第二話◇理性は剣、欲望は獣。〜財前慶一郎視点


◇◇財前慶一郎視点


 ――実は僕と桜子さんの婚約には、特別な取り決めがあった。


 それは『十八歳の正式な【顔合せの儀】までは、直接会ってはいけない』というものだった。

 

 理性を尊び、学業を優先するため――そう大人達は言っていたのだが…。


 要は恋にかまけて僕と桜子さんの学力が落ちるのを危惧したのだろう。


(くそっ!さては母さん辺りが写真を見た時点で桜子さんが僕の好みのど真ん中だという事を見抜いていたな!


 こんな事なら条件を聞いた際に少しは抵抗しておくべきだった!!)


――そう。12歳で婚約することに不安を抱いていた僕は、むしろその条件を最初に聞いた時に少なからずホッとしてしまっていた。


 だから自然に受け入れてしまっていたのだ。


 まさか、自分が桜子さんに一目惚れするとは思っていなかったから。


(…だが、ルールを破って伊集院家の方達に白い目で見られたくない。


 それに、確かにあんなに愛らしい桜子さんに頻繁に会えてしまったら今はまだ自制出来る気がしない。


 知能が確実に低下する気がする。)


僕は唯一許された文通で送られてくる桜子さんの手紙を心待ちするようになっていた。


(桜子さん。待っていて下さい。

 僕は必ず貴方に相応しい男になってみせます。)


心の中で血の涙を流しながら僕は受験勉強をひたすら頑張った。


 1日12時間。睡眠と食事以外は全て勉強時間に回した。


 ――そして、遂に名門男子校である『帝都学院中学』に合格した。


◇◇


 帝都学院中学は、日本全国から厳しい受験戦争を潜り抜けた秀才達だけが集結する進学校である。


 中には小学校の時点でジュニア数学オリンピックで受賞している強者までいた。


 ――入学式の朝。


 真新しい詰襟の制服を着た新入生が並ぶ中、壇上で生徒会長の演説が始まった。


「帝都学院の校訓は『理性は剣、欲望は獣。』だ。


 いいか。我々は神に選ばれし蛍雪の友である。


 理性を保てぬ不届者は“再教育合宿”に送られる。

 覚悟をしろ!!」


その言葉に何人かがゴクリと生唾を飲み込む。


 ――ちなみに再教育合宿とはただの補修のことである。


 だが基本的には勉強しろとは言われずに皆が好きな事を追求する中、合宿に送られる…ということはこの学校の学生として最大の屈辱なのだ。


 教師達の眼鏡が会長に同意するかのようにキラリと光った。


 ちなみに教師の7割はこの学校のOBで全員眼鏡である。


 こうしてスタートした学校生活はとても楽しく有意義なものだった。

 

