第16話 当然、ニコチンだけは除いて。

ハードボイルド・セブン

エピソード3. 彗星

第16話




片手にローソンの袋を持った日光はエレベーターに乗り込み、迷わず44階のボタンを押した後、いつもの習慣通りに閉じるボタンを連打しようとしたが、一瞬ためらった。制服を着た男の子と薄い青色のワンピースを着た小さな女の子がお互いに手を固く握りしめ、日光が乗ったエレベーターに向かって歩いてきた。日光が開けボタンを押している間子供たちは無事にエレベーターに乗った。


「待ってくれてありがとうございます、兄さん。」


優しい雰囲気の男の子が頭を軽く下げ、丁寧にお礼をした。丸い頬が若々しい血色で赤らんでいた。日光は返す言葉が見つからず、ただ顎先を軽く動かした。制服を着ているから中学生くらいだろうか。胸元に付けられた名札に書かれた名前は田中湊。女の子の方は、ふむ、5歳くらいだろうか。似ているところはなかったが、おそらく本当の妹かな?普通はそうだろう。そうだとすればこの二人は兄妹の関係なのだ。日光は自分も気づかずに目を泳がせながら子供たちを見回した。


「凪も挨拶する?」

「うん……。大きなお兄さん、ありがとう。」

「大人には敬語を使わなきゃ。」

「ありがとうございます。」

「よくできたね、凪。僕の妹は少し恥ずかしがり屋です。」

「まあ、大丈夫。」


こうなると返事をしないのも曖昧だ。日光はぎこちなく固まり、女の子の凪の挨拶を受けた。兄の方は結構大人っぽいね。人々は子供は子供らしくあるべきだと言うが、日光は同意しなかった。


施設で過ご間、交わる同年代の友達一人もいないまま育った日光にとって、子供たちは常に遠く離れている接しにくい存在だった。日光は、時折気まぐれに変わる子供たちの幼稚な感情についていけなかった。日光が記憶する限り、日光の胸の中は常に空虚だった。何も感じなかった。退屈だ。泣いたり笑ったり、騒いだりする子供たちの中で、日光はそれでも時間が経つことだけを慰めにして生きていた。


セックスや暴力のような刺激的な行為、またはアルコールのような依存性のある物質に無理なく接できるように肉体的に成長すると、日光はそれらに狂ったように耽溺した。当然、ニコチンだけは除いて。


時間という退屈な料理は、官能的な香辛料が加わると急速に美味しさを増した。日光はセックスを、暴力を、アルコールを舐め回し、噛み砕き、飲み干した。時計の針は恐ろしい速さで緊張して回り続けた。しかし、針はすぐに嘘のように静かになった。日光がそれらすべてに一瞬飽きてしまったからだ。たった1年のことだった。


つまらない。粗末なカプセルホテルに分類するにも惜しいので、星0つのレビューを付けます。日光は自分の人生についてそんな総評を残した。総評を残すにはまだ早い時期なのか?でもね、もっと長く生きても大きく変わることはなさそうだったから。海外に逃亡した標的を殺すために、各国の宿を転々とし始めた頃の感想だった。幸いなことに、殺人は日光の適性に合っていたため、日光が泊まる宿の名前には次第に星が一つずつ増えていった。


しかし、今はあの頃とは全く違う。赤見先輩と出会って以来に日光の胸の中は先輩への敬愛で燃え上がっていた。先輩のことを考えるだけで笑いが漏れて唇を噛み、指先で軽快なリズムを叩き、靴の中の足指をくすぐる。毎日、毎時間、胸が喜びで重くなる。楽しいから先輩、絶対に俺をこの夢から起こさないでください。


44階に到着したエレベーターがベルの音と共に優しく止まった。赤見のことを考え込んでいた日光は、エレベーターの中にまだ子供たちが残っていることに遅れて気づいた。そっと目を回してボタンを確認すると、子供たちが押した階は48階。このビルの最上階だ。このビル自体が彗星インターナショナルの所有なので、最上階は当然、企業総帥の彗星総一郎の個人室に使われているはずなのに。もしかしてその人の血筋なのか。


まあ、実際は日光の知ったことではなかった。日光はエレベーターのドアが閉まる隙間から湊が礼儀正しく挨拶する声を無視して44階のロビーへ歩いて行った。どうせもう会うこともない子供の挨拶を受け入れて何になる?声変りもしていない湊の澄んだ声が、日光の背後に無駄に消えていった。


日光は迷路のような複雑な構造で事務机が並ぶ巨大なオフィスを、猫科の動物のように巧みに駆け回り、赤見と自分が割り当てられた席に戻った。仕切り板一つで二つの机を覆っているその場所は、オフィスの隅にあり、他の机からは遠く離れいて赤見と日光がこの企業から重要な情報を盗み出すための仕組みには最適だった。もちろん、この便利な配置は赤見の催眠術で手に入れたものだった。


