第六章 コンポストの魔法
季節が移ろい、夏が近づいていた。
清一の工房は、この二ヶ月で大きく様変わりしていた。
最初は六畳ほどの空間だったものが、隣の空き家を借り増しして三倍に拡大。従業員も増えた。エルダに加えて、灰色地区から五人の塵拾いを雇い入れた。全員、かつてのレイド——清一が転生した青年——の仲間だった者たちだ。
「分別は終わりました、レイドさん」
トバルという名の中年男が報告した。かつては酒に溺れていた元塵拾いだが、今は工房の「分別班」リーダーを任されている。
「金属類は北の箱、有機物は東、魔物素材は南だ」
「ああ、ありがとう」
清一は、分別されたゴミの山を見回した。
二ヶ月前と比べて、処理量は十倍以上に増えている。ハルトマン商会だけでなく、他の商会からも廃棄物の引き取り依頼が来るようになった。
「金を払ってゴミを引き取る」——最初は誰もが首を傾げた。だが、清一がそのゴミから価値ある素材を次々と掘り出すのを見て、商人たちは理解した。
彼らにとって「ゴミ」は、清一にとって「原料」なのだと。
「レイドさん、お客様です」
工房の入口で、エルダが声を上げた。
振り向くと、一人の老人が立っていた。日焼けした肌、節くれ立った手。農民だ。
「あの……レイドさんというのは、あなたで?」
「そうですが」
「聞いたんです。あなたが……土を、蘇らせる方法を知っていると」
清一は、老人の目を見つめた。
そこには、切迫した希望があった。溺れる者が藁をも掴もうとするような、必死の光。
「話を聞かせてください」
◇
老人の名はゲルトといった。
王都の北、「緑区」に隣接する小村に暮らす農民だ。
「緑区」の魔素汚染は、十年前から始まった。原因は、その地域にかつて存在した魔術研究施設だったという。施設は閉鎖されたが、残留した魔素が土壌に染み込み、汚染を広げ続けている。
最初は「緑区」だけだった汚染が、今や周辺の農地にまで及んでいる。
「うちの畑も、三年前から作物が育たなくなりました」
ゲルトは、しわがれた声で語った。
「聖堂様に浄化をお願いしましたが……金貨五十枚だと。そんな金、どこにもありません」
金貨五十枚。農民の年収が金貨二枚から三枚だとすれば、十五年から二十年分の収入に相当する。払えるはずがない。
「村の者たちは、土地を捨てて出ていくか、餓死するかの二択だと……でも、私はこの土地で生まれて、この土地で育った。捨てたくないんです」
老人の目から、涙がこぼれた。
清一は、黙ってそれを見つめていた。
脳裏に、かつての記憶が蘇る。
不法投棄された産業廃棄物によって汚染された土地。住民たちは、補償を求めて何年も戦い続けていた。清一が所属していた会社が、その土地の浄化作業に参加したことがあった。
あの時も、同じ目を見た。
自分の土地を、故郷を、守りたいという切実な願い。
そして——その願いが、金の壁によって阻まれる無力感。
「ゲルトさん」
清一は言った。
「あなたの畑を、見せてもらえますか」
◇
村は、王都から北へ半日の距離にあった。
清一は、エルダとトバルを連れて、ゲルトの案内で村を訪れた。
予想通り——いや、予想以上に酷い状況だった。
分解鑑定が、次々と警告を発する。
『土壌魔素濃度:38ppm 危険域』
『地下水魔素濃度:12ppm 飲用不適』
『植物成長阻害率:87%』
畑には、枯れた作物の残骸が点在している。まだ生きている草も、葉が茶色く変色し、茎が歪んでいる。
「ここが、うちの畑です」
ゲルトが、悲痛な声で言った。
「五反(約5000平方メートル)あります。……ありました」
清一は、畑の土を手に取った。
灰色がかった色。砂のようにサラサラとしていて、本来の土壌が持つべき「粘り」がない。微生物が死滅し、有機物が分解されなくなった土壌特有の状態だ。
だが——
「できます」
清一は言った。
「この土地を、蘇らせることができます」
ゲルトの目が、見開かれた。
「本当に……?」
「時間はかかります。最低でも半年。できれば一年」
清一は、立ち上がった。
「費用も必要です。ただし、聖堂の浄化のように法外な額ではない。銀貨百枚——金貨一枚で足ります」
「金貨一枚……」
それでも、農民にとっては大金だ。だが、金貨五十枚に比べれば——
「払えます」
ゲルトは、震える声で言った。
「払えます! 村の者全員で出し合えば、必ず——」
「いいでしょう」
清一は頷いた。
「では、明日から作業を始めます。まずは、汚染土壌の除去から」
◇
作業は、過酷を極めた。
まず、最も汚染のひどい表層土を剥がし取る。それを工房に運び、物理的・化学的に魔素を除去する。
次に、残った土壌に堆肥を混ぜ込む。清一の工房で作った「コンポスト」——有機廃棄物を微生物の力で分解した肥料だ。これが、死んだ土壌に「命」を吹き込む。
そして、特定の植物を植える。魔素を吸収する性質を持つ植物——この世界にも、地球のファイトレメディエーションに相当するものが存在した。
