第12話 まるで夜叉のようだった。

ハードボイルド・セブン

エピソード2. 大洗

第12話




日光は、すでに死体となった男が着ていたミリタリーコートの胸元を靴で軽く押しやった。薄いナイロン素材とはいえ、6月中旬にこんな蒸し暑い上着を頑固に着ている理由は日光がスーツジャケットを忘れない理由と同じだった。予想通りいくつかの使える道具が上着の内部に固定されていた。


日光はすでにグロックを抜き出していたため、不要になった自分の黒いスーツジャケットを脱ぎ捨て、男のカーキ色のミリタリーコートに着替えた。そのついでに、男が被っていた灰色のキャップも頭に被った。そしてまるでアイスクリーム店で何の味を選ぶか迷う少年のように、鼻歌を口ずさみながら道具を調べていると、何か興味深いものを発見し、突然口笛を吹いた。


「おお、こんなものまであるのか。」


日光は軽い手つきでコートの内側からアイスピックを抜き取った。木の柄が手のひらにぴったりと馴染む感触が最高だった。


このようなアイスピックは、通常は社交パーティーなどでバーテンダーがカクテル用の氷を砕くために使うものだ。スーパーマーケットのような場所で誰でも購入できる日常品なので、銃砲刀剣類登録証のような面倒な手続きも必要なかった。本当に創造的な武器の選択だな。日光は自分が最近銃に頼りすぎているのではないかと反省した。ああ、そう言えば、そろそろ三十代か。先輩のところに戻れば、頭が固まる前に小説でも読んでみよう。


そんな考えながら、あちこち触ってみたアイスピックは、堅いステンレス製で、長さ25cmほどで、短すぎず長すぎず、ちょうど良いサイズだった。素晴らしい。刃がないため振り回して切るような攻撃は不可能なので男のコートの中に残った他の一般的な短刀に比べれば動きに制約は生じるだろけど、どうせ急所を狙って正確に刺せば一撃で敵を無力化できる。そして、こんなものは一度くらいは使ってみたくなるものじゃないか。


日光は左利きで生まれたが、最初に任された施設の院長から右手の使用を強制的に訓練されたため、結果的に両利きとして成長した。当時7、8歳だった若い日光は、院長が理解できない無駄なことをさせていると思っていた。それでも片手に銃を、もう片手に刀を握り、他人より効率的に人を殺せるのは便利だった。そして、殺し屋にとって左利きは特に良い特性ではなかった。相対的に左利きの割合が低いので、すぐに特定されてしまうからだ。そういえば、その老人、まだ生きているだろうか。


……この考えは止めなければならない。


日光は腕時計を確認した。午前9時11分。大洗サンビーチの空は晴れ渡り、澄み切っていた。この真昼に、しかもこれほど人出の多い保養地で襲撃を仕掛けるとは。何人いるかは分からないが、おそらく奴らは一般人の犠牲者が出ようがどうが構わないみたいだった。一般人の犠牲者が関係ないのは日光も同じだったが、このまま事態が拡大して警察やマスコミの注目を浴びる大事件になってしまうのは望まなかった。まあ、日光が望もうが望まなかろうが、大事件になりそうな気はしていた。


はあ、俺はただ先輩と良い時間を過ごしたかっただけなのに。ついでに俺が先輩のために命を捧げるほどの忠誠心を持っていることをしつこくアピールして先輩から点数をもらおうしたのに。


日光はため息をつきながら、頭上に向けてグロックの2発目を発射した。もちろん、適当に撃ったわけではなかった。正午に近い時間だったためレストランの建物の影が日光の足元に伸びていた。修羅を殺せるという欲望に目がくらみ、その事実すら気づかずに急いで屋上の手すりに寄りかかって日光に銃を向けていた殺し屋のシルエットが、死体となって日光の横に落下した。やっぱりいたのか、狙撃手。日光は、その死体の上に重なった長いスナイパーライフルを見て、舌なめずりした。標的が誰で、何人なのかさえ知らない今、そんなスナイパーライフルは不要だった。


実際、日光としてはこれほど多くの敵との混乱した戦闘を経験したことはほとんどなかった。日光はヤクザではなく殺し屋だった。これが普段通りの依頼だったら、確実な標的の情報を完全に把握した後、静かな場所で綺麗に片付けるところだった。時々、標的を殺す前に拷問を要求する依頼人がいるため、渋谷のあの倉庫も利用しているが、普段はそうだった。


