第八章 海を越えて
その日の夕方、見慣れない客が窓口に現れた。
浅黒い肌に、鮮やかな色の布を巻いた衣装。大陸の住人とは、明らかに雰囲気が違う。
「ここが、噂の郵便局か」
男は流暢な共通語で尋ねた。
「はい。どのようなご用件ですか」
正配が応対した。
「私は、海の向こうのアクアリア諸島から来た。名をナギサという」
海の向こう。
この大陸の東には、広大な海が広がっている。その先に、いくつかの島々があるとは聞いていた。だが、実際にそこから人が来たのは初めてだった。
「遠いところから、ようこそ。何の用件で」
「手紙を届けてほしい」
ナギサは、一通の封書を取り出した。
「故郷の家族に。五年前に島を出て以来、一度も連絡を取れていない」
「なぜ連絡が取れなかったのですか」
「海だ」
ナギサの表情が曇った。
「五年前から、海に魔物が増えた。漁船すら出せない。大きな船でなければ渡れないが、そんな船は滅多に来ない。私がここに来られたのも、奇跡に近い」
正配は考え込んだ。
万物配達権は、手紙を届ける力だ。物理的な距離は関係ない。だが、海の向こうとなると——
「試してみましょう」
正配は封書を受け取り、目を閉じた。
意識を集中する。
地図が浮かぶ。
大陸の東岸。そして、その先の——
見えない。
海の上には、黒い霧がかかっていた。魔王軍の領域と同じだ。何かが、配達を妨害している。
「申し訳ありません。直接は届けられないようです」
ナギサの顔が曇った。
「やはり……」
「ですが」
正配は続けた。
「諦めるつもりはありません。方法は、必ずあるはずです」
「方法?」
「直接届けられないなら、行くしかない」
「行く? 海の向こうに?」
「はい」
ナギサは目を見開いた。
「無茶だ。海には魔物が——」
「郵便局には、特別な機能があります。試す価値はある」
正配は局舎に呼びかけた。
「聞こえているか」
《はい、局長》
「海を越える方法はあるか」
《あります。局舎移動モードを使えば、瞬間移動が可能です》
「距離の制限は」
《視認できる場所、または明確な座標が分かっている場所なら、距離は無制限です》
正配はナギサを見た。
「アクアリア諸島の座標は分かりますか」
「座標?」
「位置です。正確な場所が分かれば、そこに郵便局ごと移動できます」
ナギサは困惑した顔をしたが、やがて何かを思い出したように言った。
「……古い航海図がある。それに、島の位置が記されているはずだ」
「それを見せてください」
*
ナギサが持っていた航海図は、詳細なものだった。
アクアリア諸島は、七つの大きな島と、無数の小島から成る群島国家だった。図には、各島の位置が緯度と経度で記されている。
「これで十分です」
正配は局員たちを集めた。
「明日、アクアリア諸島に行く。希望者は同行してくれ」
全員の手が挙がった。
「全員で行くわけにはいかない。留守番が必要だ」
相談の結果、同行するのは正配、シルフィア、ミミの三人に決まった。残りは、ダルクを筆頭に通常業務を継続する。
「留守の間、何かあったら飛脚団を使って連絡してくれ」
「了解した」
ダルクが頷いた。
「気をつけろよ、局長」
「ああ」
*
翌朝、早くに出発した。
正配は局舎の中央に立ち、航海図を見ながら座標を確認した。
「これでいいか」
《確認しました。アクアリア諸島、中央島への転移を開始します》
局舎全体が、光に包まれた。
一瞬の浮遊感。
そして——
光が晴れると、窓の外の景色が一変していた。
青い海。白い砂浜。そして、緑豊かな島々。
「着いた……」
ミミが感嘆の声を上げた。
「本当に、海を越えたんですね」
シルフィアも驚きを隠せない様子だった。
「この能力、恐ろしいほど便利ですね」
正配は玄関から外に出た。
潮の香りが、鼻腔をくすぐる。波の音が、耳に心地よい。
五十五年生きてきて、こんな場所に来たのは初めてだった。
「局長さん!」
ナギサが駆け寄ってきた。目に涙を浮かべている。
