第12話 鋼鉄の妥協

プラッツが握るルガーの銃尻が、カタカタと乾いた音を立てていた。それは恐怖ではなく、一介の通訳官に公然と反を翻された屈辱、その沸騰するような怒りの震えだった。

 

車内の空気が、火薬の匂いよりも鋭く張り詰める。俺は彼の指が引き金にかかる直前、あえて声を一段落とし、懇願ではなく「冷静な進言」の形をとった。


「……少佐。私は何も、進軍を止めろと言っているのではありません。ただ、あの森に直接突っ込む前に、我々の『目』――少佐の指揮の正しさを、さらに確固たるものにすべきだと言っているのです」

 プラッツの眉がピクリと跳ねた。俺は、彼の傲慢な自尊心をなぞるように、慎重に言葉を選び継いだ。


「少佐の決断を疑う者など、この部隊には一人もおりません。ですが、もしあの森に本当に重砲が隠されているなら、それは少佐にとって『死の罠』ではなく、絶好の『獲物』ではありませんか? このまま突っ込んで無駄に被害を出すより、囮(おとり)で敵を炙り出し、国防軍の砲兵に座標を売る。それが、最も賢明な指揮官のやり方だと、愚考いたします」

 

『賢明な指揮官』。その響きが、プラッツの怒りの熱をわずかに、だが確実に奪った。

 彼は深く煙草を吸い込み、吐き出した紫煙の渦の向こうから、俺を値踏みするように睨みつけた。


「……いいだろう。一時間だけ貴様の『鳥の勘』に付き合ってやる。だが、もし森が空っぽだったなら、シュミット……貴様をその場で降格させ、一兵卒として最前線の斥候に放り込んでやる。犬死にさせても、誰も文句は言うまい」


「承知いたしました」

 

俺は心の中で、ようやく冷や汗を拭った。

 車列がゆっくりと動き出す。国防軍のレッカー車に牽引された鹵獲KV-1が、まるで動く巨大な墓標のように、白樺の森の正面へと進み出た。湿った泥濘を引きずり、重苦しい金属音を立てながら。

 五分、十分……。

 森は、相変わらず不気味なほどの静寂を保っている。

 プラッツは苛立ちを隠せず、ルガーのグリップを何度も握り直した。周囲の兵士たちも、俺の「予言」が外れるのではないかと、不安げに顔を見合わせている。

 やがて、その時が来た。

 双眼鏡の視界の中、白樺の密集した影が、不自然な「火花」で爆ぜた。

 

 一秒後、耳を裂くような重低音が、地面を揺らしながら平原に響き渡る。

 

KV-1のわずか数メートル横の地面が、地底の巨人が息を吹き出したかのように、巨大な泥の柱を天高く噴き上げた。百二十二ミリ榴弾の直撃。

 

もし、予定通り車列が突っ込んでいれば、そこは俺たちが今まさに通過していたはずの場所だった。

 プラッツの口から、火のついたままの煙草が、音もなく泥の上に落ちた。

 彼の顔は、怒りも苛立ちも一瞬で消え去り、代わりに純粋な「戦慄」が張り付いていた。彼は隣に立つ俺を、もはや自分と同じ人間として見ていなかった。


「……シュミット。貴様、本当に鳥の声だけで、これが見えたのか?」

 

俺は返事をせず、自分たちの命を飲み込むはずだった黒煙を見つめながら、ただ静かに頷いた。

 

死を訳し、生を編む。

 

俺という異物は、この戦場の「歴史」という名の巨大な急流を、たった一言で捻じ曲げてしまったのだ。

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