第八章 王女との邂逅

王城の一角に、「離れの庭園」と呼ばれる場所があった。


 正式な名称は「第三王女の私庭」。王族の中でも変わり者として知られるリーゼロッテ王女が、社交界から逃れるために使う隠れ家だった。


 清一がそこに案内されたのは、書状を受け取ってから三日後のことだった。


 王城の裏門から入り、人目を避けて連れてこられた庭園は、意外なほど簡素だった。派手な花壇も、贅沢な彫刻もない。代わりに、薬草や野菜が整然と植えられた畝が並んでいる。


 まるで——農園だ。


 清一の「分解鑑定」が、自動的に情報を表示する。


『セージ(魔素浄化作用あり)』『カモミール(鎮静・解毒)』『ミント(消臭・殺菌)』


 これらは全て、何らかの「浄化」や「清浄」の効能を持つ植物だ。偶然ではない。意図的に選ばれている。


「お待ちしておりました」


 庭園の奥から、声がかかった。


 振り向くと、一人の若い女性が立っていた。


 二十歳前後。亜麻色の髪を簡素に束ね、動きやすそうな普段着を纏っている。王女というより、学者か、あるいは——


「農婦みたいだと思いました?」


 女性は、清一の視線を読み取ったかのように微笑んだ。


「よく言われます。王族らしくないと」


「……失礼しました、王女殿下」


「リーゼロッテで構いません」


 王女は、清一に近づいてきた。


 その目には、好奇心が輝いていた。新しいものを発見した研究者のような、純粋で熱のこもった視線。


「あなたが、レイドさんですね。塵拾いでありながら、聖堂の浄化に頼らず土地を蘇らせた——噂は聞いています」


「恐縮です」


「謙遜は不要です。私は、事実を知りたいだけ」


 リーゼロッテは、庭園のベンチを指さした。


「座って話しましょう。お茶を淹れますね」


 王女自らが茶を淹れる——清一は、その「普通ではなさ」に、かえって好感を覚えた。


   ◇


 温かい茶を手にしながら、清一は自分の「技術」について説明した。


 魔素汚染のメカニズム。物理的除去と生物学的分解の組み合わせ。堆肥化による土壌再生。浄化草を使ったファイトレメディエーション——


 リーゼロッテは、一言も口を挟まず、熱心に聴いていた。時折メモを取りながら。


「……以上が、私の行った『土壌改良』の概要です」


 清一が締めくくると、リーゼロッテは長い沈黙の後、口を開いた。


「素晴らしい」


 その声は、震えていた。


「これが——本当に、魔法を使わずに?」


「はい。全て、『技術』で行いました」


「聖堂は、浄化には『神の恩寵』が必要だと言っています。魔法以外に浄化の方法はないと——」


「それは、嘘です」


 清一は、はっきりと言った。


「あるいは、無知です。魔素汚染は、『呪い』でも『穢れ』でもない。単なる——物質の蓄積です。蓄積したものは、適切な方法で除去できる。それが、自然の法則です」


 リーゼロッテの目が、大きく見開かれた。


「……あなたは、どこでその知識を?」


 清一は、一瞬だけ躊躇した。


 真実を話すべきか。転生者であること。前世の記憶を持っていること。現代日本の技術を、この世界に応用していること——


 だが、今はまだ早い。


「故郷に、知恵者がいました。私は、その人から学んだことを実践しているだけです」


 嘘ではない。ただ、「故郷」が異世界であることを伏せているだけだ。


 リーゼロッテは、しばらく清一を見つめていた。


 その目には、何かを見透かそうとするような鋭さがあった。だが、追及はしなかった。


「……いいでしょう」


 王女は頷いた。


「私は、あなたの過去に興味はありません。興味があるのは——未来です」


「未来?」


「レイドさん。私には、あなたに依頼したいことがあります」


 リーゼロッテは、庭園の向こう——王城の壁を越えて、北の空を見つめた。


「この王国の北東部、かつて『緑区』と呼ばれていた地域をご存知ですか」


「……はい。実際に、視察したことがあります」


「あの地域は、十年前から魔素汚染が進行しています。原因は、古い魔術研究施設の残留物。聖堂は浄化を請け負うと言っていますが——その費用は、王国の年間予算の三分の一に相当します」


 清一は、眉をひそめた。


 金貨五十枚で一農家の畑を浄化するのに、「緑区」全体となれば——想像を絶する額になる。


「聖堂は、その費用を王国に請求しています。ですが、私は——その必要がないのではないかと、考えています」


 リーゼロッテは、清一を真っ直ぐに見つめた。


「あなたの技術で、『緑区』を浄化することは——可能ですか?」


 清一は、即答しなかった。


 ゲルトの畑は、五反——約5000平方メートルだった。「緑区」は、その数百倍、いや数千倍の面積がある。


 規模が違いすぎる。


 一人でできる仕事ではない。数十人、いや数百人の人手が必要だ。設備も、資金も、時間も——


「……正直に申し上げます」


 清一は言った。


「今の私の力では、不可能です」


 リーゼロッテの表情が、わずかに曇った。


 だが、清一は続けた。


「ただし——条件が整えば、可能性はあります」


「条件?」


「人手。設備。資金。そして——時間。最低でも、五年は必要です」


 五年。


 その言葉に、リーゼロッテは目を見開いた。


「五年で、『緑区』を浄化できると?」


「できるかどうかは、分かりません。ただ、挑戦する価値はあると思います」


 清一は、立ち上がった。


「王女殿下。私は、あなたに約束はできません。ですが——もし支援をいただけるなら、全力を尽くします」


 リーゼロッテは、しばらく無言で清一を見つめていた。


 そして——


 微笑んだ。


「支援する理由を、まだ言っていませんでしたね」


「?」


「私には、弟がいます。第五王子——今年、十二歳になりました」


 リーゼロッテの声が、わずかに震えた。


「弟は、幼い頃から体が弱くて。宮廷医師は、原因不明だと言っています。ですが、私は——知っているのです」


「……何を」


「弟が生まれた離宮は、『緑区』のすぐ南にあります。母——王妃が懐妊中、そこで過ごしていました。そして——」


 リーゼロッテの目に、涙が光った。


「母は、弟を産んで間もなく、亡くなりました。宮廷医師は、『産後の肥立ちが悪かった』と言いましたが——私は、違うと思っています」


 清一は、理解した。


 魔素汚染。


 王妃は、妊娠中に魔素に暴露した。その結果、体を壊し、出産後に亡くなった。そして、胎児だった王子も、生まれながらにして魔素の影響を受けている——


「聖堂は、弟の『浄化』を何度も試みました。ですが、効果はありませんでした。おそらく——魔素が、弟の体に深く染み込んでいるのでしょう」


 リーゼロッテは、涙を拭った。


「私が『緑区』の浄化に執着しているのは、王国のためだけではありません。弟のためでも——母のためでもあるのです」


 清一は、黙って王女の言葉を聴いていた。


 この世界にも、こういう人がいる。


 権力のためでも、金のためでもなく——大切な誰かのために、行動しようとする人が。


「分かりました」


 清一は言った。


「できることは、全てやります」


 リーゼロッテは、泣きながら微笑んだ。


「ありがとうございます」


   ◇


 その日から、清一の活動は新しい段階に入った。


 リーゼロッテの支援を受け、「塵拾いギルド」は王都周辺の環境改善事業を本格的に開始した。


 王女の後ろ盾があるということは、つまり——王家の庇護があるということだ。


 聖堂は、表立って清一を攻撃することが難しくなった。


 だが、カシウスたちが諦めたわけではない。


 水面下での工作は、むしろ激しさを増していた。


 取引先への圧力。ギルド員への脅迫。そして——


「レイドさん! 大変です!」


 ある夜、エルダが血相を変えて工房に駆け込んできた。


「トバルさんたちが——襲われました!」

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