回想6
先生の好きな小説とはなんだろう。青春系か、ミステリーか。それとも、そもそも私の書く小説なんて、興味ないだろうか。まあたしかに、あんまり面白いものは書けないかもしれない。じゃあ、私という小説は、どんな物語なんだろう。いつ終わるんだろう。今はどれくらい書いてあるんだろうか。最初の七十八ページくらいは埋められただろうか。私はあと何ページ書くつもりだろうか。用意してもらえた日常を、ただ繰り返すだけ。満たされると足りなくなるから満足なんかするはずない。それどころか満たされることすらめんどくさい。強いて言うなら生き終わりたい。残念ながら貴方の手に取った小説の主人公はつまらないです。私が小説になったら最初にこう警告してやならければと思う。靴で地面を規則的に叩きながら私は今日も日常を繰り返す。駅近くのカフェに、まもなくつけそうだ。
いったい、いくら私は先生に奢ってもらっているのだろう。先生のお金でコーヒーを飲みながら私は思った。今日の先生はいつもより幾分か眠そうで、聞くと夏休みが休みなのは生徒だけの特権らしい。先生はというと、休みがないどころか、いつもより多少めんどくさい仕事をさせられるらしい。かわいそう。知りたくないことを知ってしまった私が。
「だからせめて、俺らの分まで生徒たちには楽しい思いをしてほしいと思いながら夏休み前にみんなを見送るのさ。あ、宿題はちゃんと出すけどね。」
どこまでもお人好しな先生は平気でそういうことを嘯きながら重そうな瞼で一度まばたきをした。先生のまつげが長くてきれいなことに、はじめて気づく。というか、眠いなら私と合うこの時間を睡眠に当てればいいのに。自分でいうのもなんだけど、この時間は先生にとって世界一無意味な時間だと思う。私は先生にもらってばかりで、先生に何も返せてない。私が先生に恩を返せるとしたら、一体どうやって返すのだろう。私は先生が一口含んだコーヒーを飲み込むのを待ってから、机の上に宿題を広げた。
「ちなみにそんな夏休み真っ最中のかわいい中学生の宿題を手伝うのはいかがですか。」
「わからないところあれば聞いてくれれば解き方くらい教えてあげれるよ。」
恩を返すのはいったん諦めて、開き直って追加でさらに甘えさせてもらおうと思ったけど、うまくいなされてしまった。まあ、もともとサボるつもりはなくて、この無駄な問答を一回したかっただけだからいいけど。私はおとなしく引き下がって、自力で問題を解き始める。先生も珍しくパソコンを広げて、何か仕事を始めた。世界が静寂に包まれて、私たちは価値のある無言を手にした気がした。私は数式を分解する。先生は眼鏡をかけている。似合ってる。私は曲線を描く。先生はタイピングが下手くそだった。私は解をプリントに書く。先生が今何しているのか気になる。先生が普段何してるのか気になる。先生は。
「……先生。」
私が手を止めてその主語だけで構成された言葉を喋ると、一緒に手を止めてくれた先生は、不思議そうに優しくこちらを覗き込む。
「ん?わからないところかい。」
「いえ。理不尽なこと言います。先生のせいで勉強に集中できません。なぜなら、先生がわたしにとって魅力的だからです。」
「…おお。理不尽だ。」
これは喜ぶべきかな?と先生は優しく笑う。せっかく理不尽なことを言ったのに気にしてなさそうな先生に腹が立って、私はカチャカチャと追加で砂糖をコーヒーに溶かした。
「ちなみに、どのへんが?」
からかうように、でも少し嬉しそうに微笑みながら、作業の手を止めて私に訪ねる先生をみて、そういえば先生はこんな顔ができるんだったと思い出した。
「私にとって、先生はどこが魅力的なんですかね。こんな人生損しかしてなさそうな人の、どこが。」
これは珍しく、先生を傷つける意図でなく、単に自問のようなものだった。よく考えると私はなぜ先生をこんなに慕っているのだろうか。生きる理由を、あるいは死ぬ理由を私にくれるなら誰でもよかったのか。まあその点に関しては誰でもよかったかもしれない。それは今でもまだそう思ってる。でも、それを与えてくれた人なら誰でもここまで慕ったかと聞かれると、やっぱりこれは「先生」だったからだと言いたくなってしまう。少し考えて、私は口を開くことにした。
「きっと先生は、主人公で、珈琲で、正義で、、、そして、先生なんだと思います。だから、先生は私にとって、先生なんです。」
