第3話 鋼鉄の死神と予言の轍(わだち)
タルノポリを後にした分遣隊の車列は、ウクライナの果てしない平原――ステップを東へと進んでいた。地平線まで続く向日葵の黄色は、踏み荒らされた黒い土と排気ガスに汚れ、空は不気味なほどに澄み渡っている。
「シュミット少尉、何をそんなに睨みつけている?」
ホルヒ830の助手席で、プラッツ少佐が煙草を燻らせながら尋ねてきた。俺は双眼鏡を覗いたまま、乾いた唇を開く。
「……空気の震えです、少佐。この先の窪地、私の『勘』では、何かが重すぎる」
俺の脳内には、前世で暗記した『第4a特務部隊・行動日誌』の断片が浮かんでいた。
――1941年7月某日。タルノポリ東方にて、分遣隊はソ連軍の残存戦車による不意打ちを受け、車両数台を喪失。
記録には「散発的な抵抗」としか書かれていない。だが、戦車オタクとしての俺の記憶は、別の事実を告げている。この時期、この付近にはソ連軍の第4機械化軍団の生き残りが、ドイツ軍を震撼させる「怪物」を伴って潜伏していたはずだ。
「全車停止! 止まれ!」
俺の鋭い叫びに、運転兵が反射的にブレーキを踏む。後続のトラックが砂埃を上げて急停車した。
「どうした、シュミット。伏兵か?」
「それ以上です。少佐、聞こえませんか。あの独特の、金属が悲鳴を上げるような重い回転音。ディーゼル特有の、腹の底を叩くような地響きが」
プラッツが不審げに耳を澄ました、その時だった。
五百メートル先の緩やかな丘の稜線が、不自然に盛り上がった。
姿を現したのは、それまでドイツ兵が見慣れていた「脆いソ連戦車」ではなかった。
無骨で巨大な鋳造砲塔。傾斜した装甲が陽光を鈍く弾き、太い履帯がウクライナの黒土を容赦なく噛み砕く。
「……T-34。それも、L-11砲搭載の1940年型か」
俺の呟きと同時に、敵の初弾が放たれた。
凄まじい風切り音。車列の先頭を行くオートバイ兵のすぐ脇に着弾し、爆風がサイドカーを無慈悲に跳ね飛ばす。
「反撃だ! 3.7センチ対戦車砲を出せ!」
プラッツが叫ぶが、俺は即座にその腕を掴んだ。
「無駄です! あの傾斜装甲には『ドアノック砲』なんて通用しない。跳ね返されて位置を特定されるのがオチです!」
パニックに陥りかける隊員たちを尻目に、俺は記憶をフル回転させる。
T-34は確かに無敵に近い。だが、初期型の弱点は分かっている。視察装置の致命的な死角。そして、まだ未熟な乗員。
「少佐、車列をあそこの森の影まで後退させてください。俺に一挺のMG34と、数個の収束手榴弾を。……あいつの『目』を潰してきます」
プラッツは驚愕の表情で俺を見た。その眼底には、俺の「予知」を信じざるを得ないという、ある種の狂信的な色が混じり始めていた。
「……死ぬなよ、シュミット。お前のような便利な翻訳機を、こんな場所で失いたくない」
俺は返事をする代わりに、身を低くして膝まである向日葵の野に飛び込んだ。
多言語の能力が、風に乗って戦車の内部から漏れるロシア語を拾い上げる。
『どこだ! ファシストの豚どもはどこへ消えた! 砲手、右だ! 右へ回せ!』
(そこだよ、同志。お前たちが「見えない」場所だ)
俺は、後にドイツ軍を絶望させる「鋼鉄の死神」に向かって、たった一人で匍匐前進を開始した。
歴史を救うつもりも、ナチズムに殉じるつもりもない。ただ、この地獄を最後まで見届けるためのチケットを、この手で守り抜くために。
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