第24話 泥のなかの連携

ハンス・フォン・ルック中尉が率いる第7装甲師団の先遣隊は、限界を迎えていた。

 

 

 どこまでも続くウクライナの平原は、秋の深まりとともに深い泥濘(でいねい)と化し、伸び切り、細り果てた補給線は、最前線の悲鳴を無視していた。

 

 

 戦車のエンジンは、燃料という血液を失って沈黙し、兵士たちの胃袋は、空腹という名の毒にゆっくりと蝕まれていく。

 

 

「……シュミット、あと二日だ。二日以内に燃料が来なければ、我々は鉄の棺桶を捨て、徒歩で退却するしかない」

 

 

 ルックの声は、いつもの凛とした響きを失っていた。

 泥にまみれたその顔は、騎士の誇りよりも、部下を無駄死にさせる指揮官の絶望に染まっている。

 

 

 正規の補給ルートは、後方の無能な官僚たちの手で停滞し、書類の海に沈んでいる。

 だが、俺の手元には、先日「共犯者」へと翻訳し直したプラッツ少佐という、劇薬のようなカードがあった。

 

 

 俺はルックの視線を避け、冷え切ったキューベルワーゲンの無線機に手を伸ばした。

 プラッツにのみ通じる秘匿回線を開き、一切の感情を剥ぎ取った声で、冷徹な「請求書」を叩きつける。

 

 

「……少佐。第7先遣隊へ、燃料と食糧を回せ。軍の帳簿には載らない『予備』……アインザッツグルッペンの隠し財産があるはずだ。……それを使え。これは命令ではない。我々の共同投資を、破綻させないための維持費だ」

 

 

 無線越しのプラッツは、毒を飲むような沈黙のあと、掠れた声で応じた。

『……了解した、シュミット少尉。貴様の言う通りにしよう。……だが、これで私は、軍需物資横領の罪まで背負うことになるぞ』

 

 

「今さら何を。……地獄の席順は、もう決まっているんです。一人で座るのは寂しいでしょう?」

 

 

 数時間後。

 闇に紛れて、軍の識別番号を雑に塗り潰された数台のトラックが、音もなく陣地に滑り込んできた。

 

 

 中から出てきたのは、極上のガソリンと、どこかの村から略奪したのかも分からない、戦場には不釣り合いなほど贅沢な食糧の山だった。

 

 

 歓喜の声を上げる兵士たちの中で、ルックだけがその物資を、不審そうに見つめていた。

 

 

「シュミット、この物資は……一体どこから手配した? 司令部の公式な記録には、こんな輸送計画はなかったはずだ」

 

 

 ルックの曇りのない瞳が、俺の横顔を射抜く。

 俺は、血の匂いのする焼きたてのパンを一つ手に取り、平然と答えた。

 

 

「プラッツ少佐が、独断で融通してくれたものです。……彼は我々の戦果に期待しているんですよ。手段はどうあれ、これで戦車は動き、部下は飢えずに済む。……結果がすべてです、中尉」

 

 

「プラッツが……? 奴がそんな無私の行動を……。……いや、違うな。君が、何かをしたんだな?」

 

 

 ルックは、手渡されたパンを見つめ、やがて苦渋に満ちた表情でそれを口にした。

 清廉な騎士が、生き延びるために泥を啜ることを選んだ瞬間だった。

 

 

 彼は知ってしまった。

 自分たちが今、口にしている「命の糧」が、友人の卑劣な交渉と、汚れた利害によってもたらされたものであることを。

 

 

 死を訳し、生を編む。

 

 

 だが、その編み糸は、もはや真っ黒に汚れていた。

 ルックの手までもがその糸を掴んだ時、俺たちの純粋な友情は、出口のない「共犯者の連帯」へと変質してしまった。

 

 

「……美味しいですよ、中尉。誇りを抱いて死ぬよりは、ずっとマシだ」

 

 

 俺の声は、凍てつく夜風に溶けて消えた。

 ルックは何も答えず、ただ重い沈黙だけが、二人の間に壁のように居座り続けた。

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