第2話 確変の支配者
カジノ都市ドラド。
砂漠の真ん中に突如として現れるその街は、夜になると地上の星空のごとく煌びやかな光を放つ。欲望と金、そして絶望と歓喜が渦巻く、この大陸最大の歓楽街だ。
一週間かけて荒野を踏破した俺は、その巨大な門をくぐり抜けた。
身なりは酷いものだ。一週間風呂にも入らず、魔物との遭遇を避けるために泥や草汁を体に塗りたくっている。服はあちこちが破れ、勇者パーティから放り出された時のままだ。
だが、門番たちは俺を止めなかった。この街に来る者の半数は、一攫千金を夢見る食い詰め者だからだ。金さえ落とせば、王族だろうが乞食だろうが客として扱う。それがドラドの流儀だった。
「さて、まずは種銭を作るか」
俺は街の喧騒に紛れながら、路地裏の質屋に入った。
質草にしたのは、靴の底に隠していた小さな短剣だ。ミスリル銀製の、軍師としての護身用にと自分で買ったものだ。アレクたちに身包み剥がされた時、これだけは見つからずに済んだ。
店主は足元を見るような査定額を提示してきたが、俺は交渉しなかった。今は一刻も早くカジノに入りたかったからだ。
手に入れたのは銀貨三枚。宿に泊まれば二日で消える額だが、今の俺にはこれで十分すぎる。
俺が向かったのは、街の中央に鎮座する巨大なカジノホテル『黄金の天蓋(ゴールデン・キャノピー)』だ。
黄金色のドーム屋根を持つその建物は、ドラドの繁栄と腐敗の象徴と言われている。入り口には屈強なガードマンが立っていたが、銀貨を一枚チップとして渡すと、鼻をつまみながらも通してくれた。
ホールに足を踏み入れると、熱気が肌を打った。
紫煙と酒の匂い、コインがぶつかり合う金属音、男たちの怒号と女たちの嬌声。かつてアレクたちと来た時は、この空気に当てられて頭痛がしたものだが、今は違う。
俺の視界には、あの不快な「黒いモヤ」があちこちに見えている。
だが、荒野の時とは違う。ここでは「黒いモヤ」は「死」ではなく「敗北」を意味していた。
俺はまず、ルーレットの台に向かった。
赤と黒、そして数字が書かれた回転盤。ディーラーが象牙の球を投げ入れる。
客たちは血走った目でテーブルを見つめ、祈るようにチップを置いている。
俺には、結果が見えていた。
盤上の数字のほとんどが、ドス黒いモヤに覆われている。それは「そこに賭ければ金を失う(死ぬ)」という未来の可視化だ。
そして、たった一箇所だけ、光が差したようにクリアに見える場所がある。
『黒の17』
俺は残りの銀貨二枚を、迷わずその一点に置いた。
周りの客が「おいおい、あのボロ雑巾、いきなり一点賭けかよ」「捨て鉢になってるな」と嘲笑う声が聞こえる。
ディーラーが無表情に球を投じる。
カラカラと乾いた音を立てて球が回り、やがて勢いを失って盤上を跳ねる。
カコン、と最後に音が止まった場所。
「黒の17。おめでとうございます」
どよめきが起きた。配当は三十六倍。銀貨二枚が、一瞬にして小金持ちの財布ほどに膨れ上がった。
俺は表情一つ変えずにチップを回収し、そのまま次の勝負へ向かう。
ここからは、ただの作業だった。
黒いモヤがない場所にチップを置く。増える。また置く。増える。
ルーレット、ダイス、バカラ。どのゲームでも同じだ。
俺にとってギャンブルとは、不確定な未来に賭けるスリルを楽しむものではない。
ただ、地面に落ちている金を拾い集めるだけの、退屈な労働だった。
一時間後。
俺の手元には、山のような金貨と高額チップが積み上げられていた。
周りの客たちは、もはや俺を嘲笑っていなかった。畏怖と嫉妬、そして興奮が入り混じった視線が俺に突き刺さる。
「おい見ろよ、あいつまた当てたぞ」
「一度も外してねえ……何者だ?」
「イカサマか? でもディーラーも監視してるぞ」
俺はチップの山を崩しながら、冷たい酒を喉に流し込んだ。
最高だ。
アレクたちの機嫌を伺い、安全なルートを探して必死に頭を下げていた日々が嘘のようだ。