どんな無鉄砲な奴らが俺を狙っているのか。同業者と呼ぶのも恥ずかしいような小僧たちの名前はわざわざ覚えようとはしない。中間でブローカー役を務める情報屋やディープウェブのハッカーたちは、誰のレベルがどうだ、誰と誰を対決させればどうだなどと、子供たちがカブトムシの闘いに熱中するように幼稚に階級分けをしていたが、日光はその世界には興味がなかった。無駄なことだ。どうせ自分がデビューした瞬間から絶対的な強者として君臨してきたレベルが低い場所だ。


だから、珍しい全面戦争でも緊張するはずがない。先輩が安全なら恐れるものは何もない。日光は全てが面倒くさくなってしまった。スーツのズボンのポケットから携帯電話を取り出し、赤見先輩に電話をかけた。幸いにも先輩はすぐに電話に出た。


「日光!状況は?」

「電話で聞く先輩の声はまた色違いますね。そう言えば、先輩の声は綺麗ですよ。少し中性的な魅力があるって言えばいいのかな?」

「……大丈夫みたいだな。そんな無駄話をする余裕があるなら、東京まで来い。電車でも乗れ。」

「先輩も無事に車に乗れたみたいですね。運転中?」

「ああ、だからお前も……。」

「よかった。また電話すますよ?」

「日光!お前……!」


日光は電話を切った。先輩が無事ならそれでいい。今このまま体を逃げ出せば、ずっと面倒になるだろう。やはりゴミの片付けは今やるべきだ。


武装した両手をカーキ色のミリタリーコートのポケットに突っ込んだ日光は、レストランの入り口の方へつかつかと歩いていった。色とりどりの保養地のスタイルの人々が、賑やかに笑いながら日光の横を通り過ぎていった。


日光はレストランの中をそっとのぞき込んだ。一般の客とアルバイトの従業員が倒れた殺し屋3人を囲んで騒然としていた。救急車はまだ来ていないようだ。そうだったら。日光は灰色のキャップが自分の顔を隠してくれることを願いながら頭を下げ、レストランの方に向かって叫んだ。


「ここ!このレストラン!ガス漏れの情報が入って来ました!皆さん今すぐ外に出てください!」


一般客たちは日光の嘘を聞いてびっくり仰天して、店から駆け出した。数人の善良な人々が倒れている殺し屋を心配したため、日光は「彼らは自分で運ぶから、まず身を避けてください」と助言した。内心では元々そうしたいと思っていた善良な人々は安心して店を離れた。


日光は自分がこぼしたコーヒーで角膜に火傷を負って倒れて、うめき声を上げている男のポケットを捜し、携帯電話を見つけた。最近の通話履歴の一番上に表示された番号を押すと、すぐにまた正体不明の男が電話に出た。


「カオス! 先ほどその場所で一般人が逃げ出すのを確認したけど、修羅は処理したか?」

「カオス? 名前だけ立派なだけで。これ、俺まで恥ずかしくなってくるぞ。」

「お前はまさか!」

「ああ、俺、修羅だけど。ここで待ってるから、お前たちだけで来いっと連絡を回してくれ。」

「この野郎……!」


日光は男の携帯電話を勢いよく投げ捨て、空っぽになったレストランの中を見回した。入り口のすぐ上にある手すりの付いた2階の席が突き出ている。事前に隠れるには最適な構造だ。何人かは分からないが、この建物を監視していたらしいので、奴らが来るまでおそらく2分もかからないだろう。日光は少し早足で2階に上がって手すりの後ろに隠れた。


日光がグロックを取り出し射撃姿勢を取った瞬間に殺し屋たちが押し寄せてきた。きょろきょろと見回しながら現れた3人の殺し屋を日光は手すりの装飾の隙間から冷静に撃ち抜いた。三発の完璧なヘッドショット。死体はまるで糸が切れたマリオネットのように、手足が不自然に曲がりながら床に崩れ落ちた。終わりか?という初心者のような速断はしなかった。発砲によりこちらの方向が露呈したのだから、先ほどの幸運は二度と通じないだろう。


