第27話 泥のなかの福祉
バビ・ヤールの峡谷で剥ぎ取られた黄金は、シュミットの手によって、さらに奇妙な形へと「翻訳」された。
陣地の最奥、半ば朽ちかけた納屋を改装して作られたその場所は、表向きは「第7先遣隊・臨時野戦病院」と名付けられた。
だが、その実態は軍の公式な帳簿には一行も記載されていない。
冬を目前にした荒涼たる原野の中で、そこだけが異常なほどの清潔さと、死臭を打ち消す薬品の匂いに満ちていた。
そこにあるのは、シュミットが兵士たちに配布した「血の配当」を巧妙に回収し、闇ルートで買い集めた最高級の医療器具と薬品の山だった。
「……少佐。ここは、我々が致命的な傷を負った際、確実に『生きて』帰るための、私設のシェルターです」
薄暗い納屋の奥で、シュミットはプラッツ少佐に囁いた。
プラッツは、白く輝くホーローの洗面器と、眩いばかりのメスを眺め、下卑た満足感を瞳に宿して笑った。
「なるほどな。略奪した金で、自分たちの命を買い戻すわけか。……シュミット、貴様ほど悪知恵の働く通訳官を私は知らないぞ」
だが、この聖域の最大の特徴は、設備ではない。
眩いランプの下で、震える指先を殺して執刀を続ける「医師たち」だった。
彼らはバビ・ヤールの死の列から、シュミットが「有用な技術者」として強引に選別し、文字通り泥の中から引き揚げてきたユダヤ人たちだった。
ルック中尉がその光景を目の当たりにしたのは、迫撃砲で深手を負った部下を運び込んだ時だった。
彼は、自らの部下を手厚く看病する「死の淵から救われた人々」を見て、激しい目眩に襲われた。
「……シュミット。これは、一体何の冗談だ。略奪した金で薬品を買い、殺そうとした人々に、自分たちを救わせているのか?」
ルックの問いかけは、もはや怒りを超え、祈りにも似た悲痛さを帯びていた。
シュミットは、眼鏡の曇りを丁寧に拭いながら、感情の温度を一切欠いた声で答える。
「大人の損得勘定ですよ、中尉。……死体は誰も救いませんが、生かした医師は、我々の指の一本、命の一つを繋ぎ止める。……彼らにとって我々は憎むべき仇ですが、同時に、彼らを生かし続ける唯一の盾でもある」
「……君は、彼らの感謝まで搾取するつもりか」
「感謝など不要です。……これは、互いの生存を担保にする『契約』だ。……綺麗事では、明日、破傷風で死ぬ部下を救えませんから」
ルックは、自分に頭を下げる老医師の顔を正視できず、逃げるように納屋を後にした。
死を訳し、生を編む。
シュミットが編み上げたこの「聖域」は、犠牲者の遺した黄金で築かれ、死刑囚の技術で維持されていた。
それはあまりにも醜く、そして、あまりにも効率的な救済だった。
納屋の片隅で、シュミットは一人、薬品の刺すようなアルコール臭を深く吸い込んだ。
救われた命が、自分たちを守る厚い防壁になる。
この歪んだ均衡が崩れる日が来るとすれば、それはドイツの完全な敗北か、あるいは、自分自身の良心が耐えきれなくなった時だけだと、彼は確信していた。
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