第25話 死を訳し、生を編む
キエフの北西、バビ・ヤールの峡谷で見た光景は、もはや記憶の底にこびりついて離れない。
数万の命がゴミのように積み上げられ、土に還される。
あの日、俺がその「処理」に立ち会い、実務として淡々と帳簿をつけた事実は、一生消えない火傷のようなものだ。
プラッツ少佐は、あの惨劇を「輝かしい戦果」として誇り、俺をその共犯者として、より深く闇へと引き摺り込もうとしていた。
「――シュミット少尉。キエフでの手際は実に見事だった。……今度の村でも、同じように頼むぞ。余計な『不純物』を掃き溜めに流す作業だ」
プラッツが、冷え切ったキューベルワーゲンの車内で、満足げにタバコを吹かした。
その煙が、かつて峡谷で見た死体の焼ける匂いと重なり、俺の肺を不快に刺激する。
傍らに立つルック中尉は、もはや俺と目を合わせようとはしなかった。
バビ・ヤールを経験したことで、彼の信じていた「ドイツの騎士道」は、根底から粉々に砕け散っていた。
「……やるしかないでしょう。私は、SD(親衛隊情報部)の翻訳官ですから」
俺は冷徹な仮面をさらに厚く塗り固め、プラッツの言葉を「生存の論理」へと翻訳し直す。
だが、ただ従うだけの駒になるつもりはない。
俺は大人の損得勘定を最大限に働かせ、プラッツという怪物の横暴を、自分の「資産」へと作り変える決意をした。
「少佐。……単純な殺戮は、野蛮な素人の仕事です。……賢明な我々は、この『死』を、戦後の我々を守るための『通貨』に変えるべきだ」
「……通貨だと?」
俺はプラッツの耳元で、峡谷の風よりも冷たい声で囁いた。
「キエフで私が独断で選別し、別枠で収容した連中……彼らはモスクワの軍需中枢に直結する専門家たちです。……彼らの命をあなたが『管理』しているという事実は、将来、あなたが戦犯として吊るされるのを防ぐ、唯一の切り札になる」
プラッツの目が、欲と恐怖で濁った。
彼は自分が犯した罪の重さを、実は誰よりも恐れている。
「……彼らを殺せば、証拠は消えます。だが、彼らを生かして貸しを作れば、それは未来のあなたを救う『生きた盾』になる。……わかりますね? 効率的な生存戦略というものを」
プラッツは、震える手でタバコを揉み消した。
虐殺の執行者である彼を、俺は今、自分と同じ「汚れた共犯者」の土俵へと引き摺り下ろした。
バビ・ヤールを経験した俺に、もはや綺麗事など必要ない。
死を訳し、生を編む。
たとえ編み上がった糸が、数万人の血で真っ黒に染まっていたとしても。
その泥沼の中で、ルックを、そして自分自身を生き残らせるためなら、俺は悪魔にさえ「投資」を勧誘するだろう。
「……行きましょう、中尉。……死体の数を数えるのは、あの日で最後です」
俺の声は、秋の冷たい雨に打たれ、虚ろに響いた。
ルックは重い足取りで歩き出し、俺たちは再び、出口のない歴史の暗闇へと突き進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます