回想8
「ごめんなさい。」
開口一番にそう言えたのは、私の成長とかそういうのでもなんでもなくて、母親と一緒に住んでた頃に身体に染み付いた、習慣みたいなものだった。だから、この言葉が消えた後で、もう一度、今度は私の意思で謝罪を口にする。
「迷惑をかけてごめんなさい。」
「いいの。いいのよ。私の方こそ、あなたの気持ちを汲んであげられなかったわ。ごめんね。私はただ、怖かったの。あなたが縛られ続けるのが。本当にあなたに自由に生きてほしいの。生きたいように、生きてほしいの。」
叔母さんは目を潤わせながら、そんな感じなことを言っていた。感動的な場面なのかも知れなかったけど、あいにく私の方は目に涙を溜めることはできなかった。そんなことの変わりに、「生きたいように」って言葉が、脳にせき止められた。他の言葉は右から左に出ていったのに、まるでそれが私にとって必要であるかのように。生きたいようにってなんだろう。生きる理由?結局私は、それを持ってないから大人になれないのだろうか。私の生きる理由はなんだろうか。小説を描くだけじゃ足りないだろうか。それともそれは私にとって、生きなきゃいけない理由なんだろうか。叔母さんの話は結局頭に入ってこなかった。相づちは上手にうててたと思う。先生が話していたら、同じ内容でも頭に入ってきたんだろうか。内容が大事なのか、話す人が大事なのか。きっと後者だな、私はろくでもない人間だから。叔母さんととりあえず和解はしたけど、さすがにどこに泊まったのという質問には正直に答えられなくて、友達の家と答えた。これ、私が先生って答えたら、先生に迷惑かかるかな?よく会う他人ですって答えたら、叔母さんは顔を歪めるのかな。とりあえずいち早くペンを握りたい私にとって、恩を仇で返すのは確実に不正解だとわかっていたので、当たり障りのない返事をして、最後にもう一度謝ってから私は自室に戻った。今ならかける気がする。今じゃないとかけない気がする。なにを?私はペンを握る。机の上の駄作もいいところの雑多なゴミを床に散らかして、新しい原稿用紙にひたすらに走らせる。ある人はある人を愛した。ある人は身体に大病を抱えた。ある人はある人を殺した。ある人は殺される人を守った。せっかく書いて書いて書いてるのに、全部なにかが違って、全部満足いかなかった。私は人を愛せなかった。没。私は大病には犯されなかった。没。私は人を殺してない。没。私は殺される人を守れない。没。ペンを握る手の力が徐々に大きくなる。この感情はなにか。焦り?怒り?苛立ち?恐怖?なんでだろうか。焦ってない。怒ってない。気も立ってないし、怖くもない。なにかが違う。私は今、こんなに小説を書きたいのに、無意味なことをしてるんじゃないか。考えれば考えるほど、使いたい言葉が失われていく気がした。ダメだ。とりあえず落ち着こう。これはよくない兆候だ。一旦私はペンをおいて、深呼吸をする。いったい、私は何を書くべきなんだろう。悩みに悩んで、ふと、先生の声が聞こえた。
「生きる理由なんて、個人的なものでいいんだよ。」
私は呆れて、大きめのため息を吐いた。私の脳がそんなに都合よく作られてることに。それともこれも運命とかいうふざけた力なのか。前者でも後者でもがっかりだ。でも、お陰で気付いてしまった。そうか。私が書くべきは、先生が読みたい小説ではなくて、私が書きたい小説だったんだ。私はさらにまた新しい原稿用紙を用意する。散らばってるゴミを捨てるかどうか迷ったけど、これは私の努力の結晶で、歩いた道で、戒めなのだと思い、そのままにすることにした。今度はペンを握る手が痛むことはなかった。
「なんか。」
みおちゃんがレバーを動かしてた手を止めてボタンを押す。
「いいことあった?楽しそうだね。」
クレーンは指示された位置からまっすぐ下に降りて、その貧弱なアームで大きな流行りのキャラのぬいぐるみの頭をつつく。
「まあね。わかっちゃう?さすが。」
