第2話

 2人の間に血の繋がりがないことは、物心がつく頃から知っていた。それは隠されていた事実を偶然明らかにしてしまったわけではないし、勿論、両親からの愛情に差があって感づいてしまったというわけでもない。互いを他人と認識できるようになった年頃に、家族になることが決まったというだけの話だ。

 それでも元他人とは思えないほど仲睦まじく育った兄妹は、何も知らない周りの人間からは「仲の良い兄妹ね」と温かい目で見られることが殆どだった。幼少期は、日々の生活の中で子供らしい衝突が生じたことも少なくなかったが…成長してからは、最後に喧嘩をしたのがいつだったかもう思い出せない程だ。

「ありがとうございましたー」

 やる気のなさそうな男性店員の声を受けながら、理人と涼夏は並んでコンビニエンスストアを後にする。外はもうすっかり暗くなっており、背中越しの照明に照らされ、影の形がアスファルトにはっきりと浮かび上がっていた。

 店の駐車場を横切ってすぐ、真ん中からぱっくり割られた肉まんの片割れが涼夏の目の前に差し出された。断面からは温かそうな湯気が生姜の香りを伴って立ち上っているが、1月の夜の空気の中であっという間に霧散してしまう。

「火傷するなよ」

「はぁい」

 そうは言うが、これでは余程急いで食べない限り、火傷をするのは難しそうだ。涼夏は理人の言葉に生返事をして、2、3度息を吹きかけて冷ます素振りを見せると、すぐにふくふくした大ぶりの肉まんにかぶりついた。ふかふかの生地と具だくさんの餡を頬張ると、口の中いっぱいに豚肉の旨味と共に多幸感が広がる。

 一口一口を噛み締めたいのに、割ってしまったがために徐々に温度が奪われていくのに勿体なさを感じる。とはいえほんのり残る温もりに、寒さで縮こまっていた気持ちは自然と上向きになる。2/3ほど食べ進め、ふと視線を横にずらしてみると、理人は最後の一欠片を飲み込んだところだった。彼が口の端を親指で雑に拭うのを見、涼夏も残りを口に放り込むと鞄の中から手探りでウェットティッシュを探した。

「…ハムスターみたいになってる。写真撮ってやろうか」

「んーんん…はぁ、美味しかった!ごちそうさま」

「ん、美味かったな」

「理人には少なかったんじゃない?」

「すぐ夕飯だから大丈夫…サンキュ」

 大振りだったとはいえ、半分に割られた肉まんでは部活終わりの男子高校生の腹を満たすには役者が足りないだろう。が、それほど不満げな様子もなく、理人は差し出されたウェットティッシュを受け取った。

 高校から家までは徒歩30分程。少しばかり寄り道をしたが、なんだかんだと会話しながら歩いていれば直に着く。毎日のように共に帰宅し、家でも顔を合わせているというのに、話が尽きないのが不思議でならない。だからといってわざわざ別に行動する理由も2人は持ち合わせていなかった。そんなことを疑問に思う余地がないほど、互いが互いの隣にぬるま湯のような居心地の良さを感じているのは間違いないのだろう。

 ただ、その理由ができてしまったら?横目で気づかれないように隣に視線を移す。

−どっちかに恋人ができたら、こうやって一緒に帰ることもなくなるんだろうな

 そんな当たり前の未来、当たり前の想像が脳裏によぎったのはどちらだったのだろう。それは胸に一抹の寂しさを落とすが、関係が遷ろうに駄々をこねる程、いつまでも子供ではいられない。それが自然な流れであることは明らかなのだから。

 それでも今はまだ置いていくことも、置いていかれることもうまく思い描くことができない。頭の中に描いた未来予想図はすりガラス越しに見ているかのように輪郭がぼやけている。願わくばもう暫く、この時間が続きますように、とこっそり胸に秘めるだけに留めるより他なかった。


