第32話 冬の胎動
その日の朝、世界から「色」が消えた。
空から舞い降りたのは、優雅な雪などではない。
それは、空気に混じった鉄の破片のように、兵士たちの頬を容赦なく切り裂く、凍てつく礫(つぶて)だった。
気温は一夜にして氷点下へと叩き落とされ、昨日までの泥濘は、戦車さえも沈み込ませたまま、硬固な岩盤へと凝固した。
いよいよ、冬将軍がその冷酷な指先を、ドイツ軍の喉元に掛けたのだ。
隣接する第35歩兵連隊からは、早くも悲鳴のような報告が届き始めていた。
「夏用軍装のままの兵士が、夜間に数十人単位で凍死」「燃料が凍結し、車両が移動不能」。
そんな地獄の入り口で、シュミットが独断で集めた「ゴミの山」……異臭を放つ羊毛や、血染めの古着が、突如として神々しい輝きを放ち始めた。
「……シュミット。貴様、予言者か、それともただの守銭奴か」
プラッツ少佐が、凍えそうな手を暖炉の火にかざしながら、下卑た笑みを浮かべて倉庫を訪れた。
彼の目は、シュミットが備蓄した羊毛を、新たな「利権」として品定めしている。
「この羊毛を、隣の連隊に高値で売りつけてはどうだ? 奴らは今なら、金貨一枚を毛布一枚に換えても安いと言うだろう」
俺は眼鏡の奥で、プラッツの浅ましい計算を冷ややかに見つめていた。
大人の損得勘定とは、目先の利益を追うことではない。
「部隊が全滅すれば、金も階級も無価値になる」という現実を読み取ることだ。
「……少佐。これは売るためのものではありません。……我々の部隊が、この冬を『完食』するための維持費です。隣に売る余裕など、一ミリもありませんよ」
俺はプラッツを牽制し、待機していたルック中尉の分隊に、羊毛と廃油燃料を分配し始めた。
かつて「誇りを踏みにじる」と憤っていたルックだったが、凍死者が出たという報告を聞いた今は、沈黙したまま俺から汚れた布切れを受け取った。
「……シュミット。君は、最初からこれを見越していたんだな」
ルックの声は、寒さで掠れていた。
俺は、彼の手のひらに粗悪な羊毛の束を押し付け、無表情に答える。
「中尉、私はただ、統計を翻訳しただけです。……ナポレオンを葬った冬が、ドイツ軍だけに微笑む理由など、計算上のどこにもありませんから」
死を訳し、生を編む。
俺たちは、血と泥に汚れた古着を肌着の下に重ね、廃油で煤けた火を囲んだ。
それはあまりにも惨めで、文明から遠く離れた光景だったが、少なくとも俺たちの部隊からは、まだ一人も凍死者は出ていない。
夜。俺はエレーナを想いながら、凍ったインクを吐息で溶かし、日誌を綴った。
《生存は、美しさを必要としない。……ただ、熱量だけを必要とする》
窓の外では、雪を孕んだ暴風が、獲物を求める獣のように咆哮を上げ続けていた。
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