「先生の遺書」

 これは遺書ではあるが、結莉という人物に送る、一種の手紙のようなものだ。よっぽどのことがない限り大丈夫だと思うが、君がもし不和結莉でないのなら、この手紙をこれ以上読み進めることなく、もとの場所に収めてほしい。


 では改めて。最初に、この遺書は俺の弱さだと思ってくれ。君への、そして自分への言い訳。逃げ。ここに全てを書けば君が救われると思ってる。俺が救われると思っている。それが事実かどうかは、死んでるであろう俺にとって重要ではなくて。大切なのはこれを書く俺と、これを読む君が、俺をどう評価するかだと。

 まずは謝罪させてほしい。君という小説が完成する前に先立つことを。君という存在の生きる理由を勤めきれなかったことを。この遺書を君が読んでいるということは…いや、「遺書」というタイトルの、俺の作品を読んでいるということは。君は俺を殺したんじゃないかと思う。君の中で俺が、「先生」でなくなる前に。ただ、俺ははじめから君に期待されるほど大した人間ではないのだということを弁明させてほしい。初めて会ったあの日。俺は君に声をかけることを選んだ。それは単に偶然で、俺でなくともきっと君に声をかけようとする人はいたと思うし、俺ももう少しはなれた場所にいたら君の動向には気づかなかったと思う。あの日俺が君に声をかけたことは俺たちにとって奇跡にも近いことで、運命的で、それでいて、致命的だったのだろう。全ては俺が君に手を差し出して、君が俺の手を振りほどかなったことから始まったのだ。

 君との話をする前に、少しだけ俺の過去を話してもいいだろうか。比べると君に失礼かもしれないが、俺は、君と全くちがう境遇で育ったにも関わらず、ある意味君と同じく親に縛られていたところがあった。父は今時珍しい、純粋な正義感で動くタイプの人だった。いや、珍しいなんていったら失礼なのかもしれないが、少なくとも父はそういう人間だった。もちろん、そんな父親を尊敬していたし、こんな人間になりたいと強く思った。まあ、そんな人だったから、性格的に、子供を庇って車に轢かれたという話を聞いても俺は驚かなかった。ただ、父がいつ死んでもいいように遺書を書いていたということにはさすがに驚かされたが。この遺書にはなんて書かれていたと思う?いや、こんな書き方しておいて、別にそこまで珍しいことが書いてあったわけではなかったんだけども。でも、それは俺にとって呪いとなってしまった。もちろん父はそんなつもりはなかったのだと思う。いや、断言しよう。なかった。ただ一言、「俺の分まで優しく生きて欲しい」という言葉が、俺に呪いをかけた。俺の小説に、黒くて消えないインクで、文字を書いた。綺麗すぎる黒色で。その言葉が俺の生きる理由になった。良くも悪くも。父に憧れてた俺にとって、父の分までというのはなかなか難しい話だった。父とは違うやり方ではあったけど、目に見える範囲の全ては見ようとしたし、手の届く範囲の全ては拾おうとした。別に全てを救えると思ったわけじゃないけど、それくらいの気持ちで努力した。拾って救って、生きて。自分で言うのもなんだけど、それなりには立派にやったと思う。そしてあの日、目に見える範囲に、手の届く範囲に、君がいた。「俺」の物語は、そこから始まる。

 悪かったね。ここからが本題なんだ。俺が、手を伸ばしたところから。君はすごく迷惑そうな顔をしてたね。ため息をついて。あぁ、目が死んでいたのも覚えてる。それでも、救いを求めて差し伸ばされた手に甘えてしまうのが、君が自分の中に隠そうとした、本当の君なんだと今になって思う。俺たちに救いなんて、初めから無いのにな。あとは君のしってる通りだ。笑えるだろう。君に生きる理由について個人的なものだと説いておいて、自分はしっかり縛られているなんて。失望しただろう。だから俺は君の気持ちはわかりたくないほど良くわかったし、君に俺のことは理解されてはいけないと思った。たぶん、お互いに無意識にわかっていたんだ。俺と君は先生と生徒でいなければならなかった。他人でいなければならなかった。間違ってもそれは友達でも、恋人でも、家族なんかでもなく、ただ、そういう関係だということを。そうでなくなれば、俺と君の関係は破綻してしまうから。君は俺に先生という職業をくれた。俺は君に生徒という職業をあげた。俺が先生だったのは、君が生徒だったからだ。いつか俺が君の先生じゃなくなって、君が俺の生徒じゃなくなってしまうのだとしたら、この遺書が読まれているときがそのときなんだろう。

