第4話 死角の代償

向日葵の太い茎が、逃げる俺の顔を容赦なく叩き、肺の奥には焦げた土の匂いがこびりついて離れない。

 背後では、分遣隊のMG34が乾いた悲鳴を上げ、鋼鉄の巨躯に向かって無駄な弾丸を撒き散らしていた。だが、T-34の傾斜装甲にとって、そんなものは激しい雨音と変わらない。

 

俺は泥に這いつくばりながら、鋼鉄の死神の「呼吸」を読んでいた。

 七十六ミリ砲が火を噴くたびに、大気が暴力的に震え、鼓膜が痺れるような衝撃に晒される。


(……一九四〇年型。視察スリットは狭く、潜望鏡の配置も絶望的だ。そして何より、奴らはまだ『ドイツ兵が一人で、徒歩で向かってくる』などとは夢にも思っていない)

 俺は腰の収束手榴弾――M二四柄付手榴弾を七個束ねた、ずっしりと重い「急造爆薬」の感触を確かめた。

 

戦車の右後方、ディーゼルエンジンの咆哮が最も高く響く位置へ、俺は音もなく滑り込む。

 多言語の能力が、鉄板越しに敵の焦燥を聞き取った。


『クソッ、どこへ消えた! 誰も見えないのか!』

『操縦手、バックだ! 距離を取れ、踏み潰してやる!』


(遅いよ、同志(タヴァーリシ))

 

俺は一気に立ち上がり、T‐34の無骨な背中――熱を帯びたエンジンデッキの上に躍り出た。

 足裏から伝わるディーゼルの凄まじい振動。熱せられた鉄と、未燃焼ガソリンが混じった、むせるような熱気。

 俺は収束手榴弾の信管を引き抜き、砲塔の付け根――ターレットリングの僅かな隙間に、祈るようにそれをねじ込んだ。


「グッバイ、死神。……また地獄で会おう」

 

飛び降りると同時に、向日葵の野に体を投げ出す。

 数秒後、世界が爆ぜた。

 ――ズ、ドォォォォォォン!

 

空気を力任せに押し潰すような衝撃波が、俺の背中を叩きつける。

 ターレットリングを内部から破壊されたT‐34は、自慢の砲塔をあらぬ方向へ傾け、黒煙を上げて沈黙した。不規則に乱れたエンジンの回転が、やがて断末魔のような金属音を立てて止まる。

 

静寂が、不気味なほど急激に戻ってきた。

 俺は立ち上がり、制服についた砂埃を払いながら、ゆっくりとハッチへ歩み寄った。

 中から煤まみれになって這い出してきたのは、まだ少年の面影を残したソ連兵だ。俺は多言語の能力を使い、冷徹なロシア語を突きつけた。


「手を上げろ。動けば、次はハッチの中に手榴弾を放り込む」

 

ソ連兵は、幽霊か悪魔でも見るような目で俺を見上げ、力なく両手を挙げた。

 そこへ、顔を引きつらせたプラッツたちが駆け寄ってくる。


「……信じられん。たった一人で、あの化け物を黙らせたというのか」

 

プラッツは、破壊されたT‐34の無骨な装甲をルガーの銃口で小突き、それからゆっくりと俺を見た。その目はもはや、有能な部下を愛でるそれではない。得体の知れない「奇跡」を平然と行う、預言者を見る目だ。


「シュミット少尉、貴様……一体何者だ? 何を知っている?」

 

俺は燃える戦車から立ち上る黒煙を見つめたまま、表情一つ変えずに答えた。


「私はただ、あいつの『死角』を知っていただけです。……少佐、捕虜の尋問は俺がやります。こいつは第四機械化軍団の生き残りだ。面白い話が聞けるはずですよ」

 俺は戦車の陰で、震える捕虜の胸ぐらを掴んだ。

 

死を訳し、生を編む。

 

歴史という名のシナリオは、今、俺の指先でわずかに書き換えられた。

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