第13話 預言者の指揮
泥の上に落ちたプラッツの煙草が、弱々しい煙を上げながら消えていく。
先ほどまで静寂を保っていた森の境界線は、今や百二十二ミリ榴弾の閃光と咆哮によって、耳を打つ地獄へと変貌していた。
降り注ぐ破片が、牽引されていたKV-1の装甲を叩き、硬質な金属音を周囲に撒き散らす。
「……信じられん。本当に、鳥の声だけだと?」
プラッツが呆然と呟いた。その顔は、死の瀬戸際を覗き込んだ者特有の青白さに染まっている。
俺は双眼鏡を下げず、レンズに映る着弾の衝撃から、逆算を開始した。脳内の「全史」が、この付近に展開していたソ連軍第百二十四砲兵連隊の配置図と重なり合う。
「少佐、驚いている暇はありません! 敵は今、自らの位置を曝け出しました。これは『罠』ではなく『獲物』です。我々の命を狙った代償を、利子をつけて返してやりましょう」
俺の声が、麻痺していたプラッツの思考を現実へと引き戻した。
彼ははっと我に返ると、運転兵の肩から無線の受話器をひったくるように奪い取った。
「全車、散開! 国防軍の砲兵隊に連絡しろ! 座標はすぐに伝える! ……シュミット、貴様だ! 奴らの喉元はどこだ!」
プラッツの口から出たのは「命令」ではなかった。それは、暗闇で灯火を見つけた男が、その光を掴み取ろうとする必死の「依存」だった。
「座標、東二二、北一七! 敵は六門編成の砲兵中隊、白樺の密集地のわずかに窪んだ地点に配置されています。……少佐、そのわずか五十メートル後方に、奴らの弾薬運搬車が隠れています。そこを叩けば、森ごと吹き飛びます」
俺の指示には、一筋の迷いもなかった。
プラッツは、俺が口にする数字を複唱するように無線兵に怒鳴り散らした。
「全砲門、斉射開始だ! シュミットの指示に従え! 国防軍、聞こえるか! 今すぐ撃ち込め! 奴らの肝を冷やしてやるんだ!」
数分後、ステップの彼方から、ドイツ軍の一〇五ミリ軽榴弾砲の重厚な唸りが空を切り裂いた。
それは目に見えない「鉄の指先」となって森へと降り注ぎ、やがて――。
――ズ、ドォォォォォォン!!
森の中央部が、内側から爆ぜるように盛り上がった。
俺の計算通り、弾薬車に引火したのだ。凄まじい誘爆の衝撃波が、俺たちのホルヒのフロントガラスを震わせ、白樺の木々がマッチ棒のようになぎ倒されていく。
黒煙は夕暮れの空へ高く舞い上がり、そこにはもう、死の罠を仕掛けた者たちの息遣いは残っていなかった。
プラッツは、双眼鏡越しにその地獄絵図を眺めながら、狂気を含んだ笑みを浮かべた。
「……見たか、シュミット! 貴様の言う通りだ! 完璧な……完璧な一撃だ!」
彼は、まるで自分の手柄であるかのように興奮して俺の肩を叩いた。だが、その指先はまだ微かに震えている。
彼は気づいているはずだ。俺という「翻訳官」を手放した瞬間、自分はただの目隠しをされた子供に戻ってしまうのだと。
死を訳し、生を編む。
俺は、プラッツという指揮官の心臓部に、消えない「依存」という名の楔を深く打ち込んだ。
ここから先、この部隊の羅針盤は、俺が握っている。
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