「先輩、昼食を買ってきましたよ。コンビニを5軒も回ったのに、先輩が言った白身魚フライ弁当は全部売り切れてましたよ。こんなことなら、社員食堂に行けばよかっ……。」


日光は仕切り越しに赤見が机に伏せて寝ているのを見つけてから言葉を止めた。この仕事を始めてからもう1週間と3日が経ったから少しは慣れるはずなのに。赤見はまだ会社員としての生活リズムに慣れなかった。日光はあえて赤見を起こさず、隣の席に座って自分の分のロースカツ丼弁当2パックと炭火焼カルビ弁当3パック、そしてウーロン茶4本を慎重に取り出した。もしかしたらガサガサと鳴るビニール袋の音に赤見が起こるかと心配でたまらなかった。


半透明のプラスチックのスプーンでカツを大きく切り、口に押し込みながら、日光は仕切りの中に適当に貼り付けられている海外営業チーム用の資料をぼんやりと見つめていた。その資料には、数多くの連絡先が餌に群がる蟻の群れのように黒く細かくと書き込まれていたが、その文字は赤見と日光が探している重要なバイヤーの情報から遠く離れていた。


催眠術で彗星総一郎の秘密を暴いて脅迫する作業は、1時間もかからない予定だったので赤見と日光の二人は、企業に侵入して催眠術で席をを手に入れたあと、依頼主である海王グローバルの最大株主へ報告する内容を用意するため、時間を稼いでいた。したがって、二人はただ会社員のようにスーツを着て机の前に座って働いているふりをしているだけで、実際には何もしないで時間を無駄に浪費していた。日光は脂の乗った肉汁が滲み出る肉を一生懸命噛みながら、本物の仕事をしていればもう少し退屈しないだろうと考えていた。


「うーん……。」


日光はびくっとした。


「あ、先輩。起きたんですか? 俺は静かにしていたけど。」

「……起こせよ。こんなところで寝ている姿を見られるわけにはいかないだろ。」

「ああ、ごめんなさい。あまりにも深く眠っていたので。でもここなら隅だし、仕切りもあるから誰も見ていないはずですよ。」

「そうなら良かったけど、次はすぐに起こせ。」


先輩が夜早く寝て、会社で寝ないようになればいいのに。日光はそう言う代わりに、自分の2つ目の弁当の包装を剥がしながら黙って頷いた。


「先輩の分はツナマヨのおにぎりと緑茶です。白身魚フライ弁当は売り切れてたんです。先輩、ツナもマヨネーズも好きだから大丈夫ですよね?先輩がラテ好きなのは知ってるけど、それでも食事の時はマヨネーズが脂っこいかもしれないから緑茶にしました。ラテは後で退勤する時に買って……。」

「弁当がないの?他のところもちゃんと探したか?」

「この辺りに5軒も回ったんだから、俺に文句を言わずに、それだけでも感謝して食べてください。」


木箸の先をしっかりと集めて赤見の胸の真ん中を刺すように指差し、日光が突き放すと、赤見もこれ以上言うことがなかったのかただ緑茶に注意を向けて蓋を回した。緑茶だけ先に飲めば先輩の口には苦いだろうに。日光の予想通り、赤見はすぐに眉をひそめて緑茶を見つめた。


「そう睨めば苦い緑茶が甘くなるんですか?」


日光がそんなつまらない冗談を言った時だった。前のテーブルの小林が震える手で黒縁メガネを握りしめ、よろめきながら近づいてきた。一目で普通ではない様子に赤見と日光は会話を止めて小林を迎えた。


「赤田さん、西村さん……。」

「はい、小林さん、大丈夫ですか?顔色が悪いんですけど。」


日常会話が苦手な赤見に代わって日光が答えた。小林は震える手と同じように震える声でたどたどしく質問した。


「お二人、か、海外営業チームに入社された時、ビジネス韓国語に堪能だとおっしゃっていましたよね?」


赤見は緑茶で狭まった眉間をさらに近づけた。悪い予感がするな。


「はい、そうですけど?」


日光が平然と嘘をつくのを見て赤見は片方の眉を斜めに上げた。赤見の悪い予感は的中した。小林は青天の霹靂である提案を二人に向けて突き出した。


「では、今すぐソウルから東京へ出張に来られたVIP韓国バイヤーの方々の接待をお願いしたます!」


小林が90度の角度で腰を曲げると、彼女の長い茶色のストレートヘアが空中に力強く舞った。

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