第2話

 玄関のドアを開けた先にいたのは、やっぱり七瀬だった。


「……やっぱり」


 思わず口から出る。


「何、そのやっぱり」


 コンビニの袋を片手に、七瀬が少しだけむくれた顔をする。

 いつもと同じ制服で、いつもと同じポニーテールで、でも目の下にうっすらとした影だけが違って見えた。


「おじゃまします」

「どうぞ」


 形式だけのやり取りを挟んで、七瀬は靴を脱いで上がる。

 ここまでの動きは、十年以上繰り返してきたものと同じだった。


「おばさんから連絡来たんだよね」


 廊下を歩きながら、七瀬が言う。


「今日は早く帰ってくると思うから、よかったら顔出してあげてって」


「母さん、余計なことを」


「とりあえず、入ってもいい?」


 いつもの調子に聞こえたけど、その声の裏に緊張みたいなものが混ざっているのは分かった。



 部屋のドアを開けると、散らかった床が目に入る。


「……ちょっと散らかってるけど」


 思わず言い訳が出る。

 プリント、教科書、脱ぎ捨てかけのパーカー。

 病院に行く前に片づけようとして、中途半端なまま止まった残骸だ。


「いつも通りじゃない?」


 七瀬は、特に驚いた様子もなくそう言うと、机の横にしゃがみ込んだ。


「そこ座って。ベッド半分だけ空けるから」


 足元のものを手際よくまとめて、ベッドの端に積んでいく。

 俺は言われるまま、ベッドの角に腰を下ろした。

 七瀬はローテーブルの向こう側、床に正座に近い格好で座る。


 病院帰りの部屋にしては、空気は驚くほどふつうだった。


「これ、とりあえず」


 七瀬がコンビニの袋をテーブルの上に置く。

 中から出てきたのは、ペットボトルのお茶と、ポテチと、プリンと、カップスープ。


「統一感ないな」


「考えてないからね。適当に祐介が好きそうなもの詰めてきた」


「感謝しづらい言い方やめろ」


「ほら、お茶」


 ペットボトルを一本渡される。

 受け取ってキャップをひねると、ようやく喉が渇いていたことに気づいた。



 ペットボトルの半分くらいが減ったところで、七瀬が視線を落としたまま口を開いた。


「……ねえ、祐介」


「ん」


「今日の病院の話、ちゃんと聞いていい?」


 逃げ道のない聞き方だった。

 ごまかすなら、ここしかない。


 でも、さっき診察室で聞いたことを思い出しても、都合のいい言い換えは見つからなかった。


「……余命一年らしいよ、俺」


 言ってみたら、思ったよりもすっと言葉が出た。


「一年、らしい?」


 七瀬の指先が、ペットボトルのラベルを一周触りながら止まる。


「先生の言い方だと、うまくいって一年くらい、って感じだったけど」


「……そっか」


 それだけ。

 励ましの言葉も、「大丈夫だよ」も出てこなかった。

 その「そっか」の二文字で、逆に現実がはっきりした気がした。


「でもさ」


 自分で空気を重くした自覚があって、口が勝手に動く。


「正直、死ぬ実感とか、全然ないんだよな」

 口にしてみても、やっぱりどこか他人事みたいだった。


 七瀬は、すぐには返事をしなかった。

 ペットボトルを持った手が、ほんの少しだけ強くなる。


「……だろうね」


 少し間を置いてから、静かにそう言う。


「さっきおばさんと電話した時に、ちょっと聞いちゃって」


 視線をテーブルの上に落としたまま、言葉を続ける。


「今目の前にいる祐介は、いつもと同じ制服着て、普通に座ってるから……」


 そこで一度、息を吐いた。


「実感ないの、わたしも同じ」


「そっか」


 たぶん、それ以上は言えなかった。



「さっきさ」


 ベッドの上に置いてあったスマホに目をやる。


「家帰ってきて、なんとなく検索したんだよ。遺書 書き方って」


 七瀬のまぶたが、かすかに揺れた。


「……うん」


 それだけ返ってくる。


「そしたらさ、出てくるの、だいたい同じなんだよ。

 家族への感謝を書きましょう、とか、これまでの人生を振り返りましょう、とか」


 画面に並んでいた文章を思い出しながら言う。


「言ってることは全部正しいんだけどさ。なんか、模範解答だけ並べられてる感じで」


 七瀬が、ゆっくりとこっちを見る。


「そういうの、ちゃんと読んだんだ」


「読むだけはな」


 笑おうとして、うまく形にならない。


「俺が真面目にやったら、夏休みの作文の延長みたいになると思う」


 冗談みたいに言ったつもりなのに、声は少しだけ掠れていた。


 七瀬は、その部分には何も触れない。

 ただ、膝の上で組んだ指先に、すこしだけ力を込めたまま、じっと黙っていた。


「なあ、七瀬」


「なに」


「俺がさ、遺書書いたら……読む?」


 自分で聞いておいて、変な質問だと思う。

 でも、聞いてみたかった。


 俺の「最後の文章」を、七瀬がどう扱うのか。

 それくらいは、知っておきたかった。


 七瀬は、少しだけ目を伏せてから、ちゃんと顔を上げた。


「……一応、読むよ」


「一応ってなんだよ」


「でも、多分何回も読みたくはない」


「なんで」


「きっと泣くから」


 あまりにも普通の声で言うから、余計に何も返せない。

 言い方は淡々としているのに、テーブルの下で組んだ指先に力が入っているのが分かった。


「俺も、遺書なんて正直書きたくないしな」


