第九章 暗殺者の夜

現場は、王都の北区にある倉庫街だった。


 清一が駆けつけたとき、トバルは血まみれで倒れていた。一緒にいた二人のギルド員も、重傷を負っている。


「誰にやられた」


 清一は、トバルの傍らに膝をついた。


「……分からない」


 トバルは、苦痛に顔を歪めながら答えた。


「突然、襲ってきた。覆面をしていて……顔は見えなかった」


 清一は、周囲を見回した。


 倉庫の壁に、血痕が飛び散っている。地面には、争った跡。そして——


 光るものが落ちていた。


 清一は、それを拾い上げた。


 小さな金属片。短剣の刃先が欠けたものだろう。


 「分解鑑定」が、自動的に情報を表示する。


『鋼鉄(高炭素) 製造元:聖都鍛冶ギルド 用途:儀礼用短剣(聖堂専用)』


 清一の目が、鋭くなった。


 聖都鍛冶ギルド——聖堂に納品する武器を専門に作る工房だ。その製品は、一般には出回らない。


 つまり、これを持っていたのは——


「聖堂の人間か」


 清一は、低く呟いた。


「レイドさん?」


 エルダが、不安げに清一を見つめた。


「何か、分かったんですか?」


「……ああ」


 清一は、金属片を懐にしまった。


「トバルたちを、医者のところに運んでくれ。治療費は、俺が出す」


「レイドさんは?」


「やることが、ある」


 清一は、夜の闇の中へ歩き出した。


   ◇


 翌朝。


 清一は、王女リーゼロッテの元を訪れた。


「これを」


 金属片を差し出す。


 リーゼロッテは、それを受け取り、眉をひそめた。


「……聖堂の儀礼用短剣の一部ですね」


「昨夜、私のギルド員が襲撃されました。現場に落ちていたものです」


 リーゼロッテの表情が、険しくなった。


「聖堂が、直接攻撃に出たということですか」


「おそらく。ただし、証拠はこれだけです。法廷で争っても、勝てるかどうか——」


「勝てないでしょうね」


 リーゼロッテは、苦い顔で言った。


「聖堂には、王国でも有数の法学者がついています。そして、大司教ヴァルドルフは、父王に強い影響力を持っています」


 大司教ヴァルドルフ。


 聖堂の最高位にあり、王国の宗教政策を事実上支配している人物。カシウスの上司であり、「浄化利権」の中心にいる男だ。


「今の段階で聖堂と正面衝突すれば、私たちが負けます」


 リーゼロッテは言った。


「レイドさん。申し訳ありませんが——今は、耐えてください」


 清一は、無言で頷いた。


 分かっている。


 今の「塵拾いギルド」には、聖堂と戦う力がない。人数も、資金も、政治力も——全てが足りない。


 だからこそ、力を蓄える必要がある。


 実績を積み、支持を広げ、無視できない存在になるまで——耐え抜く必要がある。


「分かりました」


 清一は言った。


「ただし、このまま黙っているわけにはいきません」


「というと?」


「世論を動かします」


 清一の目に、鋭い光が宿った。


「聖堂が何をしているか——民衆に知らせます」


   ◇


 清一の「反撃」は、予想外の形をとった。


 一週間後、王都の街角に、見慣れないものが現れた。


 「塵拾い新聞」。


 手刷りの簡素な印刷物だが、その内容は衝撃的だった。


 第一号の見出しは——「聖堂の浄化、本当に必要か?」


 記事は、聖堂の「浄化」サービスの価格と、清一の「土壌改良」の価格を比較していた。


 同じ面積の畑を浄化する場合——

 聖堂の浄化:金貨五十枚

 塵拾いギルドの土壌改良:金貨一枚


 五十倍の差。


 「なぜ、これほどの差が生まれるのか」と、記事は問いかけていた。「聖堂の『浄化』は、本当に金貨五十枚の価値があるのか?」


 第二号、第三号と続くにつれ、記事はより具体的になっていった。


 聖堂が「浄化」で得ている年間収入の試算。

 「浄化」を受けられず、土地を捨てた農民たちの証言。

 そして——聖堂の高位聖職者たちの、豪奢な生活ぶり。


 「塵拾い新聞」は、無料で配布された。


 最初は誰も手に取らなかったが、内容が口伝えに広まるにつれ、需要は急増した。発行部数は、一週間で百部から五百部に、そして千部にまで増えた。


 民衆の間で、変化が起き始めていた。


「そういえば、うちの親戚も、聖堂に浄化を頼んで、家が傾いたって言ってたな……」


「金貨五十枚なんて、一生かかっても払えねえよ」


「塵拾いギルドなら、金貨一枚でやってくれるのか?」


 最初は疑問。次に、不満。そして——怒り。


 聖堂への信頼が、少しずつ、だが確実に揺らぎ始めていた。


   ◇


 当然、聖堂も黙っていなかった。


 「塵拾い新聞」が発行されてから二週間後、カシウスが再び動いた。


