第四章 最初の工事

工事は三週間続いた。


 毎日、朝から日没まで、村人たちは水路を掘り続けた。


 最初は五人だった作業員は、少しずつ増えていった。病から回復した者、他の村から噂を聞いてやってきた者。十日目には、十五人になっていた。


 勝男は現場監督として動き回った。


 水路の傾斜を測る。石を組んで崩れやすい場所を補強する。途中に沈殿池を作って、大きな砂やゴミを沈める。


 全てが手作業だった。


 全てが試行錯誤だった。


 しかし、少しずつ形になっていく。


 川から村まで、細い水路が伸びていく。


 その先端には、勝男が設計した濾過装置があった。


 三つの木箱を階段状に並べたもの。一番上には大きな砂利。真ん中には細かい砂。一番下には木炭。


 水は上から順に流れ落ち、それぞれの層でゴミや汚れを取り除かれる。


「これでかなり綺麗になります」


 勝男は村人たちに説明した。


「でも、完璧じゃない。細菌——目に見えない小さな生き物は、これでは取れない」


「じゃあ、どうするんだ」


 ハンスが聞いた。三週間の作業で、彼は勝男の一番の理解者になっていた。


「俺のスキルで浄化する。濾過の後に、俺が手を当てれば、完全に綺麗な水になる」


「でも、お前がいないときは?」


 それは勝男も考えていた問題だった。


「煮沸です。火にかけて沸騰させれば、細菌は死ぬ。俺がいないときは、必ず煮沸してから飲んでください」


 村人たちは難しい顔をした。


 薪は貴重品だ。全ての水を煮沸するだけの燃料を確保するのは容易ではない。


「だから——」


 勝男は言った。


「できるだけ俺がここにいるようにします。毎日、朝と夕方に浄化を行う。それ以外の時間に水を使うときだけ、煮沸してください」


 それで納得してもらうしかなかった。


 理想を言えば、塩素消毒や紫外線殺菌の設備が欲しい。しかし、この世界にそんな技術はない。


 あるもので、できることをする。


 それが水道屋の仕事だった。


    *


 工事が完成した日、村は祭りのような雰囲気に包まれた。


 水路の終点には、石造りの水汲み場が作られていた。村人たちが持ち寄った石を、勝男の指示で積み上げたものだ。


「じゃあ、始めましょうか」


 勝男は濾過装置の出口に立った。


 後ろには村人たちが集まっている。病から回復した者も多い。村長も杖をつきながら、なんとか歩けるまで回復していた。


 勝男は手を水に浸した。


 水は命だ。


 今日は、いつもより長く力を注いだ。


 体から何かが流れ出ていく感覚。しかし、それと同時に、何かが返ってくる感覚もあった。


 水からのフィードバック。


 水が浄化されていく。不純物が消えていく。


 光が広がる。


 濾過装置から水汲み場へ。水汲み場に溜まった水全体が、淡い青白い光に包まれた。


 光が消えた時——


「おおお!」


 歓声が上がった。


 水は完璧に透明になっていた。


 澄み切った水面に、空の青が映っている。


 村長が杖をつきながら前に出た。


「田所殿……いや、勝男殿」


 彼はひざまずこうとした。


「やめてください」


 勝男は慌てて村長を支えた。


「俺は神様じゃない。ただ、水を綺麗にしただけです」


「しかし……この水は……」


 村長は目に涙を浮かべていた。


「この水があれば……村人は生きていける。お主は、我らの命の恩人じゃ」


 周りの村人たちも口々に感謝の言葉を述べた。


 中には泣いている者もいた。


 勝男は複雑な気持ちだった。


 感謝されるのは嬉しい。しかし、これは自分一人の力ではない。


「皆さんが働いてくれたから、完成したんです。俺一人じゃ何もできなかった」


 しかし村人たちは聞いていなかった。


 彼らは次々と水汲み場に集まり、水を飲み、顔を洗い、歓声を上げた。


 リーゼが勝男の隣に来た。


「すごいわ……本当にできた」


「まだ始まりですよ」


 勝男は水汲み場を見つめながら言った。


