第18話 沈黙の審判
集合場所となった角地は、家財道具を抱えた群衆の吐息と、冷え切った秋風が混じり合い、異様な熱気を帯びていた。
赤ん坊の泣き声、老人の咳き込み、そして状況を理解できずに親の裾を掴む子供たちの無垢な瞳。
俺は、通訳官としてその最前線に立っていた。
隣ではプラッツ少佐が、退屈そうに銀の時計を眺めている。彼にとって、これは「清掃作業」に過ぎない。
(……助けられるか?)
俺は群衆の中に視線を走らせた。
一人の少女と目が合った。彼女は、俺が昨日裏庭でギターを弾いていたのを見かけていたのか、一瞬だけ縋るような光をその瞳に宿した。
俺の手が、腰の拳銃のホルスターを、あるいは胸ポケットのペンを握ろうと微かに動く。
だが、その瞬間、俺の脳裏に「史実」の光景が、スライドショーのように冷酷に流れた。
――ここから谷へ続く道には、何重ものSD(保安部)の包囲網がある。一人の子供を連れ出したところで、次の検問で撃ち殺されるだけだ。そうなれば、俺の「予言者」としての地位は崩れ、これまで救ってきたルック中尉や、部隊の連中の運命までが、濁流に飲み込まれて消える。
俺は、少女から視線を逸らした。
石畳の冷たさが、ブーツの底を通じて心臓まで凍りつかせていく。
「シュミット、何を黙っている。奴らに伝えろ。『荷物を置いて、五列に並べ』とな」
プラッツの声は、背後から突き刺さるナイフだった。
俺は、乾ききった喉を動かした。自分の声が、自分のものではないような、遠い場所から響いているように感じた。
「……全通告。荷物をここに置き、五列に並べ」
俺のロシア語が、街角に響く。
それは救いの手ではなく、彼らを谷へと突き落とす最後の一押しだった。
救うことは、できなかった。
いや、俺は、救わないことを「選んだ」のだ。
数万人の命を代償に、自分の命と、自分が書き換えるはずの「これからの歴史」を買い取った。その取引の重さに、胃の奥が焼け付くように熱い。
群衆が動き出す。
列をなして歩き出す彼らの背中を、俺はただ、動かぬ彫像のように見送った。
一歩、また一歩と、彼らが「歴史通り」の奈落へ歩を進めるたびに、俺の心の中の何かが死に、代わってどす黒い「怪物」が目を覚ます。
死を訳し、生を編む。
俺は今、数万の死を訳し、自分の汚れた生を編み上げた。
空は、どこまでも青く、高く。
この日を境に、俺はもう、あの夜に奏でたような純粋なメロディを思い出すことは二度とないだろうと、確信していた。
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