 今度は、「異端審問」という形で。


「塵拾いギルドの長、レイドを、異端の疑いで審問する」


 王都の広場に、審問のための壇が設けられた。


 聖堂の高位聖職者たちが居並ぶ中、清一は壇上に引き立てられた。


 周囲には、野次馬が集まっている。数百人——いや、千人を超えるだろう。


 カシウスは、満足げな笑みを浮かべていた。


「レイド。お前は、聖堂の神聖なる業である『浄化』を、邪な手段で模倣した。これは、神への冒涜であり、異端の罪に相当する」


 清一は、黙って立っていた。


「さらに、お前は『塵拾い新聞』なる邪悪な文書を流布し、民衆を惑わせた。これは、社会秩序を乱す大罪である」


 群衆の中から、ざわめきが起きた。


 だが、そのざわめきの内容は——


「塵拾いの兄ちゃんが捕まったのか?」


「あの新聞を作った人だろ? 俺、毎週読んでるぞ」


「聖堂のやつら、やっぱり金儲けしか考えてないんじゃないのか……」


 カシウスは、そのざわめきを遮るように声を張り上げた。


「レイド! お前の罪状を認めるか!」


 清一は、ゆっくりと顔を上げた。


 そして——群衆に向かって、声を発した。


「皆さん!」


 その声は、広場全体に響き渡った。


「私は、何も悪いことをしていません!」


 カシウスの顔が、歪んだ。


「黙れ! 被告人に発言権は——」


「私がやったことは、ただ一つ! 皆さんの土地を、蘇らせることです!」


 群衆が、一斉にどよめいた。


「聖堂は、浄化に金貨五十枚を要求します! ですが、私の技術なら、金貨一枚でできる! なぜなら——浄化は、魔法だけでなく、『技術』でも可能だからです!」


「黙れと言っている!」


 カシウスが叫んだ。


 だが、群衆のざわめきは、もはや止められなかった。


「金貨一枚で浄化できるのか!?」


「俺たちの村も、頼めるのか!?」


「聖堂は、俺たちから金を搾り取ってただけか!」


 清一は、続けた。


「私は、異端者ではありません! 私は——皆さんのために働いているだけです!」


 その時——


 群衆の中から、一人の老人が進み出た。


 ゲルトだった。


「この人は——この人は、うちの畑を蘇らせてくれた!」


 老人の声は、震えていた。


「聖堂様は、金貨五十枚を要求した! 俺たちには、払えなかった! でも、この人は——金貨一枚で、うちの畑を生き返らせてくれたんだ!」


 群衆が、どよめいた。


 次々と、声が上がる。


「俺の村も、この人に助けてもらった!」


「うちの井戸も、この人が浄化してくれた!」


「この人は、異端者なんかじゃない!」


 カシウスの顔が、蒼白になった。


 審問は、彼の思惑とは全く逆の方向に進んでいた。


 清一を糾弾するはずが——逆に、聖堂への不信感が爆発する場になってしまったのだ。


「……中止だ」


 カシウスは、歯を食いしばりながら言った。


「審問は、後日改めて行う。被告人を拘束しろ」


 だが——


「待ちなさい」


 凛とした声が、広場に響いた。


 群衆が、一斉に振り向いた。


 壇の上に、一人の女性が歩み出ていた。


 亜麻色の髪。毅然とした表情。そして——王家の紋章が刻まれたマント。


 リーゼロッテ王女だった。


「この者の身柄は、王家が預かります」


 王女は、カシウスを真っ直ぐに見据えた。


「異議がありますか、カシウス副長」


 カシウスの顔が、怒りで歪んだ。


 だが、王女に逆らえば——それは、王家への反逆を意味する。


「……いいえ、殿下」


 カシウスは、屈辱に震えながら頭を下げた。


「異議は、ございません」


   ◇


 その日、清一は王城に保護された。


 形式上は「拘束」だが、実質的には——王女による庇護だった。


「危ないところでしたね」


 リーゼロッテは、清一に茶を差し出しながら言った。


「もう少し遅れていたら、本当に投獄されていたかもしれません」


「助かりました」


 清一は、茶を受け取りながら頭を下げた。


「ですが——これで、殿下も聖堂と対立することになります」


「構いません」


 リーゼロッテは、静かに言った。


「私は、最初から聖堂と戦うつもりでした。あなたの技術は——その武器になると思っています」


 清一は、王女の目を見つめた。


 そこには、揺るぎない決意があった。


「……分かりました」


 清一は頷いた。


「ならば、俺も——全力で戦います」


 戦いは、新しい段階に入った。


 もはや、水面下での駆け引きではない。


 王女リーゼロッテと、聖堂——王国を二分する、公然たる対立が始まったのだ。

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