「下水道がまだだ。それに、この設備だっていつか壊れる。維持管理の仕組みを作らないと」


「そんな先のことまで考えてるの?」


「水道ってのは、作ったら終わりじゃないんです。使い続ける限り、維持し続けなければならない。それが本当の仕事だ」


 リーゼは不思議そうな顔で勝男を見た。


「あなた、本当に変わった人ね」


「よく言われます」


 勝男は苦笑した。


 その時——


 村の入口から馬の蹄の音が聞こえた。


 振り返ると、騎馬の一団が村に入ってくるところだった。


 先頭に立つのは、鎧を纏った若い騎士。その後ろに従者らしき者が数人。


「何者だ」


 ハンスが緊張した声で言った。


 騎士は村人たちの前で馬を止め、兜を脱いだ。


 若い男だった。二十代半ばだろうか。端正な顔立ちだが、目は鋭い。


「辺境伯ヴェルナー様の使者として参った」


 騎士は村人たちを見回した。


「この村に、『水の聖者』がいると聞いた。どれだ」


 村人たちはざわめいた。


 視線が勝男に集まる。


「俺ですか」


 勝男は前に出た。


「水の聖者じゃありませんけど」


 騎士は勝男を値踏みするように見た。


「お前が水を綺麗にしたのか」


「ええ、まあ」


「その力を見せろ」


 勝男は眉をひそめた。


「見せろ、ですか」


「辺境伯様の命令だ。お前の力が本物かどうか、確認せよとのことだ」


 横柄な態度に、勝男はカチンときた。


 しかし、ここで逆らっても何も良いことはない。


「いいでしょう」


 勝男は水汲み場に向かった。


 新しく汲み上げられた水——まだ浄化していない水——がそこにあった。


 手を浸す。


 水は命だ。


 今日二度目の浄化。体に負担がかかるが、仕方がない。


 光が広がる。


 騎士は目を丸くした。


「本当に……光って……」


 浄化が終わると、勝男は騎士に向き直った。


「これで満足ですか」


 騎士は黙って馬を降りた。


 そして、水汲み場に近づき、水を掬って飲んだ。


「……美味い」


 騎士は呟いた。


「この水は……城下町の井戸水より遥かに……」


「当たり前です。浄化してますから」


 騎士は勝男を見つめた。


 先ほどまでの横柄さは消えていた。代わりにあるのは——驚嘆と、何か別の感情。


「辺境伯様がお召しになる」


 騎士は言った。


「ヴェルニアへ来い。この力を城下町で使ってほしいとのことだ」


 勝男は困った顔をした。


「城下町? 俺はこの村の水道をまだ完成させてないんですけど」


「村の水道?」


「下水道も作らないといけないし、維持管理の仕組みも——」


「そんなことはどうでもいい」


 騎士は遮った。


「城下町では毎日何十人も死んでいる。疫病が蔓延して、医者も神官も手が出せない。辺境伯様は藁にもすがる思いで——」


 騎士は言葉を切った。


「頼む」


 彼は頭を下げた。


「城下町の五万人を救ってくれ」


 勝男は驚いた。


 あれほど横柄だった騎士が、頭を下げている。


「……わかりました」


 勝男は言った。


「ただし、条件があります」


「条件?」


「この村の水道を維持する人員を確保してください。俺がいなくなっても、村人が自分たちで管理できるように」


 騎士は頷いた。


「わかった。辺境伯様に伝える」


「それから——」


 勝男はリーゼを見た。


「彼女も一緒に行きます。俺の助手として」


 リーゼは驚いた顔をした。


「え? 私?」


「あなたは頭がいい。この三週間で、水のことをかなり理解してくれた。城下町の仕事は規模が違う。一人じゃ手が回らない」


 騎士は困惑した顔をしたが、すぐに頷いた。


「それも辺境伯様にお伝えする。おそらく許可は下りるだろう」


 こうして——


 勝男の活動は、小さな村から城下町へと広がっていくことになった。


 水道屋の異世界生活は、まだ始まったばかりだった。

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