第十六章 魔王城訪問

魔王は、城の最奥にある部屋へと二人を案内した。


 重厚な扉が開くと、そこは書庫だった。壁一面に古い書物が並び、埃の匂いが鼻をくすぐる。


「ここは——」


「私の私室だ。千年分の記録が、ここにある」


 魔王は棚の奥から、一通の封書を取り出した。


 古い羊皮紙の封筒。封蝋は剥がれかけているが、文字ははっきりと読める。


『未来の人類へ』


「これが、先代の守護者が残した手紙だ」


 正配は封書を受け取った。


 驚くほど軽い。千年の歳月を経ているはずなのに、紙は崩れていない。


「開けてもいいか」


「ああ。むしろ、開けてほしい。私には、開ける権利がない」


「権利?」


「この手紙は、未来の人類に宛てられたものだ。私は、人類ではない」


 正配は封を切り、中の手紙を取り出した。


   *


『未来の人類へ


 この手紙を読んでいるあなたが誰であれ、まず感謝を伝えたい。


 私はこの世界の初代守護者だった。人類を守り、導く使命を持っていた。


 だが、私の力は永遠ではなかった。いずれ消えゆく定めだった。


 だから、後継者を選んだ。今、あなたの傍らにいるかもしれない存在を。


 しかし、私は一つの懸念を抱いていた。


 守護者は、人類を守るために力を持つ。だが、その力を行使する中で、人類への失望を覚える可能性がある。守るべき存在が、争い、殺し合い、自らを滅ぼそうとする。その姿を見続けることは、どんな存在にとっても苦痛だろう。


 後継者が、いつか人類を敵視するようになるかもしれない。


 その時のために、この手紙を残す。


 未来の人類へ。


 争いをやめてほしい。


 互いを憎み合うのをやめてほしい。


 あなたたちは、一つの空の下に生きている。種族も、国も、立場も違えど、同じ世界を共有している。


 その世界を、守ってほしい。


 守護者に頼らず、自らの手で。


 争いを超えて、繋がってほしい。


 それが、この世界を救う唯一の道だ。


 私はあなたたちを信じている。


 いつか、この手紙が届く日が来ることを、祈っている。


                 初代守護者より』


   *


 正配は手紙を読み終え、顔を上げた。


「これを、なぜ今まで届けなかった」


 魔王は窓の外を見た。


「恥ずかしかったからだ」


「恥ずかしい?」


「初代が懸念した通りになった。私は人類に失望し、敵対した。この手紙を届けることは、自分の過ちを認めることだった」


「だが、今は違う」


「ああ。今は違う」


 魔王は振り返った。


「お前のおかげだ」


「俺?」


「お前は、敵にも味方にも、平等に手紙を届けた。差出人が誰であれ、受取人が誰であれ。その姿を見て、私は思い出した。初代が何を望んでいたかを」


 正配は黙って聞いていた。


「人を繋ぐこと。それが、守護者の本当の役目だった。私は、それを忘れていた」


「だから、和平を望むようになったのか」


「そうだ。だが、私一人では、もう信用されない。だから、お前に頼みたい」


 魔王は正配の前に跪いた。


「この手紙を、届けてほしい。世界中の人類に」


   *


 正配は考え込んだ。


 千年前の手紙を、世界中に届ける。


 技術的には、不可能ではない。万物配達権の力を最大限に使えば、同時に大量の手紙を届けることができる。


 だが——


「一つ、聞いていいか」


「何だ」


「この手紙を届けて、人々は変わるのか」


 魔王は沈黙した。


「分からない」


「分からない?」


「人の心は、手紙一つで変わるものではないかもしれない。だが、変わるきっかけにはなる。少なくとも、私はそう信じたい」


 正配は笑った。


「それなら、届けよう」


「本当か」


「ああ。届けるのは俺の仕事だ。届けた後どうなるかは、届けた相手次第だ」


 正配は立ち上がった。


「だが、準備が必要だ。世界中に届けるなら、郵便局の全機能を使わなければならない」


「何が必要だ」


「時間だ。一週間、待ってくれ」


   *


 正配は郵便局に戻り、スタッフを集めた。


「これから、世界配達を行う」


 全員が目を丸くした。


「世界配達?」


「世界中の人間に、同時に手紙を届ける。史上最大の配達だ」


「そんなことが可能なんですか」


 シルフィアが尋ねた。


「分からない。だが、やってみる」


 正配は局舎に呼びかけた。


「可能か」


《技術的には可能です。ただし、局長のエネルギーを大量に消費します。最悪の場合——》


「最悪の場合は」


《局長の命に関わる可能性があります》


 全員が息を呑んだ。


「局長、それは——」


「分かっている」


 正配は手を挙げて、シルフィアを制した。


「だが、やらなければ、何も変わらない。戦争は続き、人は死に続ける。それを止める可能性があるなら、試す価値はある」


「でも、局長が死んだら——」


「俺が死んでも、郵便局は続く。お前たちがいる」


 沈黙が流れた。


「一週間で準備を整える。その間に、俺の代わりができる人間を育てておいてくれ」


   *


 一週間は、あっという間に過ぎた。


 正配は局員たちに、郵便局運営のすべてを教えた。万物配達権の使い方、局舎との連携、各国との関係。


 シルフィアは、驚くほど早く覚えた。


「あなたがいなくなっても、私たちで何とかやっていけそうです」


「そりゃよかった」


「でも、いなくなってほしくはありません」


 正配は笑った。


「俺もだ。だから、生き残るつもりだ」


「約束してください」


「約束する」


   *


 世界配達の日が来た。


 正配は局舎の中央に立ち、千年前の手紙を掲げた。


「これから、この手紙を世界中に届ける。全ての人間の元に、光の手紙として届ける」


 局員たちが、正配を囲んでいた。


「局長、頑張ってください」


 ミミが言った。


「必ず、戻ってきてください」


「ああ」


 正配は目を閉じた。


 意識を集中する。


 届けたい。


 この想いを、世界中に届けたい。


 争いをやめてほしい。繋がってほしい。


 千年前の守護者の願いを、今、届ける。


   *


 光が溢れた。


 郵便局全体が、まばゆい光に包まれた。


 その光は、壁を突き抜け、空へと昇っていく。


 そして——


 無数の光の筋となって、世界中へと飛んでいった。


   *


 正配の意識は、広がっていった。


 大陸の隅々まで。海の向こうの島々まで。


 すべての人間の元へ、光が届いていく。


 王都の城で。辺境の村で。戦場で。


 光が、人々の胸に触れる。


 そして、声が響く。


『未来の人類へ——』


   *


 世界中で、人々が顔を上げた。


 突然現れた光の手紙。胸に届いた、不思議なメッセージ。


 戦場では、剣を構えた兵士たちが動きを止めた。


 城では、王たちが窓の外を見上げた。


 村では、子供たちが空を指差した。


『争いをやめてほしい——』


『互いを憎み合うのをやめてほしい——』


『繋がってほしい——』


『それが、この世界を救う唯一の道だ——』


   *


 光が収まった時、正配は床に倒れていた。


「局長!」


 シルフィアが駆け寄った。


 正配は息をしていた。微かだが、脈もある。


「生きてる……よかった……」


 ミミが泣きながら言った。


「ああ。約束は守る」


 正配は、かすれた声で答えた。


「届いた……か……」


「はい。届きました。世界中に」


 正配は笑った。


 そして、意識を失った。

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