回想7

 「お邪魔します。」

私は先生に続いて家の扉をくぐる。先生がいらっしゃいと再度許可を出したので、私は玄関で靴を脱いで、遠慮なく中に上がった。生活に必要最低限なものに加えて、ソファと本棚が一つ。質素な部屋には嫌いな言葉で言うところの先生「らしさ」が感じられた。

「なにもないだろ?」

 先生がそういって、どう答えても失礼になりそうな気がしたので開き直って「ですね。」と答えた。

「でも、本棚があるじゃないですか。それに、なにもないがある。私はむしろこういうのが好きです。」

答えると先生は「ありがとう。結莉ちゃんならそう言ってくれると思ってた。」と笑った。

玄関のすぐ側にある洗面所を先生のあとに借りて、手を洗う。冷たい水が心地いい。手を洗い終わって顔を上げたら鏡に私が写る。いかにも自殺しそうな表情の人間が反射されてて、なんだ、私も可愛い顔できるじゃん。そう思った。私が手を洗い終わって洗面所からでると先生は台所にたってお湯を沸かしていた。

「カップ麺、なにがいい?そんなたくさんある訳じゃないけど。」

と机に羅列されたカップ麺を指差されたので、じゃあと私は適当に一つ選んで、これ貰ってもいいですかと聞いた。こういうとき断られることはまずないだろうから聞く意味はあまりないかもだけど、ここまでは私が持っている最低限の礼儀とやらに分類されるものだった。先生は快諾して、あまったカップ麺のうちの一つの蓋を開け始める。私も同じようにカップ麺を開封して準備を進めた。二人分のカップ麺を作るには不十分だったお湯の量に先生は思わず「やべ」と漏らして、そのお茶目さがより先生のことを好きにさせた。

「私はお湯少なくても大丈夫です。ありがとうございます。」

先生は申し訳なさそうにしてたけど、私が「むしろ少し濃い味で固めの方が好きです」とか適当なこと言ったら納得してくれて、申し訳ないねと言われてその場は流れた。私たちは一緒に三分待って、カップ麺の蓋の上にある重石代わりの割り箸を手に取る。先生は綺麗に2つに割ったのに私は下手くそで、少し鬱になる。橋が転んでもおかしいってことわざがあるなら、橋を割るのも憂鬱って言葉があってもいいのに。それとも昔の日本人は今じゃ考えられないくらいポジティブだったのかな。ありそう。少なくとも今ほどネガティブな人は少なそうだ。なら私は時代の最先端だ。そう下らない妄想に耽ってたら先生に「食べないの?麺伸びちゃうよ。」と指摘されて、先生のお陰で無事現実に帰還した私は「いただきます。」と手を合わせた。まだ湯気を放っているカップ麺から私の可愛い猫舌を守るために、口にいれる前にふーふーと息を数回吹き掛け、ようやく満足に口にいれる。味はしないけど、美味しかった。

「美味しい?味噌ラーメン。」

先生に指摘されて私は今食べてるラーメンが味噌ラーメンだということに気づく。

「先生はどう思います?」

私がきくと先生は少し考えてから

「どっちでもなさそう。」

と真剣そうに答えた。それから

「というかたぶん、味噌ラーメンに限らず、食べ物全部どっちでもなさそう。」

と笑う。私はここで初めて、先生に一本とったと思った。

「さすがです。でも実は私にだって一つくらいは、好きな食べ物があるんですよ。」

「お、へー。なになに?」

「当ててみてくださいよ。」

先生は首をかしげてうーんと唸り始める。

「ココア?じゃないよな。あれは飲み物だし。コーヒーもだから違うよなー。」

「ええ、違います。」

「チョコレート?アップルパイ?」

「残念ながらどちらも違います。」

「ケーキとか。」

「好きだとよかったんですが。」

先生はその後もいくつか甘い物の名前を出してたけど、当たることはなかった。どうやら先生は私のことを相当な甘党だと思っているようだ。私の見栄があまり意味をなしてないような気がして虚しくなるのでやめてほしい。

「わからないな。なになの?」

先生は降参と手をヒラヒラさせて、私に答えを聞く。私はそれを、嬉しいと思ってしまった。

「…私がもし大人になって、先生がその時まで生きていたら教えます。」

「好きなものもシークレットか。いいね、君が大人になるのが楽しみだ。」

私の子供じみた卑怯な約束は先生の大人の対応でかわされて、せっかく珍しく得た勝利を敗北に塗り替えられた気がした。私と先生はほぼ同じタイミングでご馳走さまをしたけど、先生の容器にスープが残ってるのに対して、私の容器は空になっていた。別に特にお腹がすいてたとか、そういうわけでは全くなくて、じゃあなんでと理由を聞かれたら強いていうなら先生が美味しいかどうか聞いてきたのと、出きれば長生きしたくないなと思ったのとの2つがほとんどだと思う。カップ麺がどれくらい体に悪いのかは知らないけど。先生はゴミを捨てて「今日はもう寝るか?」と提案する。もちろん異論もしたいことも特にない私は首を縦に振り、その後は本や漫画や現実世界で使い古されたであろうどちらがベッドで寝るかのじゃんけんに負けて、ありがたいことに私がベット、先生がソファで寝ることになった。先生はどうやら勝負事のじゃんけんが強いらしい。曰く、こういうじゃんけんで負け知らずなんだとか。そこそこ役に立ちそうな才能だと思った。ベッドに横になった後で、私は前々からほんの少しだけ気になってたことを聞くことにした。

「先生って彼女さんとかいないんですか。」

「ん?いないよ。突然どうしたの?」

質問はあまりにも脈絡が無さすぎて、先生は首をかしげる。

「いえ。今日私を泊めるってことに二つ返事でOKをだしてくれましたし。あと考えてみたら私って先生のこと実はあんまり知らないなって。だから、今日はせっかくですし先生を質問責めすることにしました。」

「おお、なるほど。ちなみに俺を知ってもなんも楽しくないぞ。」

先生は苦笑いをする。でも、それを決めるのは私でありたいので、そんなことないですよと言って質問を続ける。

「先生の好きな食べ物はなんですか。」

「そうだなぁ、イチゴとかブドウとか、果物が好きかなぁ。」

「へぇー、少し以外かもです。」

「え、そう?君からの俺はどんなイメージなんだ。好きなんだよね。ああいう感じの果物の甘酸っぱさが。」

「趣味とかありますか。」

「それこそ読書とかかなぁ。あーでも、最近は忙しくて読めてないかも。」

先生は目を細めて答える。私の中の登場人物が形を帯びていく。もっと聞きたい。もっと知りたい。

「音楽は好きですか。」

「特技とかありますか。」

「どこ出身ですか。」

「自分の長所と短所ってなんだと思いますか。」

「好きな作家さんは誰ですか。」

「尊敬している人はいますか。」

「死ぬ前に食べたい食べ物って何ですか。」

「先生が尊いとおもうことはなんですか。」

「好きだよ。クラシックとか、よく聴く。」

「特技?うーん、職業柄当たり前ではあるけど、人に教えるのは一応得意なつもり。」

「実はぜんぜん東京生まれ東京育ち。恵まれてた。」

「えー?長所は面倒見のいいところで、短所はお節介なところとかかなぁ。長所と短所なんて答えるの、雇用面説依頼だ。」

「作家だと、夏目漱石とかが好きかな。」

「うーん。まあ、父親はわりと尊敬していたよ。正義感のある人だった。」

「食べ物?死ぬ前に果物はなー。強いていうなら、肉食べたいかも。最後くらい豪快に。」

「難しいね。「成長」とか、かな。」

思い付く質問をひとしきりして、先生の輪郭が曖昧になってきた頃、私の眠さはとうとう欠伸となって私から外に出ようとする。それを噛み殺したのが先生にばれて、「なんだ、もう眠いのか。そろそろ寝る?」と聞かれた。それを聞かれて首を縦に降るのは子供だけだとしっていたけど、先生にこれ以上迷惑をかけても行けないという思いもあって私はそうしますと返事した。先生が電気を消して、部屋は途端夜になる。今日がもう終わるということを、私は実感する。そんなものだ。1日の価値なんて結局、あんまり無いのだろう。

「...理由。」

「ん?」

「聞かないんですか。私の家出の理由。」

寝ますと答えておきながら、私は先生に話しかける。許してほしいと思った。これは、今日という一日の、延長戦みたいなものだった。

「なんだよ。俺の家が見たかったからじゃないのか。それとも、理由、聞いてほしいの?」

先生がそう意地悪なことを言う。こういう時の先生の顔を私は知っていた。きっといたずらっぽくてなのに優しい、あの顔だ。想像できた自分が、少し憎かった。

「卑怯ですよ。」

「大人だからね。」

はは、と笑い声が聞こえる。私は迷ったけど、結局理由は曖昧にはぐらかしてしまった。自分で話を振ったのに意思を貫けない情けない私も、理由も聞かずに家に泊めてれるどこまでもお人好しな先生も、私は好きで、嫌いだった。

