第十五章 大司教との対峙
王都大聖堂。
その尖塔は、夜空を突き刺すように聳え立っていた。
清一は、正面の大扉の前に立っていた。
石造りの巨大な建造物。何百年もの歴史を持つ、この王国における信仰の中心。そして——聖堂の権力の象徴。
ここに来ることが罠であることは、分かっている。
だが、清一には来る理由があった。
リーゼロッテの弟——第五王子の病。その原因は、「緑区」から流れ出した魔素汚染だ。王子を救うためには、「緑区」を浄化しなければならない。
そのためには——聖堂との対立を、決着させる必要がある。
清一は、大扉を押し開けた。
内部は、予想通り無人だった。
何百本もの蝋燭が灯り、石造りの柱の間に揺らめく光を投げかけている。天井には、聖典の場面を描いた壁画。床には、赤い絨毯が敷き詰められている。
そして、奥の祭壇の前に——一人の老人が立っていた。
大司教ヴァルドルフ。
「よく来た、塵拾いの長」
老人の声は、聖堂全体に反響した。
「一人で来るとは——愚かなのか、それとも勇敢なのか」
「呼ばれたから、来ただけです」
清一は、ゆっくりと歩み寄った。
「『話したいことがある』と、書状にはありましたが」
「ああ、ある」
ヴァルドルフは、祭壇から振り向いた。
その顔には、笑みが浮かんでいた。だが、目は笑っていない。獲物を前にした蛇のような、冷たい光。
「お前に、提案がある」
「提案?」
「我々と——手を組まないか」
清一は、眉をひそめた。
「……聞かせてください」
「お前の技術は、確かに有用だ。聖堂の浄化と組み合わせれば、より効率的に汚染を除去できるだろう」
ヴァルドルフは、一歩近づいた。
「お前には、聖堂の『協力者』になってもらいたい。お前の技術を、聖堂の傘下に入れる。その代わり——」
「その代わり?」
「お前に、地位と財産を与える。貴族の末席に加え、年俸として金貨百枚を支払う。悪くない条件だと思うが?」
清一は、黙ってヴァルドルフを見つめた。
これが、彼の「提案」か。
清一を買収し、聖堂の支配下に置く。そうすれば、清一の技術は聖堂のものになり、「浄化利権」は守られる。
巧妙な手だ。
だが——
「お断りします」
清一は、静かに言った。
「私の技術は、民衆のためにあります。聖堂のためではない」
ヴァルドルフの目が、鋭くなった。
「……残念だ」
「それに」
清一は続けた。
「あなたの『提案』には、一つ欠けているものがある」
「何だ」
「謝罪です」
清一は、一歩前に出た。
「私のギルド員を襲った。私を暗殺しようとした。そして、何より——王国の民から金を搾り取り、国外に流出させた。それらについての、謝罪がない」
ヴァルドルフの顔が、歪んだ。
「……塵拾い風情が、大司教に謝罪を求めるか」
「風情だろうが何だろうが、正しいことを言う権利は、誰にでもある」
清一は、ヴァルドルフの目を真っ直ぐに見据えた。
「あなたは、間違っている。聖堂の本来の使命は、民を救うことだ。民から搾り取ることではない」
沈黙が落ちた。
蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺れている。
ヴァルドルフは、長い沈黙の後、口を開いた。
「……お前は、何も分かっていない」
「何がですか」
「聖堂は、王国の『秩序』を支えている。民が聖堂を信じ、聖堂に従う——その構造があるからこそ、王国は安定しているのだ」
ヴァルドルフは、清一に近づいた。
「お前がやっていることは、その『秩序』を壊すことだ。民に『選択肢』を与えるなど——それは、混乱の始まりに過ぎない」
「秩序のために、民を犠牲にするのですか」
「犠牲? 何が犠牲だ」
ヴァルドルフの声が、大きくなった。
「金貨五十枚を払えない農民が、土地を失う——それが犠牲だと? 愚かな。それは、『淘汰』だ。弱い者が消え、強い者が残る。それが、世の理だ」
清一は、拳を握りしめた。
この男は——本気で、そう信じている。
弱者の犠牲は「淘汰」であり、自然の摂理だと。
そして、その「摂理」を管理する自分たちは、正しいと。
「……私は」
清一は、静かに言った。
「あなたとは、違う考えを持っています」
「何?」
「弱い者を助けることが、社会の役割だ。誰もが、生きる権利を持っている。金があろうとなかろうと、身分が高かろうと低かろうと——誰もが」
清一は、一歩前に出た。
「あなたの『秩序』は、間違っている。だから——私は、壊す」
ヴァルドルフの目が、炎を帯びた。
「……ならば、仕方ない」
老人は、片手を挙げた。
「お前には、ここで消えてもらう」
その瞬間——
聖堂の陰から、黒い影が飛び出してきた。
暗殺者たち。十人以上。全員が短剣を構えている。
清一は、予想していた。
だからこそ——準備していた。
清一は、懐から小さな袋を取り出した。
そして、床に叩きつけた。
袋が破れ、中から白い粉末が飛び散る。
同時に、清一は大声で叫んだ。
「今だ!」
聖堂の天井から、光が差し込んだ。
いや——光ではない。
松明だ。
何十本もの松明が、天井の窓から投げ込まれてきた。
そして——
床に散らばった白い粉末が、松明の火に触れて——
爆発的に燃え上がった。
「ぐあっ!?」
暗殺者たちが、悲鳴を上げて飛び退いた。
炎が、聖堂の床を舐め回る。だが、それは一瞬で消えた。
清一が撒いた粉末——それは、「閃光粉」と呼ばれるものだ。激しく燃えるが、すぐに燃え尽きる。殺傷力はないが、視界を奪い、混乱を引き起こす。
現代日本の花火の原理を、この世界の材料で再現したものだ。
そして——
天井の窓から、人影が次々と降りてきた。
トバル。フェリクス。そして、塵拾いギルドの精鋭たち。
「レイドさん! 無事ですか!」
トバルが、清一の傍らに降り立った。
「ああ。計画通りだ」
清一は、頷いた。
罠に来ることは、分かっていた。だからこそ——罠の中に、逆に罠を仕掛けた。
ギルド員たちを聖堂の周囲に配置し、清一が合図を送ったら突入する——それが、計画だった。
「くっ……」
ヴァルドルフは、歯を食いしばっていた。
周囲には、炎に巻き込まれた暗殺者たちが転がっている。戦闘不能だ。
「大司教」
清一は、ヴァルドルフに近づいた。
「これで、終わりです」
「終わり? 何が終わりだ」
ヴァルドルフは、顔を歪めた。
「私を殺すのか? 塵拾い風情が、大司教を殺すと?」
「殺しません」
清一は、首を横に振った。
「あなたを、王家に引き渡します。暗殺未遂の現行犯として」
ヴァルドルフの目が、見開かれた。
「なん——」
その時——
聖堂の大扉が、勢いよく開かれた。
王家の近衛兵たちが、雪崩れ込んでくる。
先頭には——リーゼロッテ王女。
「大司教ヴァルドルフ」
王女の声は、冷たかった。
「王命により、あなたを拘束します。罪状は——国家への反逆、および王国公認技術者への暗殺未遂」
ヴァルドルフは、青ざめた顔でリーゼロッテを見つめた。
「殿下……まさか、貴女が……」
「私は、王家の人間です」
リーゼロッテは言った。
「王家に仇なす者を、許すわけにはいきません」
近衛兵たちが、ヴァルドルフを取り囲んだ。
老人は、抵抗しなかった。
ただ——清一を、睨みつけていた。
「……覚えておれ、塵拾い」
低い声で、ヴァルドルフは言った。
「お前は、パンドラの箱を開けた。その報いは、必ず——」
「覚えておきます」
清一は、静かに答えた。
「ですが——その報いが来る前に、私は『緑区』を浄化します」
ヴァルドルフは、連行されていった。
清一は、その背中を見送りながら、静かに息を吐いた。
一つの戦いが、終わった。
だが——これで全てが解決したわけではない。
むしろ、本当の戦いは、これから始まる。
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