理解してもらえるとは思ってなかった。理解してほしいとも思ってなかった。でも、伝えるべきだと思った。なんでも見透かす先生もさすがにこれは伝わらなかったらしくて、「つまり?」と首をかしげる。
「分かりやすくいうと、分かりやすい簡単な言葉で表すことができないほどには、意外にも私は先生を慕っているのです。」
そう説明したら先生も諦めて、「なるほど、そいつは分かりやすい。嬉しいね。」と無垢に笑った。この人は笑顔だけでも表情にたくさんの種類があって飽きないなと感じた。せっかくお互いの手が止まったので、私は先ほど解いててわからなかったところを先生に聞いた。先生の操る言葉で私はその数式を理解したけど、代わりにふと真面目に勉強してる自分が理解できなくなった。何者かになれるはずない、白紙の死を待つだけの自分が勉強をする理由なんてあったのだろうか。それが思い付かなかったから今まで勉強を避けてきたのに。
「…と思うのですが、なんで私は勉強してるのでしょう。」
私はコーヒーと砂糖を混ぜるだけ混ぜて、結局口につけない。コーヒーの模様は私と違って、簡単に変わった。ほんの少し考える素振りを見せたあと、先生は口を開いた。
「これは俺の君に対する偏見だけど。」
先生が珍しくそんな前置きと呼吸を挟んだので、うっかり私は先生の答えに期待してしまう。
「君が君にとっての何者にもなりたくないから、じゃないかな。」
それがどういう意味なのか、私にはすぐにはわからない。
「私が何者にもなりたくなかったら、勉強はしないんじゃないですか?」
「だって君の属している学校というコミュニティは、大なり小なり勉強してる人の方が多いだろ。その中で一人、全く勉強してない人は、担任の先生とか、友人の一人とか、少なくとも誰かにとっては他とは少し-ほんとに少しでも、違う特徴をもった者として捉えられる可能性があると思うんだ。それはつまり既に、君が何者かになっているってことだ。そういう自分という存在を持つことを、君は嫌ってるんじゃないかな。」
君のことだし、わかんないけどねと目を細めた先生は、一体誰にとっての何者であるんだろうか。目を丸くしてる私は、先生にとって、何者かであるんだろうか。
「…ユウリ。」
「え?」
「ですから、不和結莉。それが私の名前です。別に覚えても覚えなくてもどっちでもいいです。ただ伝えただけだと思ってください。実際ただ伝えただけですし。」
ちなみに、不和は母の性のままです。そうあまり意味のない補足で私の会話は閉め繰られた。なぜこのタイミングなのかと聞かれたら自分でもあまりよくわからないけど、強いていうなら私はもしかしたら、先生にとっての何者かになりたくなってしまったのかもしれない。そうだとしたら私はあまりに強欲で、傲慢で、卑怯だった。
「あー、あぁ。ビックリしちゃった。君の名前、か。そうか、君は結莉って言うんだね。すごい偶然なんだけど、実は俺もユウリって名前なんだよね。和田ユウリ。そんなに多い名前でもないと思うのにまさか一緒なんて。運命かもな。」
悠理と達筆な漢字で書きながら軽率に運命なんて言葉を使う先生は意地悪に覚えても覚えなくてもどっちでもいいよと笑って、頑張って明日には忘れてやる。私はそう思った。
「で、どう?あたってた?」
先生にそう言われて、私は考えた。考えて、考えて、考えるのをやめた。
「先生がそう言うなら、たぶんそうなんです。」「ハハッ。なんだ、そりゃ。」
先生はほんとうに面白そうに笑っていたけど、私には何が面白いのかも、それが正解なのかも、なにもかもわからなかった。私は今日やる分と決めた宿題の、最後のわからない問題の答えをでたらめに3xとノートに書いてさっさと鞄に詰めた。
学校がないことはいいことだし悪いことだ。私はとてもいい子ではないので、学校を楽しいとか行きたいとかは思わない。でも、あの環境であえて家にいたいとも思わない。だから私は、降り注ぐ強い日差しを汗ばんだ肌で受け止めながら見慣れたアスファルトをたどる。駅のホームにまもなくつきそうだ。
電車の扉が音を立てて開く。降車する人が0になったのを見計らって、私はそれに足をのせた。どこに行きたいんだろう。私は手元にあるメモをみた。ひどく簡潔に、中学校の名前と場所だけ記されたそのメモは、昨日の夜私が作ったものだった。恐ろしいと感じたのは昨今のネット社会では県と教師の名前さえあればその教師の勤める学校を特定できてしまうことであって、決して自分の執着にも似た行動力に感じたわけではない。私は電車に二駅ほど揺らされ、目的の学校の最寄り駅についた。片道200円を目的もなく使ってから、ここからどうしようかと大きく伸びをして考える。とりあえずその学校には行ってみたいが、先生には会いたくない。少し悩んで、結局私は歩き始めるしかなかった。