 玄関をくぐるとふわりと鰹と昆布の香りが漂ってきて、鼻腔をくすぐる。先ほど間食をしたばかりなのに2人の食欲はダイレクトに刺激され、今にも腹の虫が鳴りそうだ。

「「ただいまー」」

 誤魔化すように上げた声が重なり、顔を見合わせ笑い合う。それが耳に届いたようで、通勤着のままの母が両腕に取り込んだばかりの洗濯物を抱えてリビングから顔だけ出した。

「おかえり。もう帰ってると思ったのに返事がなかったからおかしいなと思ってたのよね。遅かったけど、部活?」

「俺がミーティングあって」

「理人待ってた〜」

「えぇ?こんな時間まで?」

 少し驚いた様子の母はそう言いながらも、再び部屋の奥へ引っ込んだ。涼夏がローファーを脱ぎながら下駄箱の時計に目をやると、19時を過ぎたところ…その時初めて、思っていたより遅くなってしまった事に気がついた。この時間になったのは半分程が不可抗力ではあったが、特別補足もせず、「そうだよ」とだけ返して洗面所へ。

 母の姿は見えなくなったものの、パタパタとスリッパが床を叩く音が聞こえ、忙しそうだということは手に取るようにわかった。理人がコート掛けにコートを掛けていると、焦ったような声だけが飛んできた。

「あっ!ねぇちょっとお鍋の火弱めてくれない?」

 声に反応して洗面所から顔を覗かせた涼夏を「俺やるから」と制し、足早に向かう。コンロには2つの鍋が火にかかっている。理人は逡巡したが、大きい両手鍋が吹きこぼれそうにカタカタ震え始めたのを見てすぐにそちら側の火力を弱めた。鍋の蓋は火の勢いに比例して大人しくなる。隙間から一滴だけこぼれ落ちた煮汁が五徳に触れると、ジュッという音と共に辺りに漂う出汁の香りが濃さを増す。その香ばしさに理人の腹の虫はとうとう音を上げた…が、母の様子から察するに夕飯はまだ先だろう。念の為もう片方の片手鍋はまだ余裕があることを確認していると、母がまたパタパタと足音を立てながらキッチンに戻ってきた。

「ありがとう〜!理人、汗かいたでしょ。お風呂沸かしたからご飯の前に入っちゃったら?」

「そうする」

 自室で鞄や制服のブレザーと引き換えに、部屋着にしているブルーグレーのスウェットを手にとって浴室へ向かうと、丁度用事が済んだ涼夏が出てきたところだった。

「お風呂?」

「ああ」

「あ、そうだ。昨日ボディソープ空にしちゃった…と思う」

「分かった、入れとくよ」

「ごめん〜」

 拝むように両手を合わせる涼夏に「それほどのことじゃないだろ」と苦笑する。

 扉を後ろ手に締め、手に持っていた着替えやタオルをその場に落とす。ボディソープの詰め替えを忘れないように頭の中で繰り返し唱えながら、1つずつワイシャツのボタンを外していく。袖から腕を抜いた時、ふとテレビの音量が一段階下がったことに気づいた。特に聞いていたわけでもなかったが、不思議に思って耳を澄ませてみると、夕方のニュースで交通事故が報じられているのが聞こえてくる。痛ましい出来事にトーンを落とした女性アナウンサーの声は、扉越しでは聞き取りづらく、聞き取れたのは断片的な内容だった。5歳の少年、高速道路、軽自動車…ワードだけで大体の想像がつく。幼い子供が絡む交通事故のニュースは、特別子供好きというわけではなくとも心苦しい内容だ。そっと胸の内から何かを逃がすように短い息を吐く。

 音量を下げたのは大方母だろう、と理人には容易に想像がついた。今なお気遣われていたとは。自嘲するような笑みを口元に浮かべて脱いだばかりの衣服を洗濯機に放り込んで肌寒さの残る浴室に入る。

 シャワーヘッドを横に向け、蛇口を捻ると勢いよく冷水が噴き出した。小さな水滴が壁で跳ね返り、その温度に大きく身震いした。一拍置いて指先をまだ冷たいシャワーに差し込むと、そう時間もかからずに温度が上がり始めた。頭を水の束に突っ込んで、後頭部に水圧を感じながら、軽く目を閉じる…あの出来事から、そしてこの佐倉家の家族になってから、もう13年にもなる。

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