「最後にもうひとつ、質問してもいいですか。」

私は聞こえても聞こえなくてもおかしくないくらいの声量になるように唇を動かした。

「なに?」

こういうとき、しっかり私の言葉を聞いてる先生は先生に向いていて、主人公には向いていなそうだ。暗くて顔は見えないけど、優しい笑顔を浮かべているのが想像できてしまった。

「先生の、生きる理由はなんですか。…私の先生であること以外で。」

先生は考えているようだった。或いは、悩んでいるようだった。わからないようでもあったし、答えたくないようでもあった。ようするに、私の質問は先生にとって不運な質問であったようで、そこに無言の間が生まれた。顔は見えない。

「そうだなぁ、、。人助け、かな。」

私は先生と同じくらい間を空けた。きっと私にしては珍しく、意味があるような発言をしたかったんだと思う。

「先生はなんでそんなに聖人君子なんですか。」

「聖人君子って」

私が聞くと先生は面白そうに笑って、また考え込むような間を空けた。

「色々合ってね。そうありたいと、勝手に思ってるんだよ。」

少し自虐的な苦笑いを含ませたその声に、私はなんて返せばいいのかわからなかった。代わりに、少し別の質問をする。

「先生は私に、、。いえ、先生の生徒に、生きていてほしいと思っていますか。」

「そりゃまあ。もちろん思ってるよ。でもそれ以上に、生きる理由があってほしいと思ってる。理由もなく生きるのなんて、きっと、つまらないから。」

先生の答えはありきたりだったのかもしれないけど、私にとっては特別で、それは満足の行くものだった。再びあくびが込み上げてきて、私は今度はそれをわざと噛み殺さなかった。

「ほら。眠いんじゃないか。もう寝るぞ。」

先生は愉快そうにそういって、「おやすみ。」と声をかけた。私も「おやすみなさい。」と最後に喋って、意識を暗闇に落とした。

 朝起きて感じた違和感のある天井の正体はさすがにすぐ思い出せた。ソファの方を向くと先生の姿はなくて、先生を探そうと私はゆったりからだを起こす。とりあえず視線だけをリビングの方へと動かしたがけど先生の姿はとらえられなくて、私は一度欠伸をする。それからベッドから降りて、今度はリビングに移動してちゃんと捜索したけど先生は見つからなかった。見間違いかとソファにも近づいて改めて覗き込むように見るが、やっぱり先生はいなくて、寝惚けた頭がしばらくしてようやくだした結論は、先生は仕事に行ったということだった。申し訳なさが込み上げてきて、ばつが悪いとばかりに頭をかく。テーブルの上には白いご飯とお味噌汁、おき手紙と家の鍵っぽいものがあって、先生はご飯派なんだと思った。手紙の内容は要約すると昨日は久々に人と談笑できて楽しかったということ、先に仕事に行くということ、家のものは勝手に使っていいということ、鍵はかけて、ポストにでも入れといてほしいということが書いてあって、結局私は先生に理由も話さず謝礼もまともにできないのかと自分にがっかりした。先生が作り置きしてくれた朝御飯を食べて私は携帯を開く。予想はしていたけど鬼のような不在着信やメッセージの通知の嵐で私はようやく叔母さんたちにも少しだけ申し訳ない気持ちになった。昨日はなんで私は叔母さんに歩み寄ろうとしたんだろう。今まで通り、なるべく関わらない、不幸な縁のあるだけ、保護者役なだけの他人。そういう関係であれば、私も叔母さんもイライラすることなく、ましてや家出なんて突拍子もないことを私がすることも、それでだれかに迷惑をかけることもなかったのに。冷静になってきて、私は恥ずかしくなる。やっぱり私は子供なんだと実感させられる。一時の感情で人間関係が改善されるほどこの世界は甘くないのに。私は叔母さんに心配をかけたことを謝罪する旨のメッセージを送った。味噌汁は、これ以上ない程冷めていた。置き手紙のお言葉に甘えてお手洗いと洗面台を借りたあと、少し迷子になりかけてからリビングに戻ってくる。あ、先生、テレビつけっぱだ。そこで初めて私はその事に気づく。もしかしたら私のためにつけっぱなしにしてくれたのかもしれない。視界に移ったニュースキャスターは深刻そうな面持ちで、昨日の子供の自殺者数が過去最多の147人だと告げる。まるで自分はその凄惨な事実に嘆けてるみたいな、そういう顔。それが悲惨だと心から思えるなら、毎日出ている平均90人の自殺者にもさぞかし泣けるだろうなと思う。彼女の涙と愛情が底をつきないか心配だ。私なんて自分の分しか用意してないのに。テレビを消して、昨日無事に自殺した子供たちに想いを馳せる。私は家に帰ろうと思った。

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