当たり前ではあるのだけれどその学校はどうにも普通の学校で、普通の私に普通だなという普通な感想しかもたらさなかった。中に入るのはさすがに憚られて、この後私にできることはおそらく散策くらいなので、どこか公園でも探そうかと私は手に持っていたメモをぐしゃぐしゃに丸めてポケットに突っ込んだ。鳥が鳴いてる。木々が風で靡く。どこでも見れるような景色なのにそれが意識に留まるのは、きっとこの見慣れない景色に、私の五感が研ぎ澄まされてしまうせいだと思う。あんまり嬉しくはない。なにも考えずに歩いて、鳥のさえずりに飽きてきた頃、ようやく公園を見つけることができた。仄かな陽気に包まれた公園は温かくて、元気な子どもたちが走り回り、同じ年齢くらいの男の子が読書をし、おじいさんがストレッチをしていた。たくさんの人を受け入れてるその公園は、私すら受け入れてくれそうで、私は空いてるベンチに腰を掛けた。子どもたちは鬼ごっこをしてるっぽい。男の子は何の本を読んでいるのだろう。あ、おじいさんがいなくなってる。知らない公園の知らないベンチで、知らない人たちをみながら何してるんだろ、私。と少し冷静になる。ぼんやり座って景色を眺めてたら、公園の前を通りすぎる小さい子がなぜか無邪気に私に手を振るので、私は仕方なく小さく子どもに手を振り返す。ここは私の居場所じゃないと思った。
生きるということと大人になるということはどちらが過程でどちらが結果なんだろうか。普通に考えたら生きるという過程で大人になるという結果があるんだろうけど、例えば、「とりあえず大人になるまで生きよう」と考えてる人にとっては大人になるという過程の中で、生きていなければならいという結果があるという表現になるんじゃないだろうか。その表現もなんか変か。そんなことはないのだろうか。そもそも普通って誰基準?あとなんか個人的に、過程は途中で結果は最後の固定観念があるから、大人を最後に配置するのは納得いかない。いや、だからどうしたといわれたら困るんだけれど。つまり言いたいのはさっきのはものの例えで、私が叔母さんと話し合うことと、私が大人になるということは、どちらが過程でどちらが結果なんだろうか。
「叔母さんは、、。」
攻撃的になりすぎないよう慎重に言葉を選びつつ、私は言葉を続ける。
「私にどうあってほしいですか?」
せっかく間を空けたのに、内容が内容だけにほとんど柔らかくならなかった私の刺はチクチクしてて、相手を傷つけるよりも先に私の喉を傷つけた。
「あー、ごめんなさい。違うんです。その、文句とかじゃないんです。ただ純粋に、どういう立ち振舞いをするのが叔母さんにとっての理想の私なんだろうって。聞くのが遅くなってしまって、ごめんなさい。」
きっと私は、ここで間違えたんだろう。本当はこの家に来て最初に聞くべきだったんだ。生きる理由なんて個人的なものなんだから、他人に依存するならまずどうあってほしいかをちゃんと自分で頭を下げて聞くべきだったんだ。それを肉親の母と同じ尺度で叔母さんたちに当てはめて、身内だから聞かれなくとも与えてくれると勘違いし、しばらく待っても生きる理由をくれないこの人たちは私に理由を与えてくれない人なんだと決めつける。私が悪いという発想にいたらない。やっぱり私は子供だったんだと思う。今ここで私の生きる理由を貰えればきっと私は許されたということになるんだと思う。そうじゃなかったら、わからない。許してもらえたけど生きる理由は相変わらず貰えないのか、許してもらえてないのか、それとも私がまだ子供なのか。それは叔母さんの言葉を聞いてから考えることにする。だから今はいれてもらったココアを飲む。溶けきってない粉が甘くて美味しい。
「あのね、結莉ちゃん。聞いてほしいの。」
そういう切り出しで始まることが、私からしたらもう嫌だった。相手が先生なら、そうは思わなかったかもしれない。
「私たちは、あなたが好きなように生きてほしい。確かに私の妹はあなたに生きる理由を押し付けたかもしれないけど、生きる理由っていうのは、本当はもっと大事なことで、個人的なことなの。それは他の人にはきっと決めれないことなのよ。あなたが自分で描いて、掴むものなの。それを、私たちは手伝うし、応援するわ。」
