執筆13

 今でもまだ、目をつむると思い出せます。あの日の色を。匂いを。味を。音を。天気も気温も湿度も、先生の優しい顔も。五感で感じれるもの全てを。あの日は悪いことは何一つありませんでした。私は水が跳ねるのを見るのが好きでしたから雨も嫌いじゃなかったですし、気温も暑すぎず寒すぎず心地よい温度で、湿度に関しては少し高かったですが、乙女の私にとって皮膚が乾燥して割れるよりましでした。あ、でも、髪がうねるのは少し嫌だったかもしれませんが。つまり、別にイライラしてたからとか、そういう一時の感情で先生を殺したわけではないという言い訳を、ここに長々と書いていたわけです。じゃあなんでかと聞かれると、これは言葉にするのが難しいのですが、先生が私にとって、私より私に重要な存在となってしまっていたからです。なんか変な日本語ですね。伝わってくれるでしょうか。先生は私の小説で、主人公になったんです。先生の狙い通り。その小説で私は先生の友人で、或いは恋人で、或いはライバルで、或いは…生徒なんだと思います。そんなモブの私にとって、我が儘に聞こえるかもしれませんが、主人公が堕落してモブより何者でもなくなるのは耐えられませんでした。ですから私は、先生を再び輝かしい主人公にするか、私が物語の主人公になるかのどちらかを選ばなきゃでした。でも、やっぱり子供な私には、自分でどっちを選ぶって言うのはできなくて、それで先生にどっちがいいのか確認をとったのです。先生が前者を選んでくれたのなら簡単だったのですが、先生は後者を選んだので、私は立派な主人公として物語を盛り上げるために、ある程度は生きなきゃとなってしまいました。主人公としてまだ白紙のページの中央にたつというのは、こうも視界が広くて、白くて、死にたいものなのですね。いえ、これはどちらかというと死ぬ理由というよりかは先生が死んだ後で私が生きている理由に近いかもしれないですが。言葉にすることは難しいですが、言葉にすることが私の誠実さであるのでもっと正確にあの日の私についてを書き留めたいと思います。まず知ってほしいのは、私は本当にちゃんと、先生に生きていてほしいと思っていました。でも、先生はあの日、「誰も救えない俺が生きてていいのだろうか」とこぼしました。生きる理由が個人的な物であるということは、死ぬ理由も個人的な物なんだと思います。そして、それは唯一の私と先生の違いで、先生の考えの一番大事な、一種の曲げられない信念の一部だったと思うのです。なぜなら先生は私が生きること以上に、私が生きる理由を見つけることを、それに私が満足できることを祈ってくれていましたから。もしそうなら、先生の生きる理由や死ぬ理由には私はなれなくて、同時に私が先生に生きていてほしいというのは意味を成さないただのエゴであり、先生が自分の生きる理由に疑念を抱いた瞬間に、それはもう、先生の中で瓦解しているんだと思いました。なので、私はせめてもの恩返しとして、ただ廃れていく先生がこれ以上私にとっての何者でもなくなる前に、そして、先生にとって何者でもなくなる前に、私に芽生えた優しい憎悪と冷たい恵愛で、先生を殺そうと思ったのです。

 何回でも伝えますが、私の生きる理由は、当時も今も、どうしようもなく先生なんですよ。

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