日光の予想通り、敵の弾丸が2階の手すりの方へスコールのように降り注いだ。そのうちのいくつかが日光の皮膚の表面をぎりぎりとかすめていた。日光は痛ましい傷を顧みることなく、頭を働かせることに夢中だった。あちらもやはり銃を持って来たようだな。また3人、いや、4人だ。敵たちは手すりと向かい合ったレストランの壁の外側に、縮こまって座っているようだった。彼らが放った弾丸のせいで窓ガラスが砂糖の欠片のように砕け散り、空中に舞った。日光は目に見えないボードに乗ったように階段を素早く滑り降り、1階のテーブルの中で最も大きく頑丈なものを押し退け、その後に身を隠した。


日光は喉を鳴らしてできるだけ震える声を装って叫んだ。


「おい、お前ら!こんなのはやめよう!俺は実は修羅じゃないんだ!これは間違った情報だよ!誰から聞いたのか知らないが、お前たちは全部騙されたんだ!常識で考えろ!修羅が引退するわけないだろ!」


敵からは一時、返事がなかった。ざわめく声が聞こえることからみて彼らは自分たちで会議をしているようだった。4人の殺し屋は、おそらく銃を握った手を下ろし、会話に夢中になっていて、日光から注意が逸れていた。それがまさに日光が望んでいた場面だったため、日光は迷わずテーブルから敵が隠れている窓の下の壁まで姿勢を低くし、素早く駆け出した。そして軽く壁を越え、集まっていた敵の真ん中に飛び込んだ。


敵の目が丸くなる間に、蝶のように空中に浮いた日光の真っ赤な唇と白い牙が、捕食者の笑いを誘った。ただの虫けらだ。だからお前たちは対したことない三流から抜け出せないんだ。


日光は着地と同時に左手にパーティー用のアイスピックを逆手に握り、最も近い殺し屋の右耳に容赦なく突き刺した。鮮やかな血が勢いよく噴き上がって日光の顔全体をぬるぬると濡らした。短い黒髪に不快な潤氣を放つほど血にまみれながらも、何事もなかったかのように二番目の殺し屋を振り返った日光は、殺し屋が持っていた銃の銃口が自分に向けられる前に、右手で彼の胸に拳を突き刺した。筋肉と骨で固く締まった日光の拳が、殺し屋の胸郭をスムーズに潰した。二番目の殺し屋が悲鳴も上げずに倒れる間、日光の背後から三番目と四番目の殺し屋が鋭い短刀を日光に振りかざそうとした。


「よくも。」


日光はその刃物を避けながら上半身を屈め、一回転して立ち上がって長い脚を素早く伸ばして三番目の殺し屋を蹴り飛ばした。正確で致命的な蹴りがその三番目の殺し屋の首を折った。四番目の殺し屋はその勢いに押され、よろめきながら後退した。日光はミリタリーコートのポケットからグロックを取り出し、四番目の殺し屋を苦痛なく仕留めた。突然の慈悲心などではなく、苦労して組み立てたグロックをほとんど使わなかったのがもったいないだったからだ。


一瞬で四つの死体の間に立つことになった日光が遅れて息を整えた。相手が低級だったから別に緊張しなかったとしても、このような乱戦は初めてで、しかも最近はずっと狙撃任務ばかり任されてきたので、この程度体を動かすのも久しぶりだった。日光は首を左右に曲げ、こわばった筋肉をほぐした。こんな臆病な小僧たちが適切な人数で動くはずがないから、明日までにどれだけ殺さなければならないのか見当もつかなかった。


日光は遠くの空を見上げた。ああ、もう先輩が恋しい。会いたい。見送りしてまだ1時間も経っていないから、今頃道路の真ん中かな。掃除が終わったら海に入って出ないと。血に染まった状態で公共交通に乗るのは無理だし、何よりこんな姿で戻れば繊細な先輩がショックを受けるかもしれない。そうしたらまた俺を恐れるだろうし、また背を向けてしまうだろう。


そんなのは嫌だ。今日、お互いの過去を打ち明けたことでようやく少しだけ近づけたような気がしたのに。ただ先輩が俺を恐れないで受け入れてくれたらいいのに。嫌いではない以上に、好きになったらいいのに。先輩が俺にずっと催眠をかけて、俺が先輩を永遠に好きでいられるように許してくれたらいいのに。


そんな考えながら初夏の青空を見上げる日光の二つの目は、自分が殺した人々の血で桜色に染まった白目が、まるで夜叉のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る