「そんなことは」
ないと思った。なぜなら私は先生から生きる理由をもらったから。
「そんなこと、は…」
なくてほしいと思った。なぜなら私はそんなに綺麗な生きる理由を作れなそうだったから。
だけども同時に、先生も生きる理由は個人的なものだといっていたのを覚えていた。
「そんなこと…」
先生は道を教えるだけで、どこに進むのかは決めるのは生徒だとも言った。私は、小説を書くことを、自分で決めたということなのだろうか。なら、それはまるで、私はまだ生きていたいと思ってるみたいじゃないか。違う。違う?違うんだろうか。わかんない。わかんない?わかんないわかんないわかんないわかんない。わかりたくない。考えたくない。
「住ませてもらって、小説を書かせてもらってるだけで私はもう十分好きなように生きさせてもらってます。その上に最近は毎週出掛けてることも許してもらってて。だからせめて他は、私は叔母さんたちが望むように生きていようと思うんです。」
私の言葉に叔母さんは悲しそうにまばたきをした。あぁ、この人は先生には向いてないな。そう思った。
「厳しいことを言うようだけど。」
その前置きが私にとって殺傷能力の高い言葉の前置きであることは簡単に予想ついた。いつだって、言葉はもっとも簡単に振るえる、攻撃力の高い暴力だ。それにたいして今からそういう意図でつかうと宣言されてるんだから、今から殴るぞって言ってるのとなにが違うのか、もし違うなら誰か説明してほしい。
「生きる理由が個人的っていうのは良くもあるけど、それは悪くもあるの。生きる理由には、その生きてる人のそれぞれの「生」の責任がついてくるの。それを
案の定言葉は重く鋭く鈍く冷たく熱く響いて、それは不安定だった私の足場を簡単に崩した。作った足場の上で背伸びして大人になっていた私はその足場を崩されて転ばないはずもなく、落ちた場所で恨めしそうに大人の顔を見上げるしかない。泣きたくて怒りたくて叫びたくて、私の心は許容を越えた。
「それは、生きなきゃいけない理由でしょ!生きる理由にはなりえないし、生かされてる理由でもない!私は別に生きていなくてもいい。そう思ってる。私は絶対、そう思ってる。」
私は叔母さんの家を飛び出る。当てもなくっていうと嘘になる。でもその当てはひどく薄く細く、ないに等しいものだった。それをわかっていながら、私は駅へ向かった。こういうとき、雨でも降ってたら雰囲気でもでるんだろうか。泣けるんだろうか。残念ながら天候は恵まれてしまっていて、ただただ綺麗な夕焼け空と、時折通る鉄の塊を、冷たいベンチの上で交互に眺める。三度目か四度目か。片手で足りる数なのに明確じゃない。明確にできないくせに数えたがる。無駄な行為。そういうところかもしれない。私はひとりごちる。そして、そういうちょうどいいタイミングで、あってはいけない偶然が表れてしまう。
「そういうところですよ。」
私は思いの外軽率な存在であった運命という概念に対して、そう文句をいった。
「なんで文句を言われたのかわからないけど、みるに、偶々って訳じゃないんだろうね。」
先生はわざわざ私の前で足を止めて、ベンチに腰を掛けた。夕方とはいえ、夏のベンチはきっと温かいんだろうなと思う。同じベンチなのに。
「家を飛び出してきたんです。」
「なるほど。」
「私、家出ってものをして見たいです。」
「ほうほう。」
「先生の家も見てみたいです。」
「それ、あんまり本心じゃないだろ。」
「でも、0ってわけでもないですよ。」
「俺を犯罪者に仕立て上げるつもりか。」
先生は苦笑いをして、これは断らない流れだと、卑怯ながら確信した。
「保護者さんに泊まる旨の連絡をいれること。今日一日だけ。その二つは最低でも、絶対。」
先生は私に理由を聞かなかった。ただ、簡単なお約束を、まるで子供に言いかかせるみたいに聞くだけ。守れる?と首をかしげる先生と、素直に首を縦に振る私。なんて幸せな関係なんだろうか。私は叔母さんに知り合いの家に泊まると連絡をする。ごめんなさいは送れなかった。返事は待たずに携帯を鞄にしまった。
「じゃあ、いこうか。」
越えてはいけない一線を越えるために、私は差し伸ばされた手に縋った。なんて、その手は私が引っ張ったのだけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます