第六章 領主の招聘

応急処置が完了してから、本格的な工事が始まった。


 勝男は五百人の作業員を指揮して、城下町全体に水道網を張り巡らせる計画を進めた。


 まず、上水道。


 城下町の北にある山から、湧き水を引く。


 距離は約五キロ。高低差を利用した自然流下式の水道橋を建設する。


「水道橋?」


 辺境伯は怪訝な顔をした。


「橋で水を運ぶのか?」


「そうです。古代ローマ——いや、かつて栄えた文明では、このやり方で何十キロも水を運んでいました」


「ほう……」


 辺境伯は興味を示した。


「その古代文明というのは、どこにあったのだ」


「俺の世界の話です。この世界にも、似たようなものがあったかもしれません」


 勝男は以前、遺跡の話をリーゼから聞いていた。


「この近くに、古い遺跡はありませんか? 石造りの建造物の跡とか」


 辺境伯は考え込んだ。


「城下町の東に、崩れた石橋の跡がある。誰も何のための橋かわからないが——」


「案内してください」


 翌日、勝男は辺境伯の案内で遺跡を訪れた。


 そこにあったのは——


 水道橋だった。


 崩れかけているが、アーチ構造は明らかだった。上部には水路の跡。石材の組み方は、古代ローマの水道橋によく似ていた。


「これは……」


 勝男は息を呑んだ。


「この世界にも、かつて水道技術があったんだ」


 辺境伯が隣で言った。


「古代帝国の遺産だと言われている。千年以上前に滅んだ文明の」


「千年……」


「魔王との戦いで滅んだのだ。その時に、多くの技術が失われた」


 勝男は遺跡を見つめた。


 千年前の職人たちが作った水道橋。彼らは、どんな思いでこれを建てたのだろう。


 そして、なぜ失われてしまったのだろう。


「この技術を復活させます」


 勝男は言った。


「この遺跡を参考にして、新しい水道橋を建設します」


 辺境伯は目を輝かせた。


「できるのか?」


「できます。俺には、千年分の知識がありますから」


 水道技術は、千年の間に大きく進歩した。


 古代ローマの技術に加えて、近代の土木工学、材料科学、水理学。


 それらを組み合わせれば、この世界でも水道橋は建設できる。


 問題は、材料と人手だった。


「石材と、石を加工できる職人が必要です。それから、木材と、足場を組める大工。さらに——」


 勝男は計算した。


「陶器を焼ける窯と、陶工。水道管を作るためです」


「それだけの人員を集められるか……」


 辺境伯は難しい顔をした。


「領内だけでは足りないかもしれん」


「では、他の領地から呼んでください。報酬は払います」


「報酬?」


「俺の——俺のスキルで作った水は、売れるはずです。綺麗な水を欲しがる人は多いでしょう。それを資金にすれば——」


 辺境伯は首を振った。


「水を売るのか。それは……」


「何か問題が?」


「神殿だ」


 辺境伯の声には苦いものがあった。


「この地域では、『聖なる水』は神殿が独占している。一般人が水を売買するのは、神殿の権益を侵害することになる」


 勝男は眉をひそめた。


 神殿。


 転生時に老人が警告していたことを思い出した。


「神殿は、水の販売で儲けているんですか」


「ああ。神官が『浄化の祈り』を捧げた水は、高値で取引される。病人への『薬』として、あるいは『魔除け』として」


「その水は、本当に浄化されているんですか」


 辺境伯は黙った。


 答えは明らかだった。


「つまり——」


 勝男は言った。


「神殿は、効果のない水を高値で売りつけているわけですか」


「そう言い切れるかどうかは……」


「俺の水は効果があります。疫病を止めました。神殿の水はどうですか」


 辺境伯は答えなかった。


 しばらくの沈黙の後、彼は言った。


「勝男殿。お主の力は本物だ。それは認める。だが、神殿を敵に回すのは危険だ」


「俺は神殿を敵にするつもりはありません。ただ、綺麗な水を人々に届けたいだけです」


「それが神殿にとっては敵対行為になる」


 勝男は考え込んだ。


 日本でも、水道事業は政治的な問題を抱えていた。利権の絡み、行政の縦割り、住民の反対運動。


 この世界でも、同じことが起きるのだろう。


 しかし——


「やるしかないです」


 勝男は言った。


「神殿がどう出るかは、その時考えます。今は、水道を作ることに集中したい」


 辺境伯は溜め息をついた。


