた。帰ろうか、と数十回は悩むことできるくらい。しかし日光は帰らなかった。ただ、赤見の家を出る前に、後ろのバックポケットにワイン色のネクタイを詰め込んだ自分がバカみたいだと思いながら出口に向かって歩き続けた。


7月の夏の夜は暑く湿っていた。最悪だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る