第7話

幻影型のダンジョンの中でも日は沈む。


幻の太陽、幻の月が織りなす幻の昼夜と分かっていても、夕日を見れば腹が減るような錯覚があるし、朝日を見れば腹が減るような錯覚があるものだ。特に私のような特別個体、情緒的ゴーレムにとっては。


さて。


夕暮れ迫る湖畔、私は竈の火の近くに戻る。火は小さくなりつつ、しかしそれでもパチパチといい音を立てて時折薪がはぜている。

まずはこの火を少し大きくリカバリーさせよう。と、新しい薪をくべる。


復活させた火の上に改めて携帯こん炉を置き、その上に水を張ったミルクパンを乗せる。湯気が立ってきたらその上にボウルを浮かべ、保冷庫から取り出したバターを湯煎で溶かしていく。


別のボウルに上質な卵5個とミルクを入れてよく混ぜ、そこに溶かしバターを混ぜ入れる。砂糖も入れて混ぜ合わせる。


さらに別のボウルに小麦粉とふくらし粉を入れて混ぜ合わせ、その中心にくぼみをつくって、先ほど作った卵液を少しずつ合わせていく。


〈なんだ、結局全部混ぜるんならボウルなんて一個あればいいじゃん〉


「喋んな、黙ってろっつーの」


卵液は入れ過ぎ注意。少し余っても気にしないこと。

よく混ぜて粉っぽさがなくなったらタネの準備は完了。


〈なんかもう甘い匂いしてるけど! もう完成?〉


すでに嗅覚と味覚を共有済みのダンジョンが、私のローカルネットワーク上を犬のようにフンフンと鼻を鳴らして動き回っている。


「静かにしろって。ここからが……本番だからよ……」


魔鋼鉄合金のフライパンをこん炉に置き温める。ある程度温まったらいったんフライパンの底に濡れ布巾をあてて少し温度を下げ、そこへおたま一杯のタネを丸く落とす。


しゅうう、と生地が焼ける音が聞こえてくると、その音を追いかけるように甘い匂いが一気に広がっていく。


〈あわわ……〉と、ダンジョンが仮想空間でヨダレを垂らしている。


気持ちはわかるぞ。何回も作っている私でさえ、この香りが広がる瞬間はたまらないものがある。


「よしよし……」


と、私は生地の端が少し焼けて固まってきているのを確認し、フライパンを小さくゆする。片面がよく焼けて、完全に底から離せることを確認したら、手首にスナップを利かせ、一気に生地を裏返す!


「よっ……と」


昔は苦戦したものだが、今となっては慣れたものである。

両面きっちり焼き色がついたら、フライパンから皿に移す。無事に、一枚目のパンケーキが焼き上がった。


あとはこれを、生地がなくなるまでひたすら繰り返し、どんどこ重ねていくのだ。

1枚目、2枚、3枚、4枚。

どんどん積み上がるパンケーキに胸が高鳴るのは私だけではなくダンジョンも同じ。


〈すごいすごい、どこまで高くなるんだろ……!〉


レシピの上では20枚分。きっちり20枚目で生地はすべてなくなり、最後の生地がまん丸く広がり、焼けていく。


「ほら、これで、最後……だ……!」


20枚のパンケーキは倒れることなく見事に積み上がり、最後に一番上から慎重にシロップを垂らしていく。梯子を下りていくように、シロップの先頭が一定のリズムで20段を駆け下りていく。