「ここは……本当にアクアリアだ。見てください、あの山。私の故郷の山です」
正配は頷いた。
「さあ、手紙を届けましょう」
*
ナギサの家族は、中央島の漁村に住んでいた。
五年ぶりの再会。母親は泣き崩れ、父親は無言で息子を抱きしめた。
正配たちは、その光景をそっと見守った。
「ありがとうございます」
手紙の配達を終えた後、ナギサが深々と頭を下げた。
「あなたたちのおかげで、家族に会えました」
「いえ、仕事ですから」
正配は照れくさそうに言った。
「それより、この島のことを教えてください。郵便局として、何かできることがあるかもしれない」
ナギサは頷き、島の現状を説明した。
アクアリア諸島は、かつては海洋交易で栄えた国だった。だが、五年前から海に魔物が増え、交易は途絶えた。各島は孤立し、物資も情報も不足している。
「大陸との連絡が取れないのは、致命的です。助けを求めることもできない」
「郵便局が、その橋渡しになれるかもしれません」
正配は提案した。
「定期的に、この島と大陸を往復します。手紙だけでなく、物資も運べる。小規模ですが、交易の代わりにはなるでしょう」
ナギサの目が輝いた。
「本当ですか?」
「本当です。ただし、こちらにも協力者が必要です。手紙の受付と、中継をしてくれる人」
「私がやります」
ナギサは即答した。
「私が、アクアリア側の協力者になります」
こうして、海を越えた郵便網が誕生した。
転生郵便局の活動範囲は、大陸を超えて広がっていった。
*
アクアリア諸島との定期便は、月に二回と決まった。
往路で大陸からの手紙と物資を運び、復路で島々からの手紙と特産品を持ち帰る。
最初は手紙だけだったが、すぐに需要が拡大した。
大陸では手に入らない海産物や、島特有の工芸品。逆に、島では手に入らない金属製品や書物。
郵便局は、いつの間にか小規模な貿易商のような役割も担うようになっていた。
「これは、本来の郵便業務から外れているかもしれませんが」
スタッフ会議で、シルフィアが懸念を述べた。
「物資の輸送は、商人の仕事では」
正配は考え込んだ。
「確かにな。だが、今の状況では、俺たち以外にできる者がいない」
「商人が育つまでの、一時的な措置ということですか」
「そうだ。いずれ、海路が安全になれば、本職の商人に任せればいい。それまでは、郵便局が代わりを務める」
「分かりました」
ただ、正配には別の考えもあった。
郵便局が物資を運ぶことで、各地の経済が活性化する。経済が活性化すれば、人々の暮らしが豊かになる。暮らしが豊かになれば、手紙を書く余裕も生まれる。
結局、全ては繋がっている。
手紙を届けることも、物資を運ぶことも、根っこは同じだ。
人と人を繋ぐこと。
それが、郵便局の本質なのだ。
*
ある日、アクアリア諸島から、特別な依頼が来た。
諸島の首長からの、正式な書簡だった。
「四王国との郵便協定を結びたい」
正配は書簡を読み、驚いた。
郵便協定。つまり、アクアリア諸島が、大陸の郵便網に正式に加わりたいということだ。
「これは……大きな話になりますね」
シルフィアが言った。
「四王国との交渉が必要です」
「ああ。だが、悪い話じゃない」
正配は書簡を懐に仕舞った。
「むしろ、願ってもない機会だ。これを足がかりに、本格的な国際郵便網を作れるかもしれない」
「国際郵便網……」
「俺のいた世界には、万国郵便連合というものがあった。世界中の国が協力して、どこにでも手紙を届けられる仕組みだ。それを、この世界にも作りたい」
壮大な構想だった。
だが、正配の目には、確かな光があった。
「やりましょう」
シルフィアが言った。
「私も、その夢を見てみたい」
「俺も」
ミミが手を挙げた。
「世界中に手紙が届く世界、見てみたいです」
正配は笑った。
「よし。まずは、四王国との交渉から始めよう」
転生郵便局の、新たな挑戦が始まった。
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