第45話 偽りの座標
地鳴りが、すぐ足元まで迫っていた。
ソ連軍の放つカチューシャのロケット弾が、夜空を真っ赤な弧で切り裂き、村のすぐ裏手に着弾する。
混乱が極致に達するなか、アインザッツグルッペンの大尉は、悦に浸るような薄笑いを浮かべて銃に手をかけた。
「……混乱に乗じてパルチザンが動く前に、全員『清算』する。シュミット少尉、貴様は案内役だ。まずはあの病院からだ」
俺の視界が、一瞬、真っ白に染まった。
バビ・ヤールの、あの深い谷底の匂いが鼻を突く。
俺はまた、彼らの引き金を「翻訳」して、罪のない人々を死の淵へ誘うのか?
……いいえ、……二度と同じ過ちは犯さない。
「……大尉。お待ちください。……先ほど、傍受したソ連軍の無線を翻訳しました。……敵の戦車中隊が、この村を避けて北側の丘陵地、まさに今貴公らが『清算』を行おうとしている区域へ、側面から突入しようとしています」
俺は、無造作に広げた地図の上に、嘘の座標を力強く指し示した。
それは、アインザッツグルッペンをソ連軍の主力部隊に正面からぶつけ、彼らを「囮」として使い捨てるための、冷酷な罠だった。
「……戦車中隊だと? ……手柄を横取りされる前に、我々が待ち伏せ、敵の参謀ごと捕らえるということか?」
「……左様です。……英雄的な治安維持部隊として、前線の不始末を片付けていただきたい。……村の処理などは、我々のような二流の兵隊に任せておけばよいのです」
俺は自分の吐く言葉に、吐き気を感じていた。
「英雄」という言葉で彼らの自尊心を煽り、死地へと翻訳して送り出す。
死を訳し、生を編む。
アインザッツグルッペンの車両が、獲物を追う猟犬のように、俺が教えた偽の座標へとエンジンを轟かせて去っていった。
その直後、彼らが向かった方角から、ソ連軍の強烈な一斉射撃の音が響き渡った。
「……シュミット。貴様、……なんてことを」
プラッツ少佐が、青ざめた顔で俺を凝視している。
味方を敵の牙に差し出した。その事実は、軍法会議を待たずとも死罪に値する。
「……今のうちに、村人を森へ逃がしてください。……レヴィン先生も、動ける負傷兵もすべてです。……私にできる翻訳は、……ここまでだ」
俺は崩れ落ちそうになる膝を叩き、地面に落ちたクルトの練習用紙を拾い上げた。
手が震えて止まらない。
バビ・ヤールで殺した人々の数に、今、あの「身内の処刑人たち」の命が加わった。
エレーナ。
俺の手は、もう二度と洗っても落ちないほど汚れてしまった。
だが、俺はまだペンを離さない。
地獄の底で、一人でも多くの名前を「生存」へと翻訳し直すために、俺は燃え盛る村の炎の中で、再び立ち上がった。
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