クレーンゲームは景品をホールドして持ち上げて落とすものかと思ってたのに、みおちゃんはそのキャラの頭を押しこんで見事に景品を落として見せた。その間わずか400円。この落とし方の唯一の欠点は、ぬいぐるみの顔が歪んでブサイクになる瞬間があることくらいなんじゃないか。その上手さに、素直に舌を巻いた。
「私、小説をかくことにしたの。」
私もやってみたくなって、適当に見繕った小さいクマのぬいぐるみの立て掛けられたクレーンゲームに硬貨を入れる。とたん、ファンシーな音楽が流れはじめて、クレーンの操作の権利が私に与えられた。「こつは?」とみおちゃんに聞いたら、「これはたぶんただの確率機だから、そのフックにアームをいれ続ければ確率でとれるよ」と言われた。確率なんて、夢がないな。そう思いながら私は狙いを定めた。残念ながら私にクレーンゲームの才能はなくて、アームはフックに触れるどころか、大量の空気をかき集めたあと、それを別の場所まで運んで解放した。私は追加で500円をとりだして、クレーンゲームのコイン投入口のかわりにみおちゃんに渡す。
「夢がないなぁ。自分で勝ち取るからいいんじゃん。」
「合理的って言ってよ。それに、先に夢を壊したのはみおちゃんだよ。」
みおちゃんは300円でとってくれたけど、この場合みおちゃんが上手なのはいったんおいといて、こと運について考えたとき、ついていたのは私なのかみおちゃんなのか。私はみおちゃんからぬいぐるみを受け取って、ぬいぐるみの頭を優しく一回撫でた。
「ありがとう。」
「いいえー。次はなにしよう。」
汗が伝う胸元を私はぱたぱたと手で仰ぐけど、あんまり意味ない気がする。そんなに涼しくならない。でもやらないよりましだから、仕方ない。早く夏が終わるといいと思った。夏休みにショッピングモールにきた私たちは開幕にゲームセンターを訪れ、メダルゲームやらクレーンゲームやらを遊び、二人で一匹ずつぬいぐるみをかっさらったところでようやくその騒がしい場所に満足した。とりあえずお昼ごはんを食べようということになって、私たちはフードコートの席に腰を下ろす。
「ゆーりちゃんなににしたの?私ラーメン。」
「私はハンバーガーにした。」
各々で食べたいものを買って、4人がけの席に二つの料理が並ぶ。ぬいぐるみを座らせようという、ぬいぐるみに気を遣った上でのことだし、今日は営業が心配になるほど空いてるので、これくらいは許してほしい。ラーメンとハンバーガー、どっちの方が身体に悪いんだろう。たぶんいい勝負。私は大きく口を開けて、ある種の栄養の塊をパクっと頬張った。
「どんな小説を書いてるの?」
みおちゃんはラーメンをすすっているところもかわいい。惚れちゃいそうだ。みおちゃんをモデルにした登場人物を書くときは、とびきりかわいく書かないと。私の語彙で足りるだろうか。
「ジャンルだと何て表現するのが一番近いんだろうね。純愛小説だよ。」
或いは、純憎小説かもしれない。もしかしたら、全く違うものになるかもしれない。いった後でそれが本当かどうか考える私に、みおちゃんはかっこいいと褒めてくれて、完成したら見せてほしいと目を輝かせた。それが、意外にも心の中で未だ迷っていた私への、最後の一押だった。この顔は計算から来るものなのか、自然なものなのか。案外、本能がどういう顔が正解なのかを知ってるのかもしれない。その眩しい笑顔が好きすぎて、断る選択肢はなかった。かわりにラーメンを一口、勝手に分けてもらった。みおちゃんは嫌な顔ひとつしない。先生みたいで、みおちゃんのことがまた少し好きになった。
「次はどこ行こう?」
二人でフロアマップを見ながら、私たちは思案する。洋服のお店がたくさんと、アクセサリーとかと、本屋と雑貨店。普段買い物にでるなんてほぼしないから、どこにいっても結局新鮮だ。
「適当にぶらぶら歩かない?」