「おお、蛍雪の友よっ!!」

「今日も共に勉学に励もうではないか!」


ここにいる友人達は知能指数が同レベルだ。


 僕の敬愛するニヤンタ・デシュパンデ氏の著書である『インド式勉強法』を実践したという仲間もおり、勉強法について様々な議論を展開する事ができた。


 幅広い知識に知的好奇心を併せ持つ学友達は、話をしていてとても楽しい。


 幼少期、孤独を感じていた僕は歓喜で打ち震えっぱなしだった。


 参観日になると駐車場には、黒塗りのベンツ、ロールスロイス、ポルシェ、レクサス、センチュリー等が並び、さながら高級車の展示会場のようである。


 もちろん、我が家の車もその一角を占めていた。だが僕は、優越感よりもむしろ退屈を感じていた。


「知性の光こそが、唯一の本物のステータスだ。」


僕はそう呟き、窓の外の車列を一瞥する。


 母が車から降りるのを見て、隣で友人の宮西が小声で言った。


「財前んちの車、すげーな。うちの親、軽だぞ。」


「…僕にとってはどちらも燃料を燃やす鉄の塊にすぎない。大事なのはその性能だ。」


宮西がポカンと口を開けた。僕はノートの余白に書きつけた。


『本日の観察記録:社会的階層は燃費では測れない。』


◇◇


 そして、僕達は高等部へと繰り上がった。


 一部女子を求めて共学に編入した裏切り者もいたが、基本的には成績が余程悪い者以外は同じメンツである。


 はじめは蛍雪の友達との出会いに浮かれてまくっていた僕だったが、いつしかある種の劣情を抱くようになった。


 ――放課後。


 クラスメイトがファーストフード店へ流れる中、僕は一人だけ別方向へ歩いていた。


「……ハンバーガーに六角チョコパイ?そんな油と糖の塊、思考の敵だ。」


そして、僕は商店街の端にある小さな日本料理屋に入る。暖簾には『旬彩 こまつ』とある。


「今日のランチは鰆の西京焼きか。悪くない。」


僕はお茶を一口含み、真顔で呟く。


「旨味のバランスが知的だ。」


隣の席のサラリーマンが、水をブハッと吹き出して思わず僕を二度見した。


「いたいた!財前!お前、こんな所でメシ食ってんの?!一体どこの大人だよ…。」


後から来た宮西が苦笑している。


「婚約者の桜子さんと恋愛ができない代わりに、味覚でドーパミンを補っているんだ。


 お前も食え。僕が奢ってやる。」


――そう。高校生になっても、18歳になるまで僕は桜子さんに会う事が出来ない。


 ちなみに僕だけではなく、生徒達の殆どは皆恋などする事が出来ない。この学校には女子がいないからだ。

 

 …もちろん例外として、一部男同士で恋に落ちる者達もいるようだが。ちなみに性癖は自由なので否定はしない。


 だが、恋をすることが出来ない同級生達にお互いがある種の仲間意識を持っている事は明白だった。


 僕は桜子さんに会えない寂しさを紛らわせる為に、『食』を探求することにした。


 ――家に帰ると、桜子さんからの手紙が届いており気分が急浮上する。


(相変わらず可愛らしい手紙だな。)


テディベアの絵が描かれた可愛らしい封筒に思わず頰が緩む。


 僕は一人部屋に戻ると、必ず机の上を片付け、手を洗い、椅子に深く腰掛けてから封を切った。


 ――これは理性を保つための儀式である。


『慶一郎様。

 お元気ですか?


 先日、友人の朱里様と真言密教の聖地、高野山を訪れました。


 世界遺産を訪れるのは人生で7度目となります。


 中でも壇上伽藍(だんじょうがらん)の美しさに目を奪われました。


 こちらは胎蔵曼荼羅(たいじょうまんだら)を立体化したものであると言われております。


 建築物の中に入ると、本当にまるで何か優しい力に包まれているような不思議な感覚を体験する事が出来ました。』


 丁寧で美しい彼女の文字を見ていると、それだけで静謐な気持ちになってくるので不思議である。 


 そして、封筒の中には『こうやくんピンバッチ』が同封されていた。


(このピンバッジは通学鞄に付けよう。高野山と、こうやくん。この落差が、桜子さんらしい。)


僕はいそいそとピンバッチを付けた。


(…彼女は僕の事をどう思っているのだろう。


 僕は桜子さんにこんなに会いたいのに…。いつも当たり障りのない近況報告ばかりだ。)


そう思ってしまった瞬間、僕は慌てて首を振った。


 そんな感情は合理的ではない。


 ――桜子さんに触れられない。会う事すら出来ない。


 その事実が、日を追うごとに、僕の中で重くなっていった。


◇◇


 ――高等部二年の秋。僕達は修学旅行でイギリスに来ていた。


 すると、何故か日本の他の共学の高校とキングス・クロス駅で鉢合わせしてしまったのだ。


「やめてよぉ♡」

「別にいいじゃん、これくらい。」

「やぁーだぁー♡」


…あの共学の下等生物ども。


 ――いや、進化の分岐点を誤った霊長類どもめ。昼間から人間性を放棄し、衝動的な求愛行動に没頭している。


 海外とはいえ公共の場で、理性のかけらもない。


(クソッ、理性より快楽を優先するボノボどもがっ!


 人間世界から退散してホグワーツにでも行ってしまえ!!)


恋愛行為を理屈で説明できないなら、せめて進化の過程をもう一度やり直せばいい。


(……あぁ、桜子さん。


 僕はあなたの頬に指先ひとつ触れることすら許されないというのに。


 …くそっ…くそっ!!!


 クソクソクソクソクソクソクソクソ!!!

 羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい!!!


 桜子さぁあああああん!!!)


「…なぜ、なぜだぁああ!!!!!!」


ガン!ガン!ガン!ガン!


 僕は気が付くとキングス・クロス駅の壁に頭を打ちつけていた。


「先生ー!財前が壁に頭を打ち付けていまーす。」


そう言って同級生達は爆笑している。ちなみにその片隅では友人で鉄道オタクの和田がクラス43ディーゼル機関車『インターシティ125』を激写している。


 ――そう。僕は桜子さんに会えないあまり、こじらせていた。


 そして、このこじれは、やがて『暴走』へと変わっていく。

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