第34話 凍土のカロリー
キエフ郊外の陣地を、青白い闇が包み込んでいた。
雪の下に閉じ込められた大地からは、もはや何も生まれない。
補給の途絶えた兵士たちの唯一の関心事は、明日の戦術ではなく、今夜のスープの底に、ひとかけらの肉が沈んでいるかどうか、それだけだった。
プラッツ少佐は、飢えで殺気立つ兵士たちの視線から逃れるように、俺に八つ当たり気味に命じた。
「シュミット、現地の農民どもを吊るせ。奴らは必ず、どこかにジャガイモを隠しているはずだ。力ずくで吐かせろ」
俺は、凍りついたペンを置き、眼鏡をゆっくりと中指で押し上げた。
「略奪」という選択は、その場限りの胃袋を埋めるが、同時に背後の治安を破壊し、将来の補給を断つ最悪の「損切り」だ。
「……少佐。銃口を向けた相手は、土の奥に隠した宝を絶対に教えません。……ですが、凍死を待つ彼らに『暖かさ』を提示すれば、彼らは喜んで宝を掘り出すでしょう」
俺は、備蓄していた粗悪な廃油燃料と、死者から剥ぎ取った羊毛の端材を、取引のテーブルに載せた。
飢えと寒さで限界に達していた農村の指導者は、俺が提示した「熱量」と引き換えに、隠されていた冬越しのジャガイモの半分を、自発的に拠出した。
略奪を「互恵取引」に翻訳する。
それによって、俺たちの手元には、泥にまみれた数トンのジャガイモが転がり込んだ。
だが、真の地獄はここからだった。
俺は、届いた食糧を兵士たちに平等に配ることを、断固として拒否したのだ。
「……シュミット、お前は何を考えている! 飢えているのは皆同じだぞ!」
ルック中尉が、痩せこけた顔を怒らせて詰め寄る。
俺は、手帳に記された精密なランク表を彼に突きつけた。
「中尉。最前線の監視兵には三千キロカロリー。病院の軽傷兵には一千。そして……。……全員に平等に配れば、一週間後には全員が動けなくなり、この陣地は全滅します」
俺が提示したのは、残酷なまでの「出力管理」だった。
動ける者を優先し、死にゆく者の配分を削る。
それは慈悲の欠片もない、人間を「エンジンの燃料」として扱う大人の計算式だった。
「……君には、彼らが家族を待つ人間だということが、本当に見えていないのか」
「見えていますよ。……だからこそ、全員で心中するような真似はさせない。……私が罵声を浴びることで、部隊の総体としての寿命が一日延びるなら、喜んでその数字を守りましょう」
兵士たちの憎悪は、俺という「配分者」に集まった。
だが、皮肉にもその憎悪が、彼らの生命力を繋ぎ止める。
死を訳し、生を編む。
泥まみれのジャガイモを齧りながら、俺は一人、エレーナの白樺の石鹸を握りしめた。
石鹸の香りはもうほとんどしない。
ただ、凍った土と、自分自身の罪の匂いだけが、いつまでも鼻の奥にこびりついていた。
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