みおちゃんの提案は特に目的のない私たちにとってどうしてすぐ思い付かなかったのか不思議なくらいいい提案で、私たちは歩きだした。最初に洋服屋に来たのは、お店の数が多いから、別に確率的に驚くようなことではなかった。お洒落なワンピを「どう?」と振りかざすみおちゃんにかわいいよとありふれた言葉しかいえない私。そのワンピを私に着させても似合わないのにと思うけど、ニコニコ顔で絶対にかわいいから着てみてよとお願いされるとついのせられてしまう。みおちゃんにとって、今この一瞬だけでも私にお洒落させることが生きる理由であればいいのに。そしたらきっと、私にとっても、今この一瞬だけはみおちゃんの要望に答えてお洒落することが生きる理由になれるかもしれないから。次に行った本屋は、私が言って寄らせてもらった。みおちゃんにおすすめの小説を聞かれてとっさに「こころ」と答えたのは嘘でも見栄でも、ましてや盲信的な愛でもなくて、ちゃんと本心だった。しばらく吟味してなにも面白そうな小説がないことを確認した私は本屋に飽き、さっさと出ることにした。ちゃっかり「こころ」を買ってるみおちゃんはどこまでいいこなんだろう。私は読んだら感想を聞かせてもらう約束を取り付けた。驚くほど普通な一日を過ごしたあとで、みおちゃんが別れ際に私に聞いた。
「どう?私は結莉ちゃんの小説の、数ページ分にはなれそうかな。」
それがどういう意図なのかは、特に気にならなかった。かわりに、みおちゃんはそういえばどうして私なんかと仲良くしてくれているんだろうという疑問が浮かぶ。その疑問を聞くかどうかしばらく思案して、今はまだ、疑問のままで放置することに決めた。
「そうだね、10ページ分くらいにはしてあげたいな。」
私がそういうと、みおちゃんはほんとに嬉しそうに「楽しみ」と笑ってくれた。家に帰った私は、ペンを握らないまま寝落ちてしまった。
夏休みがもう終わる。だというのに最近は家にこもりっぱなしで、なんだか非常に有意義な夏を過ごしている気がした。私は小さくため息をつく。多分、本当に小さかった。でも先生はそれを拾う。
「どうしたの。ため息なんかついて。夏休みの宿題が終わらない?」
そうじゃないとわかっているんだろう。見透かしたように微笑む先生をみて、やっぱり嫌いだと思った。だから、多分なんて答えてもこの会話に意味はない。
「また学校に行かないと行けないと思うとどうしても憂鬱です。」
「その割には、楽しそうでもあるよ。」
「…私ってそんなに顔に出やすいですかね。」
今、テーブルにはコーヒーが二つと、先生が頼んだアップルパイがひとつ、取り皿が二つ並んでいる。先生がアップルパイを丸々一つ食べるのは予想できないし、わざわざ注文のときに取り皿を二つお願いしたということは、たぶんこれは私も貰っていいものなんだと思う。だから私は、なにも断らずにアップルパイを一切れ、自分の皿によそう。このアップルパイに毒でも盛られてないかな。なんて下らないことを妄想しながら、奪った一切れをペロリと平らげる。それから先生に聞いた。
「アップルパイ、私も一切れ貰ってよかったのでしょうか。」
「今ダメっていったら胃の中に消えたアップルパイの分、なにか償ってくれたりするの?」
「そしたら私は胃を売ります。胃はだいたい四万円くらいで売れるらしいので、それで許してください。」
四万円もあればアップルパイの一切れくらいは弁償できる気がした。ちなみに、売るための手数料などは考えてない。先生は物騒だなと笑うけど、私は意外とありなんじゃないかと少し考える。分かりやすく恩を返す方法。お金。胃は思ったより安いからともかく、腎臓なんて二千万円で売れるらしいし。私が死にたくなったときにまだ恩を返せてなかったら、そういうのもありかもしれない。ああ、それで思い出した。泊めてもらったお礼をまだちゃんと言っていない。
「そういえば、この前は私のわがままを聞いていただいて、本当にありがとうございました。一応おき手紙も書きましたが、やっぱりこういうのは誠意というものが大事だと思うので。」
「ああ、いいよ。俺が自分でやりたくてやったことだから。」
先生はふっと目を細める。
「で、お礼なのですが、何がいいですか。考えてきました?」
先生はうーんとうなる。きっと先生が考えてきたのはお礼は何がいいかではなく、お礼をどう断ればいいかなのだろう。わざとらしい思案が鼻についた。
「俺はこうして一緒におしゃべりしてるだけで楽しいよ。今の俺はそれが生きる理由だからね。だから今までのもこの前のも今日も、俺の勝手なんだ。ほんと、気にしないで。」
