第三章 魔素汚染という脅威
翌朝、清一は灰色地区を抜けて、王都の「外環部」へと足を踏み入れた。
王都ヴェルムンド。この世界——クレイオス王国の首都であり、人口五十万を擁する巨大都市。清一が転生してから五日目にして、初めてスラムの外の世界を見ることになった。
第一印象は、「汚い」だった。
いや、より正確に言えば——「汚染されている」。
清一の「分解鑑定」は、空気中に漂う微粒子すら感知していた。
『空気中魔素濃度:0.8ppm 人体への即時影響:なし 長期暴露による影響:呼吸器系疾患リスク上昇』
数値自体は、日本の環境基準で言えば「やや高い」程度だ。だが、これは王都の「きれいな区域」での話。灰色地区では、この数値が三倍から五倍に跳ね上がる。
そして、清一が今向かっている場所は——
「……これは」
清一は、足を止めた。
王都の北東部、かつて「緑区」と呼ばれていた区域。その名の通り、かつては庭園や農地が広がっていたという。
今、目の前に広がるのは、死んだ大地だった。
草一本生えない、灰色の土壌。点在する枯れ木は、幹が黒く変色し、異様な形に捻じれている。空気には、金属を焦がしたような、甘ったるいような——あの「匂い」が漂っている。ゴミ山で嗅いだ、魔素汚染特有の臭気。
『土壌魔素濃度:47ppm 人体への即時影響:危険 滞在可能時間:30分以内推奨』
清一の視界に、赤い警告文字が点滅した。
これが、「魔素汚染」の実態か。
清一は、かつて日本で見た光景を思い出していた。不法投棄された産業廃棄物が、長年にわたって地下水を汚染し続けた土地。表面上は何もないように見えても、土壌の奥深くまで毒が染み込んでいる——そういう場所を、何度も見てきた。
この「緑区」も、同じだ。
ただし、汚染物質が「魔素」という、地球には存在しないものに置き換わっているだけで。
「おい、お前」
背後から声がかかった。
振り向くと、白い法衣を纏った男が立っていた。胸元には、光を模した紋章——聖堂の印。
「塵拾い風情が、何をうろついている」
男の声には、露骨な嫌悪が込められていた。
清一は、相手を観察した。年齢は三十代半ば。法衣の質は良いが、最高級というほどではない。紋章の形状から推測するに、聖堂の中でも下から二番目くらいの位階——おそらく「下級司祭」。
「失礼」
清一は、あえて卑屈にならず、かといって挑発的にもならないトーンで答えた。
「この区域の状況を確認していました」
「確認? 塵拾いが、何を確認するというのだ」
「汚染の状況です。どの程度まで浸透しているか、どんな物質が堆積しているか——」
男の目が、嘲笑に歪んだ。
「塵拾いが、浄化の真似事でもする気か? 身の程を知れ。浄化は聖堂の専権事項だ。お前たち穢れた者には、触れることすら許されない神聖な業なのだ」
清一は、何も言わなかった。
言葉で反論しても意味がない。この世界では、「浄化」は聖堂の独占物だ。法的にも、社会通念上も、それ以外の方法で汚染を除去することは「認められていない」。
だが——
清一の目は、枯れた大地を見つめていた。
分解鑑定が、次々と情報を表示する。
『土壌構成:魔素結晶(微粒子)34%、有機腐敗物12%、重金属類8%、その他46%』
『浄化手法案:魔素結晶の物理的除去 → 有機物の好気性分解 → 重金属類の化学的固定 → 植物による段階的回復(フィトレメディエーション)』
浄化できる。
魔法など使わなくても。聖堂の力など借りなくても。
現代日本の土壌浄化技術——汚染物質の除去、微生物による分解、植物を使った修復——それらを応用すれば、この土地は再生できる。
ただし、時間はかかる。設備も必要だ。人手も、資金も。
そして何より——この世界の「常識」を覆す必要がある。
「……失礼しました」
清一は、静かに頭を下げた。
下級司祭は、「ふん」と鼻を鳴らして去っていった。
清一は、その背中を見送りながら考えていた。
聖堂が「浄化」を独占している。それは、単なる宗教的な権威の問題ではない。経済的な——いや、もっと露骨に言えば、「金」の問題だ。
浄化一回につき、金貨数枚から数十枚。大規模な土地の浄化となれば、金貨数百枚。それが全て、聖堂の「献金」として流れ込む。
もし、聖堂の力を借りずに浄化できるとしたら——
その「利権」が脅かされるとしたら——
聖堂は、どう出るだろうか。
清一は、灰色の大地を見下ろした。
この土地は、「見捨てられた場所」だ。
聖堂は浄化できると言いながら、実際には手をつけない。なぜなら、この土地の所有者——かつての農民たち——には、金貨を払う余裕がないからだ。
結果として、汚染は放置され、被害は拡大し、さらに多くの土地が死んでいく。
同じことを、清一は日本でも見てきた。