ここでは、俺の能力こそが正義であり、絶対的な力なのだ。
その時、黒服を着た男たちが数人、俺のテーブルを取り囲んだ。
客たちが蜘蛛の子を散らすように離れていく。
現れたのは、でっぷりと太った男だった。指には下品なほど大きな宝石の指輪をいくつも嵌め、脂ぎった顔に愛想笑いを張り付かせている。
このカジノの支配人、ゴズだ。噂には聞いている。金のためなら殺人も厭わない、強欲の権化。
「おやあ、お客様。随分とツキがおありのようで」
ゴズは猫撫で声で言ったが、その目は笑っていなかった。
「ここは少々騒がしいでしょう。よろしければ、奥のVIPルームで特別なゲームを楽しみませんか? レートも、サービスも、こことは桁違いですよ」
断れば、力尽くで排除するつもりだろう。黒服たちの手が、上着の下の武器に伸びているのが見える。
俺は悠然と立ち上がった。
「いいだろう。ちょうど、小銭拾いにも飽きてきたところだ」
案内されたVIPルームは、王宮の一室のように豪華だった。
ふかふかの絨毯、最高級の調度品。中央には、緑色の羅紗が張られた大きなテーブルが置かれている。
俺が席に着くと、ゴズが向かい側に座った。
「さて、お客様。ここでは私が相手を務めさせていただきます。ゲームはシンプルに『ポーカー』でいかがかな?」
「構わない」
「では、ディーラーを呼びましょう。おい、ルナ!」
ゴズが手を叩くと、部屋の隅から一人の少女が現れた。
その姿を見て、俺はわずかに眉を動かした。
透き通るような銀色の髪に、宝石のアメジストのような瞳。だが、その瞳には生気がなく、首には重厚な鉄の首輪――奴隷の首輪が嵌められていた。
整った顔立ちをしているが、酷く痩せている。カジノの制服である露出の多いドレスから覗く手足には、折檻の跡と思わしき痣がいくつも見えた。
「彼女はルナ。私の自慢の所有物でしてね。目はいいが、少々頭が悪いのが玉に瑕ですが」
ゴズが下卑た笑いを浮かべてルナの腰を撫でる。ルナはびくりと体を震わせたが、抵抗はしなかった。
彼女がカードをシャッフルし始める。その指先を見て、俺は確信した。
この少女、ただのディーラーではない。
指の動きが異常に速く、正確だ。動体視力と指先の器用さが、常人のレベルを遥かに超えている。
そして――彼女の手元に、濃い黒いモヤが見えた。
彼女は今、「イカサマ」を強要されている。
ゴズの合図一つで、俺に不利なカードを配るように仕込まれているのだ。そして、もし彼女が失敗すれば、待っているのは「死」に等しい罰。その恐怖が、彼女の周りのモヤとなって視覚化されている。
ゲームが始まった。
最初は軽いジャブの応酬だ。俺はわざと数回負け、ゴズを油断させた。
ゴズは上機嫌で葉巻をふかし、俺を挑発する。
「どうしました? さっきまでの勢いは。やはりビギナーズラックでしたかな?」
「……配られたカードが悪かっただけだ」
俺は演技をした。焦り、苛立つ若造を演じる。
だが、俺の目は常にルナを見ていた。
彼女がカードを配るたび、その瞳が一瞬だけ俺を見る。そこには、悲痛な叫びが込められていた。
『逃げて』
声にならない声が聞こえた気がした。彼女は、自分がイカサマの片棒を担がされていることに罪悪感を抱き、俺に警告を送っているのだ。
自分も酷い目に遭わされているというのに、他人の心配か。
お人好しなことだ。だが、かつてのアレクたちのような腐った連中とは大違いだ。
(気に入った)
俺の中で、方針が決まった。
単に金を毟り取るだけではつまらない。
このカジノごと、そしてこの優秀な目を持つ少女ごと、頂くことにしよう。
「レートを上げよう」
俺は手持ちのチップを全てテーブルの中央に押し出した。
今のレートで数億ゴールドに相当する山だ。
「この全額を賭ける。一発勝負だ」
ゴズの目が大きく見開かれた。
「ほ、本気ですか? 負ければ無一文ですよ?」
「その代わり、アンタも同額を賭けてもらおう。だが、現金じゃなくていい」