「ほらよ、『ゴーレムのしっとりパンケーキ~最後の晩餐豪華20段スペシャル~』の出来上がりだ!」


「やったー! かんせいかんせい!」


と、いつの間にか目の前で、一人のヒトの少年がぱちぱちぱちと手を叩きながら飛び上がっていた。背が低く童顔で、なめらかな金髪が軽やかに揺れている。


「おいしそう! 僕おなか減ったことないのにおなか減っちゃったよ! ダンジョンなのに! へんなの! ね、お姉ちゃん!」


「お前……え?」


思わずあたりを見回す。


〈残念ながら、お姉ちゃんの目は盗ませてもらいました!〉えへん、とその少年は胸を張る。〈視水晶モジュールに幻像投影してるだけだけどね〉


私が目をいくらぱちぱちさせても、いったん明後日を向いてみても、そこに少年はいる。

しかし触れようとして手を伸ばしても何にも触れない。


〈? どしたの? 触覚と連動させれば触ってる雰囲気も出せなくもないけど?〉


「いや……まあ……今更驚くようなことでもない……のか……?」


〈そんなことより早く食べようよ! ねえねえ!〉


そうだな。

気にしないでおこう。

そもそもこれを食べる機会があるだけで幸運。

これを食べることができるのならば、その後このお子様ダンジョンの手足になり果てたとしても後悔はない。



真四角の輸送バッグを机替わりにしてテーブルクロスを敷き、その上にパンケーキの載った皿を置く。


すると、その横に全く同じ幻影のパンケーキが現れた。


幻影のダンジョン用の幻影のパンケーキということらしい。お子様ゆえの凝り性があるといった趣で、なかなか嫌いではない。


「では」


〈いただきます!〉


私とダンジョンは手を合わせて一礼した。


まずは上の2枚をゆっくりと別皿に下ろし、それを半分に切り、口へと運んだ。目を閉じて、その味に集中する。


「……」


真に旨いものを口にしたとき、ヒト(ゴーレム)はすぐに感想を口に出せなくなる。その仔細をだまって確かめていくものだ。


口の中のパンケーキが無くなってから目を開く。


すると目からは一筋の水がこぼれ落ちた。


おっと早合点するのはやめてほしい。輸送ゴーレムは泣かないのだ。したがってヒトたちの涙とはまったく別の水である。過剰な感性器官への刺激とそれに伴う周辺回路の稼働過多が重なると、高温になった前頭部の温度を冷却するために自然と水が流れてくるのだ。

システムとしてはありふれた仕様である。


ただ、予想はしておらず、自分でも少し意外であった。


その理由を考えてみるに、


理由1:今用意しうる最高の材料をふんだんに使った、パンケーキとしての完成度の高さ


理由2:強度の高い運動行為の直後かつ低エーテル症状


理由3:沈む夕日と(機能停止したゴーレム同胞が沈んでいることを抜きにすれば)澄み切った清らかな湖面を背景に、あたりには穏やかな風が流れる、とてもダンジョンの中とは思えない開放的なロケーション


この3つが漏水の主な原因であろうと考えられた。

〈「理由4:これが最後の食事だという感慨」も追加しなよ。〉感慨をナチュラルに破壊するのはやめろ〈いやーほんと『おいしい』ね! 『いいにおい』だし『おいしい』だし、なんかすっごい気分良いね!〉


「静かにしろ! せっかくの食事が台無しじゃねえか」


〈いいじゃんカタいこと言わないで〉


「うっせ……味に集中できねえだろうが。飯は黙って食うもんだ」


〈でもでも~〉


と、とてもこれが最後と思えない騒がしい食事ではあったものの、終わってみればあっという間である。最期の一枚を食べ終わった私は一息ついて立ち上がり、大きく伸びをする。


「ありがとよ」私は礼を言った。ゴーレムとは義理堅いものなのだ。「これで心おきなく、お前に身体をくれてやれる」


とはいえ、いま私が私としての自我を失うことは非常に心残りであった。

素材や調理方法だけが味の決め手になると思い込んでいた私は、今までにない食事の可能性に感動し、もっとこの複雑さを探求したいと思い始めていたからだ。


材料、調理法、出来た料理のクオリティだけでなく、そこに至るまでの経緯、ボディコンディション、体内のエーテル残量、場所・照度などの周辺環境全般が、ここまで料理の『味』を深く複雑にしていくなぞ思ってもみなかったのである。

本来は味に集中できている筈がない他者の騒がしささえ、普段とは違う味付けになっていることだって、まあ否定はできない。

料理には、そして味には、材料と調理法の組み合わせ以上の無限の可能性がある。


その奥深さを知りたい。


その先にあるものを知りたい。


だがそれも今となっては。


時すでに――。


私は黙って、目を閉じた。



>つづく

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