利益にならない問題は、後回しにされる。誰も責任を取りたがらない。そして、そのツケは、いつも最も弱い人々に押し付けられる。
この世界でも、同じだ。
変わらない。どこの世界に行っても、人間のやることは変わらない。
だが——
清一は、拳を握りしめた。
だからこそ、やる意味がある。
誰もやらないなら、俺がやる。
それが、二十年間ゴミと向き合ってきた男の、矜持だった。
◇
灰色地区に戻ると、エルダが駆け寄ってきた。
「レイドさん! トーマの熱が下がりました! 薬が効いたみたいで——」
少女の顔は、昨日とは別人のように輝いていた。
清一は、小さく頷いた。
「そうか。よかった」
「あの、それで……今日も、お手伝いしていいですか?」
「ああ。今日は、ちょっと特別なことをする」
清一は、懐から布に包んだものを取り出した。
飛竜の骨——金貨数枚の価値がある「宝」。
「これを、売りに行く」
エルダの目が丸くなった。
「そ、それ……まさか……」
「落ち着け。盗んだわけじゃない。ゴミ山から掘り出した」
「でも、こんなもの、塵拾いが持ってたら——」
「だから、工夫がいる」
清一は言った。
「商人に売り込むんじゃない。『技術』を売り込むんだ」
エルダは、首を傾げた。
清一は、微笑んだ。
「付いてくれば、分かる」
◇
王都の商業区、「銀の通り」。
中規模の商会が軒を連ねるこの通りで、清一が目をつけたのは、「ハルトマン商会」という看板を掲げた店だった。
選んだ理由は、二つ。
一つは、この商会が「素材商」を自称していること。冒険者から魔物の素材を買い取り、工房や魔術師に卸す仲買業者だ。
もう一つは——店の裏手に、大量の廃棄物が積み上げられているのが見えたこと。
清一の「分解鑑定」は、その廃棄物の中に、まだ価値のある素材が紛れ込んでいることを見抜いていた。
「いらっしゃいませ——」
店に入ると、カウンターの向こうで番頭らしき男が顔を上げ——清一の姿を見て、露骨に眉をひそめた。
「塵拾いか。何の用だ」
「取引のご相談です」
清一は、臆することなく言った。
「あなたの店に、利益をもたらせる話があります」
番頭は、冷笑した。
「塵拾いが、利益? 笑わせるな。帰れ」
「裏手に積んである廃棄物の山——あの中に、金貨二十枚相当の価値が眠っています」
番頭の表情が、一瞬だけ変わった。
「……何?」
「あなた方が『使えない』と判断して捨てたもの——魔物の骨、鱗、毛皮の端切れ。その中に、まだ価値あるものが混じっている。私には、それを見分ける目がある」
清一は、懐から飛竜の骨を取り出し、カウンターに置いた。
「これは、王都北東のゴミ捨て場から掘り出したものです。飛竜の翼膜接合部——魔導触媒の素材として、金貨三枚から五枚の価値がある」
番頭は、骨を手に取り、目を細めて観察した。
その目が、徐々に真剣なものに変わっていく。
「……本物、か」
「私が嘘をついていると思うなら、試してみてください。あなたの店の廃棄物を、私に見せてもらえませんか。一時間で、金貨十枚相当の素材を選り分けてみせます」
番頭は、しばらく清一を見つめていた。
そして——
「主人を呼んでくる」
カウンターの奥へと消えていった。
清一は、静かに待った。
隣で、エルダが緊張した面持ちで立っている。
「レイドさん……本当に、大丈夫なんですか……?」
「分からない」
清一は正直に答えた。
「だが、やってみなければ、何も始まらない」
数分後、奥から一人の男が現れた。
五十代半ば。恰幅がよく、目には商人特有の鋭さがある。おそらく、この商会の主人——ハルトマン氏だろう。
「話は聞いた」
ハルトマンは、清一を値踏みするように見つめた。
「塵拾いが、素材の目利きだと?」
「はい」
「面白い。試してやろう」
ハルトマンは、顎をしゃくった。
「裏手に案内しろ。一時間で金貨十枚分、選り分けてみせろ」
「承知しました」
清一は頷いた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「成功した場合、この少女——エルダを、あなたの店の見習いとして雇ってください。報酬は、銀貨五枚以上」
ハルトマンの目が、一瞬だけ驚きに見開かれた。
そして——笑った。
「面白い。塵拾いが、交渉とはな」
「取引です。私の技術と、あなたの資本。お互いに利益のある関係を築きたい」
「……いいだろう」
ハルトマンは頷いた。
「だが、失敗したら——お前の首は飛ぶぞ。塵拾いが商人を騙そうとした罪は、軽くない」
「承知しています」
清一は、微笑んだ。
「では、始めましょう」
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