俺は懐から、一通の羊皮紙を取り出した。先ほど質屋の帰りに代書屋で作らせておいた契約書だ。
「俺が勝ったら、このカジノの権利書と、そこにいるディーラーの所有権をもらう。俺のチップの総額と釣り合うはずだ」
ゴズの顔色が変わり、次にどす黒い笑みが浮かんだ。
彼にとって、これは必勝の賭けだ。ルナを使ってイカサマをすれば、俺に勝ち目はないのだから。
カジノの権利など、賭けても痛くも痒くもない。絶対に負けないのだから。
「いいでしょう! その勝負、受けましょう!」
ゴズが契約書にサインをした瞬間、空気が張り詰めた。
ルナの顔が蒼白になる。彼女の手が震えている。もしイカサマを失敗すれば、彼女は殺される。だが、成功させれば、俺は破滅する。
彼女にとって地獄の選択だ。
「配れ」
俺の短く冷徹な命令に、ルナがおずおずとカードを配り始めた。
ゴズがニヤリと笑い、俺を見た。
彼の手元には、おそらく最強の手札が入るよう合図が送られている。
俺の手元には、ブタ(役なし)が来るはずだ。
5枚のカードが配られた。
俺はカードを見ずに、伏せたままテーブルに置いた。
「オープンだ」
ゴズが得意げに自分のカードを開く。
「ロイヤルストレートフラッシュ。残念でしたね、坊主!」
最強の役だ。イカサマとしては芸がないほど完璧な手だ。
勝ち誇るゴズ。
絶望に目を閉じるルナ。
だが、俺は静かに笑った。
「おい、ゴズ。アンタ、自分のイカサマに絶対の自信があるようだが……詰めが甘いぞ」
「な、なんだと?」
「ルナの手元をよく見てみろ」
ゴズが怪訝そうにルナを見る。
ルナの手は、震えながらも、まだデッキ(山札)の上にあった。
そして、俺の『死線視』は、はっきりと捉えていた。
ルナが配る直前、ゴズの視線を盗んで、ほんのわずかにカードをすり替えた瞬間を。
彼女は、俺を救おうとしたのだ。自分の命を賭けて、イカサマの指示に背いた。
ゴズに配るはずだった最強の手札を、俺の方へ回そうとした――わけではない。彼女にそこまでの技術はない。
彼女ができたのは、ゴズに配られるはずのカードを、一枚だけ「無作為に」ずらすことだけだった。
「カードを確認しろ」
ゴズが慌てて自分のカードを見直す。
スペードの10、J、Q、K……そして、最後の一枚は。
本来ならAがあるはずの場所に、ハートの2が混ざっていた。
「なっ……!?」
役が崩れている。ただのフラッシュですらない。
「そして、俺のカードは」
俺は自分のカードを表にした。
そこにあったのは、バラバラの数字と記号。役など何もない、ただのブタだ。
「は……ははは! なんだ、脅かしやがって! 貴様もブタじゃねえか! なら、絵札が多い俺の勝ちだ!」
ゴズが狂ったように笑い出した。
ルナが顔を覆う。彼女の決死の妨害も、俺の引きの弱さまではカバーできなかったのだ。
「いいや、違うな」
俺は指先で、テーブルの端をコンコンと叩いた。
「この契約書をよく読んでみろ。『ポーカーの役で勝負する』とは一言も書いていない」
「は? 何を……」
「俺が書いた条件はこうだ。『互いにカードを5枚引き、その合計数字が小さい方を勝者とする(Aは1、絵札は10とする)』」
ゴズが凍りついた。
慌てて契約書をひったくり、小さな文字で書かれた追記事項を読む。
そこには確かに、俺の言った通りのルールが記されていた。
ゴズは「ポーカー」と言ったが、俺は「構わない」と答えただけで、ポーカーのルールでやるとは言っていない。そしてサインをする前、俺は彼に契約書を渡した。彼は勝利を確信して、中身をよく読まずにサインした。
「計算してみようか。俺の手札は2、3、5、7、8。合計25だ。アンタは10が4枚に、2が1枚。合計42」
静寂が支配した。
ゴズの顔が赤から青へ、そして土色へと変わっていく。
「ば、馬鹿な……詐欺だ! こんなの無効だ!」
「不正? 詐欺? 笑わせるな。イカサマを仕組んでロイヤルストレートフラッシュを作ろうとしたのはどっちだ? そのイカサマのおかげで、アンタの手札の数字は跳ね上がった。皮肉なもんだな」
俺は立ち上がり、ゴズを見下ろした。
ルナの勇気ある「失敗」がなければ、ゴズの手札は最強の役=高得点のカードで埋め尽くされていた。彼女がずらしたカードが「2」だったのは偶然だが、それでも俺の勝利は揺るがない。
俺は最初から、ゴズがイカサマをすること、そしてルナがそれに抵抗しようとすること、その全ての「可能性」を視ていた。
ルナが裏切らなければ、俺は別のイカサマを指摘して勝負を無効にするつもりだった。だが、彼女は期待に応えてくれた。
「衛兵! 衛兵! こいつを殺せ!」
ゴズが錯乱して叫ぶ。
VIPルームの扉が開き、武装した男たちが雪崩れ込んでくる。
だが、俺は動じない。
「動くな。このカジノのオーナーは、今この瞬間から俺だ」
俺は契約書を高く掲げた。
そこには、魔力による絶対の拘束力が宿っている。この世界の契約魔法は絶対だ。ゴズがサインした瞬間、カジノの魔導システムは俺をマスターとして認識している。
「衛兵たちよ。新しいオーナーとして命令する。この不法侵入者の豚を、外へ叩き出せ」
衛兵たちが動きを止めた。彼らはカジノに雇われているのであって、ゴズ個人に忠誠を誓っているわけではない。彼らの首輪にある魔石が、俺の魔力に反応して青く輝く。
次の瞬間、彼らはゴズを取り押さえた。
「離せ! 俺のカジノだぞ! 俺の金だ!」
見苦しく喚き散らすゴズは、あえなく部屋から引きずり出されていった。
部屋に残されたのは、俺と、呆然と立ち尽くすルナだけ。
俺はルナに歩み寄ると、腰の短剣を抜いた。
ルナが身をすくませる。
俺は剣を一閃させ、彼女の首輪を切り裂いた。
カアン、と金属音がして、鉄の首輪が床に落ちる。
「……え?」
「契約通り、お前の所有権は俺のものになった。だから、俺の判断でお前を解放する」
ルナは信じられないものを見る目で、自分の首を触った。ずっと彼女を縛り付けていた冷たい鉄の感触がない。
「なんで……私なんかを」
「お前には才能がある。そして何より、自分の命を賭けて客を救おうとする度胸がある。俺が求めていた人材だ」
俺はチップの山から一枚の金貨を弾き、彼女に渡した。
「自由だ、ルナ。ここから出て行って、好きな場所へ行けばいい。だがもし、行く当てがないなら――俺の下で働かないか? もちろん、奴隷としてじゃなく、対等なパートナーとしてな」
ルナは金貨を握りしめ、溢れ出る涙を拭おうともせずに俺を見上げた。
その瞳には、先ほどまでの絶望は消え、強い光が宿っていた。
「……行かない」
「ん?」
「どこにも行かない。私は、あなたの役に立ちたい。あなたの目が、私を救ってくれたから……私の全てを、あなたに捧げます」
彼女はその場に跪き、俺の手の甲に口づけをした。それは、絶対の忠誠を誓う騎士の礼だった。
俺は満足げに頷き、カジノのバルコニーへと出た。
眼下には、俺のものとなったドラドの街が広がっている。
一夜にして、無一文の追放者から、巨万の富を持つカジノ王へ。
最高の気分だ。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
この莫大な資金と、未来を視る目、そしてルナという最強の「目」があれば、この国の経済すら支配できる。
俺は夜風に吹かれながら、ふと北の空を見上げた。
そこには、かつての仲間たちが向かった峡谷がある。
「さて、アレク。今頃お前たちは、地獄の一丁目で踊っている頃かな?」
俺は冷酷な笑みを浮かべ、手に持っていたワインを一気に飲み干した。
復讐の舞台は整った。あとは、彼らが泣き叫びながら這いつくばる様を、特等席で高みの見物といこうじゃないか。
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