 言いながら、自分の胸のあたりを軽く指で押す。


「そういう紙書いて、最後の言葉ですって渡されてもさ。読む側、つらいだけだろ」


「うん。そう思う」


 七瀬は、はっきり頷いた。


 短い沈黙が落ちる。

 プリンのスプーンをいじる音だけが、小さく鳴った。



「だったらさ」


 七瀬が、ふっと顔を上げる。


「遺書じゃなくて、別のもの残したら?」


「別のもの?」


「うん」


 少しだけ考えるみたいに視線を泳がせ、それから俺を見る。


「祐介ってさ、よく恋愛相談されてない?」


「……されてるな」


 否定はできなかった。

 同じクラスのやつとか、部活の後輩とか。

 告白するかどうかとか、振られたとか、そういう話を、なぜかよく持ち込まれる。


「そういうの聞くの、嫌そうじゃないし。

 ちゃんと整理して返してくれるじゃん、こう言ったほうが伝わるとかそれはやめとけとか」


 少しだけ、目元が柔らかくなる。


「だったらさ」


 そこで、七瀬ははっきりした声になった。


「遺書代わりに恋愛相談箱でも設置してみれば?」


「……は?」


 一瞬、意味が分からなかった。


「恋愛相談箱?」


「うん」


 七瀬は真面目な顔で頷く。


「匿名で相談入れられる箱を、どこかに置いとくの。恋愛の話限定で、できるだけちゃんと答えますって書いて。来た相談に、祐介が返事を書く」


「それを、遺書代わりに?」


「そう」


 間髪入れずに返ってくる。


「自分の人生をきれいにまとめた紙一枚よりさ。

 誰かの恋がちょっとだけ上手くいった証拠とか、失恋が少しだけマシになった証拠とか。

 そういうのがノートにたくさん残ってるほうが、祐介っぽいと思う」


「俺っぽい、ね」


「悪い意味じゃないよ」


 少しだけ笑って、言葉を継ぐ。


「そういうノートだったらさ。

 私は多分、何回でも読めると思う。

 このときこんな相談来てたんだって、ちょっと笑いながら読めるもの」


 遺書のページを開く自分の姿は、どうしても想像したくなかった。

 でも、見知らぬ誰かの恋バナが並んだノートをめくる七瀬は、簡単に想像できた。


「……遺書書くよりは、だいぶマシかもな」


 気づいたら、口がそう言っていた。


「でしょ」


 七瀬の表情が、少しだけ明るくなる。


「でも、そんな都合よく相談なんて来るか?」


「そこは祐介の人望と、校内のヒマ人の多さに期待」


「期待要素が心配なんだけど」


「じゃあ、私も一緒に手伝うから。

 相談読むのとか、内容整理するとか、女の子側の気持ち補足するとか」


「補足前提なんだ」


「祐介一人だと分からないとこ多いでしょ」


「反論できないのが悔しいな」


 でも、その「一緒に手伝うよ」の一文が、思っていた以上に心に引っかかった。



「設置って、どこに?」


「例えば……三階の端の空き教室とか?、他の人からは見られたくないでしょ」


「もう目星つけてんのかよ」


 七瀬は一枚のルーズリーフを取り出した。


「とりあえず、看板書こ」


「看板?」


「恋愛相談箱だけだと、怪しすぎるでしょ」


「十分怪しいけどな」


「担当者をはっきりさせたほうが、まだまし」


 さらさらと、ペンが紙の上を走る。


『恋愛相談箱

 担当:篠原』


「……本当に書いた」


 思わず声に出る。


「最初はこれでいこ。嫌になったら書き直せばいいし」


 七瀬は紙を持ち上げて、少し離れたところから眺めた。


「明日の放課後、空き教室でしょ。

 祐介はそれ持って、あと箱っぽいのどこかから調達してきて」


「決定事項なのな、それ」


「祐介が遺書書くよりマシって言ったからね」


 逃げ道をふさぐ言い方をしてから、ふっと表情をゆるめる。


「最後まで、一緒にやるから」


 一年、という言葉はそこにはなかった。

 それでも、そこまでの時間のことを言っているのは分かった。



 七瀬が帰ったあと、部屋にはお茶とお菓子の匂いだけが残った。


 空になったプリンのカップを片づけて、ベッドにひっくり返る。

 天井の白さが、さっきまでとは違って見えた。


(遺書の代わりに、恋愛相談箱、ね)


 自分の人生をきれいにまとめる文章を書くより。

 誰かの「好き」とか「しんどい」とかが並んだノートのほうが、確かに俺には似合っている気がする。


 余命一年の篠原祐介が残したものが、自分語りじゃなくて「誰かの相談と、その答え」だけだとしたら。


「……それも、悪くないか」


 小さく呟いて、目を閉じる。


 まだ死ぬ実感はない。

 一年という数字も、遠い未来のテストの日付みたいにしか思えない。


 それでも明日の放課後、三階の端の空き教室に、段ボール箱をひとつ運んでいく自分の姿は、はっきり想像できた。


 遺書なんて書きたくない。


 その代わりに始まるもののことを考えながら、ゆっくりと呼吸を整えた。

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2026年1月14日 11:03
2026年1月15日 11:03
2026年1月16日 11:03

遺書代わりに始めた恋愛相談箱の最後の相談者は、幼馴染だった。 Re.ユナ @Akariiiii

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