「浄化草」と呼ばれるその植物は、聖堂が「神聖な草」として管理しているものだったが、野生種が「緑区」の周辺に自生していた。清一は、それを採取して栽培し、移植した。
一ヶ月後。
『土壌魔素濃度:38ppm → 24ppm』
二ヶ月後。
『土壌魔素濃度:24ppm → 15ppm』
三ヶ月後。
『土壌魔素濃度:15ppm → 8ppm』
そして——四ヶ月後。
「芽が……芽が出た!」
ゲルトの叫び声が、畑に響いた。
清一が蒔いた試験用の種——小麦の一種——が、土から顔を出していた。
緑色の、小さな芽。
それは、この土地が「死んで」から初めて生まれた、新しい命だった。
「奇跡だ……」
ゲルトは、畑の前に膝をついた。
「奇跡だ……!」
村人たちが、次々と集まってくる。皆、その小さな芽を見つめ、泣いている。
清一は、黙ってその光景を見つめていた。
奇跡ではない。科学だ。
だが、この世界の人々にとっては——それは区別のつかないものかもしれない。
「レイドさん」
ゲルトが、清一の前に跪いた。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
「礼は要りません」
清一は、老人の肩を起こした。
「まだ、始まったばかりです。完全に回復するまで、あと半年はかかる」
「はい……はい……!」
ゲルトは、涙を流しながら何度も頷いた。
その時——
「何事だ」
背後から、冷たい声が響いた。
振り向くと、白い法衣を纏った一団が立っていた。
先頭にいるのは——あの男。浄化師団副長、カシウス。
「塵拾いが、村で何をしている」
カシウスの目は、笑っていなかった。
「まさか——『浄化』の真似事でもしているのではあるまいな?」
◇
空気が、凍りついた。
村人たちは、聖堂の法衣を見た瞬間、恐れに表情を歪めて後ずさった。
カシウスは、畑の芽を見下ろした。
「ほう……見事なものだ」
その声には、皮肉が滲んでいた。
「聖堂の浄化を受けずに、土地を再生させた——というわけか」
「いいえ」
清一は、冷静に答えた。
「これは浄化ではありません。土壌改良です。汚染物質を除去し、肥料を投入し、植物を植えた——それだけのことです」
「それだけのこと、か」
カシウスは、くつくつと笑った。
「だが、結果は同じだ。魔素に汚染された土地が、再び作物を育てられるようになった。それを世間は——『浄化』と呼ぶのではないかな?」
清一は、何も答えなかった。
カシウスの言うことは、正しい。
名前が違うだけで、やっていることは「浄化」と本質的に同じだ。そして、それは聖堂の「専権事項」を侵すことを意味する。
「レイドとやら」
カシウスは、一歩前に出た。
「私は、君に警告したはずだ。『精進してくれたまえ』と。それは——身の程を知れ、という意味だった」
「私は、ただ——」
「黙れ」
カシウスの声が、鋭くなった。
「塵拾い風情が、聖堂の領域を侵す。それがどういう意味か、分かっているのか?」
沈黙が落ちた。
村人たちは、身を寄せ合って震えている。ゲルトは、清一を庇うように前に出ようとしたが、恐怖で足が動かない。
清一は、カシウスの目を見つめ返した。
この男は、「浄化」という技術を守りたいわけではない。「利権」を守りたいのだ。
聖堂が「浄化」を独占することで得ている、莫大な「献金」。それを脅かす者は——誰であろうと、排除する。
それが、聖堂の本質だ。
「カシウス様」
清一は、静かに言った。
「私がやったことは、法に反していますか?」
「……何?」
「浄化は、聖堂の専権事項です。それは承知しています。ですが、私は『浄化』をしていない。土壌改良をしただけです。汚染物質を物理的に除去し、肥料を投入し、植物を植えた——これは、農業の範疇ではありませんか?」
カシウスの目が、わずかに細くなった。
「屁理屈を——」
「法に反しているなら、法廷でお会いしましょう」
清一は、一歩も引かなかった。
「私は、何も隠していません。全ての作業記録が残っています。それを検証していただければ、私が『浄化』を行っていないことは明らかになるはずです」
沈黙が、長く続いた。
カシウスの顔に、怒りの色が浮かんだ。
だが——
「……いいだろう」
彼は、低く言った。
「今日は、見逃してやる。だが、覚えておけ。聖堂を敵に回すことの意味を、いつか——身をもって知ることになる」
カシウスは踵を返し、法衣の一団と共に去っていった。
その背中が見えなくなるまで、誰も動かなかった。
「……レイドさん」
ゲルトが、震える声で言った。
「あなたは……聖堂様を……」
「大丈夫です」
清一は言った。
だが、心の中では分かっていた。
今日のことで、聖堂との対立は決定的になった。
もう、後戻りはできない。
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