「わかった。私はお主を支持する。神殿が何を言ってきても、領内のことは私の権限だ」


「ありがとうございます」


 勝男は頭を下げた。


 こうして——


 水道橋の建設が始まった。


    *


 工事は順調に進んだ。


 辺境伯の号令で、領内各地から職人が集まってきた。石工、大工、陶工、鍛冶屋。


 勝男は彼らに技術を教えながら、工事を指揮した。


「この石の積み方を覚えてください。アーチ構造といいます。上からの力を横に分散させるので、長いスパンでも崩れません」


「へえ……こんな積み方、見たことねえな」


「古代の知恵です。でも原理は単純。石を楔形に加工して、互いに押し合う形で組む」


 職人たちは最初は懐疑的だったが、実際に石を組んでアーチが自立するのを見ると、目を輝かせた。


「すげえ! 本当に崩れねえ!」


「これを繰り返して、水路を支える橋脚を作ります」


 水道橋の建設と並行して、勝男は「配管職人ギルド」の設立を進めた。


 技術を継承するためには、組織が必要だ。


 勝男一人の力では、いずれ限界が来る。


「ギルドを作ります」


 勝男は辺境伯に申し出た。


「水道の建設と維持管理を専門とする職人の組織です」


「職人ギルドか。この地域にはまだないな」


「冒険者ギルドや商人ギルドはあるでしょう? それと同じです」


 辺境伯は興味深そうに頷いた。


「面白い。許可しよう」


 ギルドの設立は、予想以上にスムーズだった。


 水道工事に関わった職人たちが、次々と加入してきたのだ。


「あんたの下で働くのは面白い」


 石工の親方が言った。


「今まで知らなかったことを、たくさん教えてもらった。これをずっと続けたい」


「ありがとう。一緒に頑張りましょう」


 ギルドには、技能試験の制度を導入した。


 見習い、職人、親方の三段階。


 見習いは基本的な作業を学ぶ。職人は独立して工事を行える。親方は人に教えられる。


 勝男自身は「名誉ギルドマスター」の称号を得た。本来なら実務に関わらない名誉職だが、勝男は現場から離れるつもりはなかった。


 一年が過ぎた。


 水道橋の最初の区間が完成した。


 山から城下町まで、約一キロ。


 石造りのアーチが連なり、その上を水が流れる。


 完成式典には、辺境伯以下、領内の有力者が集まった。


 勝男は水道橋の終点に立ち、取水口の栓を開いた。


 水が流れ出す。


 山からの湧き水が、水道橋を通り、城下町に到達する。


 歓声が上がった。


「すごい……本当に水が流れてきた……!」


 勝男は手を水に浸した。


 【水質浄化】を発動する。


 光が広がる。


 水は完璧に透明になった。


「これが——」


 辺境伯が声を震わせた。


「これが、水道というものか」


「まだ最初の一歩です」


 勝男は言った。


「これから残りの四キロを完成させ、城下町全体に配水網を張り巡らせます。それから下水道。全部完成するのは、あと二年後の予定です」


「二年……長いようで短いな」


 辺境伯は水道橋を見上げた。


「しかし、見事なものだ。この技術は、間違いなく後世に残る」


 勝男は黙って頷いた。


 水道は残る。


 作った人間が死んでも、水道は残り続ける。


 それが、水道屋の誇りだった。


    *


 しかし——


 完成式典から一週間後。


 勝男のもとに、不穏な知らせが届いた。


「大神殿から使者が来ています」


 リーゼが慌てた様子で報告した。


「大神殿?」


「王都にある、この国で最も大きな神殿です。そこから——」


 リーゼは言葉を切った。


「あなたを異端者として告発する、と」


 勝男は目を細めた。


「来たか」


「知ってたの?」


「予想はしてた。神殿の利権を脅かしてるからね」


 勝男は窓の外を見た。


 水道橋が、夕陽に照らされて輝いている。


「でも、止まるつもりはない」


 彼は言った。


「水道を作る。綺麗な水を届ける。それが俺の仕事だ。神殿が何を言おうと、変わらない」


 リーゼは不安そうな顔をした。


「でも、異端審問にかけられたら——」


「その時は、その時だ」


 勝男は振り返った。


「今は、目の前の仕事に集中しよう。水道はまだ完成していない」


 神殿との対決は、避けられないものになりつつあった。


 しかし勝男は——


 逃げるつもりは毛頭なかった。

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