回想14
先生がいなくなって、早くも三年がすぎようとしていた。それでもこの三年、世界が正常にまわっていたということは、やはり先生の生きる理由も、この世界からしたら大して価値のない、個人的で些細なことだったのだろう。何回目だろうか。ふと甘いものが食べたくなるように、ふと、死んでもいいと思った。先生がいないのだから。
「私は結局生きる理由に…先生に、依存していたのでしょうか。」
問いかけの答えは返ってこない。私は全てのやる気がなくなって、目の前にある宿題を放置したまま、ベッドに倒れこみ、深く息をつく。昔は宿題のやる気がなくなったら代わりに小説を書いていたのに今ではそれすらしないのは、きっと、今机に向かっても、何も書けないからだ。あるいは書きたくなるのは先生が主人公の小説だからだ。感情が黒いインクとなり、小ぎれいに飾った人生を汚さないようにするためだ。私は小説を書かなければならない。でも、今はかけない。いつ私は大人になるだろうか。明日か明後日か。大学生とか、社会人になってからだろうか。いやだな、めんどくさい。生きていたくない。死んでもいいんじゃないだろうか。何回目かわからない溜め息を溢す。それでも、宿題の最後が。感動の小説のラストが。白紙というわけにもいかないだろう。白紙では始まらなかった物語なんだから、最後まで文字を埋めなければ。それが誠実さだ。私の生きる理由は私が小説を書くことだった。じゃあ、なんで小説を書くのだろうか。私は誰のために小説を書くのだろうか。やっぱり私は、「先生のくれた」生きる理由に依存していたのか。いや、きっと運命なんだろうな。考えるのが飽きた私はふてくしてそう結論付ける。駄目だ。なにも書けないし、なにも考えたくない。そのまま目をつむる。
夢を見ていた。気がする。どうやらうたた寝をしてしまったみたいだ。結局今日はもうどうしてもやる気が出なそうだ。とりあえずベッドから身体を起こし、放置したままの宿題を本棚に押し込む。その拍子に、本棚の隙間から封筒が出てきた。なんだっけとそれを拾って、脳裏に先生の記憶がフラッシュバックする。忘れていた。忘れようとしていた。忘れることができていた。それは、先生が私に原稿用紙を返してくれたとき、間に挟んでいたものだ。タイトルは「遺書」。遺書というのは、きっとその人の人生をかけた小説なのだと、不謹慎でもそう思った。読みたくない気もするし。読みたい気もする。気づいたら私は、封を切っていた。
「叔母さん。叔父さん。話があるんだけど。」
私は家でテレビを見ていた二人に話しかける。
「どうしたの?あらたまって。」
二人はテレビを止めてこっちを向いてくれた。やっぱり、向き合おうとしていなかったのは叔母さんたちじゃなくて、私の方なんだ。今さらになって、ようやく私は理解した。もし私が、初めから向き合えていたら、私の生きる理由は、私の将来の夢は、私の書く小説は、結末は。変わっていたのだろうか。それは意味のない仮定だ。まだ逃げたい。逃げたい。逃げたい。それでも私は、今この瞬間と向き合わなければならない。
「私の将来の話です。」
叔母さんは黙ってうなずき、叔父さんは少し驚いたように目を開く。
「尊敬している人がいたんです。」
先生の顔を思い出す。私もあんな風に、人懐っこく笑えるだろうか。
「その人が、私に生きていてほしいといったんです。」
先生の瞳を思い出す。私もあんな風に、生徒を見てあげれるだろうか。
「教師なんですよ、その人。」
先生の言葉を思い出す。私もあんな風に、優しい言葉をかけれるだろうか。
「びっくりするくらいお人好しで。」
先生の温もりを思い出す。私もあんな風に、誰にでも手を差し伸べられるだろうか。
「だから、私は、先生になりたい、気がします。」
叔母さんと叔父さんは顔を合わせて、それから私を見てほほ笑んだ。今まで何度も見た、温かい笑顔だ。先生以外でも作れるのか。いや、きっと、私がそれを見ないようにしていただけかもしれない。
「いいわね。きっとどんな生徒にも優しい、いい、先生になれるわ。」
「なれるさ。自分で決めた道なら。」
叔母さんも叔父さんも、先生が誰なのかを聞かなかった。小説を書くのをやめるのか聞かなかった。ただ、私の夢を応援してくれた。
「聞いてください。先生のことを。すごくお人好しなんですよ。」
私は、確かにあった私と先生の物語を語った。もう二度と読めない、物語を。
朝。もはや見慣れた道を歩く。見慣れた学校につく。見慣れた教室で、見慣れたクラスメイトに挨拶して、人生に飽きる。高校生になっても、結局生まれるのはいつも通りの日常だった。繰り返される日常。皆は呑気にたわいない雑談をしている。他校の生徒が死のうが、他校の先生が死のうが、彼女たちの生きる理由が色あせることはない。それはそうか。考えてから、それが八つ当たりだと認める。だって、他人の生きる理由も死ぬ理由も、興味はないはずだ。だから「私」と「先生」だったはずじゃないか。私は先生を疎ましがっていた自分を思い出す。知らない他人の生死に口をはさむ先生を思い出す。
「ゆーりちゃんは誰かいないの?好きな人。」
ちょうど先生の顔を浮かべているときにそう聞かれて、少しびっくりする。
「いないよ。」
私は先生のことどう思っているんだろう。
「いないの?もったいない。可愛いから誰でもつかまりそうなのに。あ、かず君はやめてね、私が好きなんだから。」
好きではあるんだと思う。その知らない名前の男や、その名前をわざわざだす彼女よりも。
「いないって。佐藤君も私はそんな仲いいわけじゃないし。」
でも、それはどういう好きなんだろうか。恋愛なんかじゃないし、友情とかも違う。恩愛も違う気がする。尊敬?それだけではないんだけど。
「みおもだめだからね!」
「はいはい、わかってるって。まったく、そんなに好きならさっさと告白しなよ。」
「無理い~」
考えるのはやめた。きっと運命なんだと思う。会話が続いている。日常が続いている。みんなの生きる理由は何だろう。私は口を開こうとして、やめた。私は他人の生きる理由に興味はないはずだ。それを先生のせいにし、成長という名前の自分への言い訳にすることは、先生が主人公でなくなったあの日から、許されてはいけないことだ。もしそうすれば、私の小説はその瞬間、無価値になるから。だから私は、日常を続ける。飽きてもなお。
「なんか。」
放課後。みおちゃんが、集めた生徒たちのノートをまとめながら、私に聞く。
「いいことあった?」
先生の指示通り出席番号順にノートを並べ終えて、私へ向き直る。
「…?」
そんな心当たりはなくて、私は首をかしげる。私の表情を見て彼女は「あ、違った?」と笑った。相変わらず、可愛い顔で笑う。先生とは違う、いい笑顔だ。私ってそんなにわかりやすいだろうか。
「そ?にしてはずいぶん、楽しそうだったから。」
彼女は机に座って、楽しそうに足をぶらぶらさせる。まるでなにかいいことでもあったかのようだ。
「強いていうなら。」
いつも見透かされるのが悔しくて嬉しくて、私は少しもったいぶる。
「小説。」
「え?」
「私、小説を書くことにしたんだ。」
いつだかと全く同じセリフを吐いたのに、みおちゃんは何も聞かずに「かっこいい」と言ってくれた。私の小説は、生きた理由は、どうなるだろうか。誰かを救えるのだろうか。お願いだから、誰も救われないでほしい。書き終わったら、死なせてほしい。なぜなら、小説はもう、私の死ぬ理由にはなっても、生きる理由にはなりえないから。
「そう言うみおちゃんは、何かいいことあった?」
私が聞くと、みおちゃんはにやりと不敵に微笑む。
「そう思う?」
「うん。」
「正解。」
みおちゃんはどんないいことがあったかは言わなかった。私もそれを聞きはしなかった。私たちの話題はそれから駅前のカフェに移って、それから今人気の本の話しに移って、それから、他にもたくさんの話をした。お喋りは帰り道の、二人が違う方向になる曲がり道まで続いて、最後にみおちゃんが「小説、完成したらみせてよ?」と飛び切り可愛く微笑んで、バイバイをした。私たちの話はよくいる子供の他愛ない会話で、例えば誰かの、、私の生きる理由の話はしなくて、将来の話もしなくて。本当にたわいのない、よくある話だった。誰も私たちが背伸びしないことを咎めなかった。それはもっと早く知りたい事実だった。
私は机に座っていた。相変わらず宿題のやる気はないし、別に今でも書きたいのは先生が主人公の小説だ。それでも、もうそろそろ、私は先生の生徒じゃなくなったことを認めなければならい。いつまでも人は子供ではいられない。私は書けずにいた白紙の原稿を取り出す。ほんの一瞬、また悩んでから、書き始めた。
「背景 私が愛した先生へ。
先生のいない世界はまるで色を失ったようで、私は少し寂しい毎日を過ごしています。
こんな世界で長生きをしたいとは最後まで思えませんでしたが、それでも先生のおかげで私は生きる理由を見つけることができました。
先生が何と言おうと、私は先生に救われました。
私の小説が救えない人を救えると言ってくれた先生のために、私は生きてこの小説を書き続けたいと思います。」
書いてから、なんか違うなと思った。その原稿をくしゃくしゃにして捨て、また新しい原稿を出す。現実逃避のために書き始めた妄想は、いつの間にか現実から逃げないための私の生きる理由になっていた。それは私の望んだ結末で、先生の用意してくれた優しい呪いだ。だったら、私は惨めでありきたりでつまらなくても、私の小説を書くべきだと思った。
私は私のペンをとった。
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