遺書代わりに始めた恋愛相談箱の最後の相談者は、幼馴染だった。

Re.ユナ

第1話

 窓の外だけ見れば、ふつうの春の午後だった。

 病院の駐車場の桜は、教科書に出てきそうなくらいきれいに咲いている。


「……検査の結果ですが」


 白衣の先生がカルテを一枚めくる音が、やけに大げさに聞こえた。

 隣では、母さんが膝の上で手をぎゅっと組んでいる。


「今のところは一年くらいを目安に……」

「個人差はありますし、治療の反応次第では――」


 別に、医者は「余命です」とは言わなかった。

 その言葉だけは、避けてくれていた。


 でも、要約すると一行になる。


 ──高校二年の春に、俺は余命一年を宣告された。


「そんな……先生、本当に他に方法は……」


 母さんの声が震えた。

 俺のほうは相変わらず、天井のシミを数えながら先生の言葉を聞いている。


「もちろん、できる限りの治療は続けます。薬も、新しいものが出るかもしれない。

 だからきっちり一年で終わりという意味ではありません。ただ……」



 先生は言葉を選ぶみたいに、ゆっくりと説明を続ける。

 学校はどうするかとか、今後の通院ペースとか、生活で気をつけることとか。


 たぶん大事な話なんだろうけど、半分くらいは耳を素通りしていった。

 代わりに、心の中にぽつんと立っている言葉はひとつだ。


 ──余命一年。


 一年「も」ある、なのか。

 一年「しか」ない、なのか。


 どっちの顔をすればいいのか分からなくて、とりあえず実感がなかった。


「……祐介?」


 先生の説明がひと区切りついたところで、母さんが俺の名前を呼んだ。

 心配そうに覗き込んでくる目を見て、ようやく現実に引き戻される。


「うん。聞いてたよ」


 なんとかそれだけは答える。

 取り乱したり泣いたりしたら、母さんのほうが先に壊れそうだったから。



 診察室を出ると、病院の廊下はやっぱりふつうだった。

 売店の前では子どもがアイスをねだって泣いているし、自動ドアの向こうではタクシーが何台も出入りしている。


「今日は、このあと学校は休んだほうがいいわよね。先生にもそう言われたし……」


 エレベーターを待ちながら、母さんが落ち着かない声で言う。


「別に。どうせ一年『は』あるんだし」


 軽い気持ちで口から出てきた言葉に、自分で少しだけ驚く。

 母さんはもっと驚いたみたいで、一瞬だけ目を見開いた。


「……そんな言い方、やめてよ」


「あ、ごめん」


 本気で怒らせたらしい。

 謝ったものの、正直なところ、自分でもどこがまずかったのかよく分からない。


 エレベーターのドアが開いて、人が何人か降りてくる。

 みんなそれぞれの事情を抱えているんだろうけど、俺から見たらただの「春の午後に病院にいる人たち」にしか見えなかった。



 家に戻ると、母さんは「ちょっと買い物行ってくる」とだけ言って外に出ていった。

 たぶん、夕飯を豪華にしようとしてるか、ひとりで泣きたいか、その両方なのかもしれない。


 俺は自分の部屋に戻って、病院での言葉を思い出す。

 制服のままベッドにひっくり返ると、天井の白が病院と少しだけ重なった。


 ポケットからスマホを引っぱり出して、なんとなく検索画面を開く。

 指が勝手に打ち込む。


『余命 一年 やること』


 エンターキーをタップすると、画面にはそれらしい記事がずらっと並んだ。


「……世界一周とか、夢リスト百個とか。いやいや」


 声が勝手に漏れる。


 確かに、そういうのはキラキラしていて格好いい。

 でも、現実の俺は高校二年生で、貯金も体力も世界一周に見合うほどはない。


「バイト代で行けるの、せいぜい隣の県くらいだって」


 自分にツッコミを入れながら、スクロールを続ける。

 途中で、別のワードが目に留まった。


『遺書の書き方』

『遺書に書くべきこと』


「……遺書、ね」


 さっき先生が言った「一年」という言葉よりも、その二文字のほうが少しだけ重く感じる。


 親への感謝。

 友達への謝罪。

 残される人が困らないように、諸々のお願い。


 自分には関係のないと思っていた言葉たちが、丁寧な文章で紹介されていた。


「こういうの、今の俺が書いたら、ただの作文コンクールだよな」


 口に出してみて、ちょっとだけ笑う。


 まだ実感がない。

 昨日までと変わらないまま、今日の夕飯も普通に食べて、明日も学校に行くんだろうな、っていう未来が簡単に想像できてしまう。


 そんな状態で、


『お父さんお母さん、今まで育ててくれてありがとう』


 なんて書いたら、嘘くさいにもほどがある。


(じゃあ、俺は何を残したいんだろ)


 スマホを胸の上に乗せたまま、ぼんやり考える。


 「どう生きたか」をきれいにまとめたいわけじゃない。

 むしろ、そんな立派な人生を送ってきた覚えもない。


 それよりも。

 誰かひとりでもいいから、その人の人生がちょっとだけマシになった証拠みたいなものが欲しい。


 そんな気が、ふとした拍子に胸の奥から顔を出した。


「……何それ。急にいいやつぶるなよ」


 自分にツッコんで、目を閉じる。


 教師でも、カウンセラーでも、医者でもない。

 普通の、成績もそこそこ、運動もそこそこな、高校二年生の篠原祐介にできることなんて、たかが知れている。


 そう思って、考えるのをやめようとしたとき。

 頭の片隅に、ひとりの顔が浮かんだ。


 黒髪を、肩より少し長めに伸ばしていて。

 小学校の頃から、なぜかいつも俺の隣にいた子。


(……七瀬には、まだ言ってないな)


 病院の帰り、母さんが誰かに電話をしていた気がする。

 もしかしたら、その「誰か」が七瀬結衣かもしれない。


 その可能性を考えた瞬間、胸のあたりがようやく少しだけざわついた。


 余命一年です、とか。

 あと一年で死ぬらしい、とか。


 そんなことを、あいつに向かってどういう顔で言えばいいのか、まったく想像がつかない。



 ピンポーン。


 ちょうどそこで、インターホンが鳴った。

 ベッドの上で半身を起こす。


 母さんはたぶんまだ帰ってきていない。

 ということは、この時間にチャイムを鳴らしているのは──。


「……タイミング良すぎだろ」


 ため息交じりに立ち上がる。

 部屋を出て、廊下を抜けて、玄関へ。


 モニターのボタンを押すと、見慣れすぎている顔が映った。


『あ、祐介? いるよね?』


 七瀬結衣。

 近所に住んでいて、幼稚園から高校まで一緒になってしまった幼なじみ。


 肩までの黒髪を耳にかけながら、カメラをのぞき込む癖も、いつも通り。

 ただ、口元は笑ってるのに、頬が引きつっているのがモニター越しにも分かった。


(心配、してるんだろうな)


 病院で何があったのか、どこまで知っているのかは分からない。

 ただひとつだけ分かるのは、「今ドアを開けなかったら、あとで絶対めんどくさい」ということだ。


「はいはい、分かったよ」


 誰に向かって言ったのか分からない独り言をこぼして、ドアノブに手をかける。


 一秒だけ、そこで動きが止まった。


 何を残したいのかなんて、まだ全然決まってない。

 本当に一年で終わるかどうかさえ、実感はゼロだ。


 それでも。

 余命一年の俺が、いちばん最初に向き合わなきゃいけない顔は、だいたい分かっている。


「……よし」


 小さく息を吐いて、俺は玄関のドアを開けた。

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