 原因はたくさんあった。なぜなら俺と君の関係は、前提から狂っていたから。でも、確実な「きっかけ」は明確でわかりやすかった。俺の生徒の自殺だ。自分で書くということが自らの傷口を抉るようですすまないが、こればっかりは認めない分には話が進まないから仕方がない。彼はいい生徒だった。いい生徒すぎたのだろう。気付けば彼はいじめられていた。いや、この表現は卑怯で適切ではない。気付けないうちに、彼はいじめられていた。これは言い訳にしかならないが、彼の受け持ちのクラスは一年だけで、二年以降は俺は別のクラスの担任をしていたんだ。だから彼とは放課後くらいしか話す機会もなくなり、日頃の彼を見ることは失くなっていたんだ。それでも放課後に見る彼は元気そうで、それを空元気と見抜けない俺は彼が自殺を選択するその日まで、彼には生きる理由があって、将来の夢があって、それでいて、将来があるものだと、信じていた。本気で信じていたんだ。いまでも鮮明に思い出す。教室で首を括っていた彼の姿を。端的で簡単な彼の遺書を。俺は彼に生きる理由を教えてあげられなかったどころか、彼をいじめている人たちの生きる理由を、そして彼の死ぬ理由をも、肯定してしまっていたらしい。そのことを、君は責めなかったね。あのときの言葉が君の本心かどうかはわからないけど、あのとき、君の本心かどうかわからない言葉に縋ってしまったときに俺はたぶん、主人公としての「先生」じゃなくなったのだろう。それでも俺は、君の物語の主役に一瞬でもなれていたことが嬉しいし、今後、君の物語の主人公が君となることが嬉しい。嫌味とか、負け惜しみとかでなく。こういうと傲慢かもしれないが、俺は救われる人しか救えない。君と違って。逆に君は、救われない人を救える。救いを必要としているのは、きっと当たり前に、救われない人だったんだ。だから俺は、君の小説は誰かを救えると思ったし、君の、救われない誰かを救う小説の主人公であれたことが嬉しい。その小説のためにもし死ぬことができるのなら。それは俺が俺の生きる理由を失う前に、君の「先生」として死ぬ理由になれることだと光栄にすら思う。こんなことを告白されても困るかもしれないが、だからもし万が一君が罪悪感に苛まされているのだとしたら、どうか気にしないでほしい。

 さて、最後に。俺は君のことを呪った。君に生きる理由をあげた。同時に、死ぬ理由もあげた。小説は、いつか終わる。これは白紙の小説と、黒いインクだ。俺なりの、優しい呪いだ。君の白いページを、汚す。あった逃げ道を塞ぎ、ない逃げ道を作る。君は俺のことを先生と呼ぶけど、俺はそんな尊い大人では最初からなかったし、どんなに時間をかけてもきっと俺には父親のような尊い大人にはなれないんだ。俺は俺にしかなれなかった。道を一本しか用意して上げられない、意地悪な大人にしか。君は小説を描くのが好きだと言った。あのときの君の顔が、最初で最後の、君の顔だった。あのとき俺は、こう思ってしまった。と。なんだ、君は君をもっているじゃないか、と。勝手に仲間だと思っていた人が離れていく感覚。君は俺の理解者で、俺は君の理解者でいて欲しかった。そうであってはいけないのに。そうであってほしくないくせに。だから俺は君に生きる理由を与えてしまった。君の中の汚れていない部分を、生きる理由という縛りにしてしまった。俺の死んだ今、果たして君は無事呪われているだろうか。俺は君の真っ白なページに、黒いインクを垂らせたのだろうか。君が小説を書き終えたとき、俺は、俺のインクは、君の死ぬ理由になれるだろうか。俺が君に殺されてるということは、きっとそれが叶ってるんだと思う。自意識過剰かもしれないが、だって君はきっと、俺に君の先生であってほしかったんじゃないかと思うから。それを諦めていたら、君は。いや、俺たちは、本当の意味で自分の生きる理由を見つけられていたのかもしれない。でもそれは可能性の話で、しかも、俺たちが他人である以上、答え合わせをすることはない話だ。

 結局。生きる理由とは。死ねる理由とは。なんなのだろうか。俺にはそれがわからなかった。君にもわからないでほしい。もしそれを君が理解したとき、それが。

それこそがきっと、既に死んでしまった俺の、生きる理由になってしまうから。

~和田悠理~

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