先生の詭弁を、私はコーヒーを飲みながら聞いている。カップを置くときに、コトッと音が出た。その音に気付くくらいに、私は先生の話を聞いていない。欠伸が出ないのは、カフェインのおかげなんだろうか。
「まあ、そう言うと思って。」
私は鞄からチョコレートのギフトセットを取り出した。先生は少し驚いたような顔をして、私はちょっぴり優越感に浸った。
「こっちで勝手に用意しました。」
言ってもせいぜい千円と少しくらいの値段だったけど、これはただの誠意の形であり、値段は大事じゃないと思う。なんて、私が自分で言うことではないのだけれど。先生は大事そうにそれを受けとると、優しくはにかむ。「ありがとう。」なんて、お礼だからほんとはこっちの台詞なのに、たかがこんなものでたいそう嬉しそうな先生をみてたら、なんだか水を差せなくなってしまった。相変わらず先生はずるい。私は「いえ。」とだけこぼして、誤魔化すように筆箱を取り出す。宿題が終わってるか聞かれたけど、心配しなくとも教師つきで、かつやることがない私の夏休みの宿題なんてものは無事に片付いているので、その点についてはなにも問題はなかった。だから代わりに、人生の宿題的なものをさっさと終わらせようと意気込む。先生も、相変わらず仕事が多いのか、パソコンを取り出して、忙しくなにかをうち始めた。お互いが自分の世界を作ったせいで、次に私たちが言葉を交わしたのは、ちょうどいいくらいに美味しくなくなるまでコーヒーが冷めたころだった。
「そういえば、小説、いい続きが書けるようになったの?」
先生が空になったコップの縁を指でこする。私はより一層美味しくなくなった残りのコーヒーを一気に飲み干して、口元を拭った。
「いいかどうかは知りませんが、書きたい続きを書くことにしました。」
「なるほどね。それは素敵なことだ。」
それがほんとに素敵なことなら、私は幸せだということに分類されるんじゃないか。なら、それは違う気がした。肯定はできないけど、否定も何となく言葉にできなかった私は代わりに、「先生は何をしてるんですか?」と聞いた。今なんの作業をしてるのかという意図ではあったけれど、話題を変えたかっただけなので、この質問はどういう意味で捉えられてもよかった。幸いにも、その質問は私の思い付きと同じ定規で伝わったらしかった。
「俺はみんなの進路用の資料作ってる。例えば今資料を作ってるこの子は英語が得意だから、外交官なんて向いてるかもしれない。でも、やりたいことは別にあるかも。苦手な科目はどれか。どうやったら伸びるか。そういうことを考えながら、この子の資料を作ってる。」
その発言はまるで、生徒一人一人に資料を作ってるかのような言い方だった。真意は聞かなかった。私は気を遣ったのかもしれない。私に。でももし本当ならそれはとても大変そうで、生徒側からしたら、羨ましい話だった。少なくとも私の学校は、私はしてもらったことがない。個人として考えてくれるなら、私の進路はどうなるんだろう。やっぱり白紙かな。考えたけど、いまいちピンとこなかった。先生なら私でもちゃんとたくさん資料を用意して、熱く語ってくれそうだなと思った。迷惑すぎる。せっかく生徒の自慢話を聞いたので、社交辞令を言おうと口を開く。「その子の夢が見つかって、叶うといいですね」と言おうと思ったけど、ありきたりすぎて、私が何様なのかわからなくなりそうなので、別の言葉を使うことにした。さっき飲み干したコーヒーの苦さがまだ口に残っていて、それが嫌だった。
「その子が自分の生きる理由を見つけて、生きててよかったと思えるといいですね。もちろん本心からじゃなくて、社交辞令ですが。」
余計な言葉を足したのは、私が何者にもならないための予防線だったのかもしれない。または、すでに先生の中で何者かであるという、傲りかも。
「きっと見つかるよ。彼にも、君にも。」
私は少しだけ、その子に嫉妬した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます