第二章 最底辺への転生
三日が経った。
清一は、自分が転生した世界と、この体の元の持ち主について、おおよその事情を把握しつつあった。
この体の名前は「レイド」。年齢は二十一歳。王都ヴェルムンドの外縁部、「灰色地区」と呼ばれるスラムに暮らす「塵拾い」だった。
塵拾い——この世界において、それは職業というよりも身分だった。
社会の最底辺。不可触賎民に近い存在。彼らが触れたものには「穢れ」が宿るとされ、一般市民は塵拾いとすれ違うことすら忌避する。道端で塵拾いを見かけたら、市民は唾を吐くか、石を投げるか、あるいは存在そのものを無視する。
それがこの世界の「常識」だった。
レイドという青年は、三日前——清一が転生したまさにその日に、ゴミ山で倒れていたらしい。仲間の塵拾いたちは、彼が汚染物に触れて病を得たのだと考えた。この世界には「魔素汚染」と呼ばれる環境汚染が存在し、汚染物に長期間さらされた者は原因不明の病に侵される。塵拾いの職業病だ。
だが、レイドは——清一は——三日後に目を覚ました。
そして、以前とはまるで別人のように振る舞い始めた。
「分解鑑定」。
清一は、自分のスキルをそう名付けていた。
視界に入った物質の構成要素を分析し、最適な分解・再利用方法を表示する。二十年の廃棄物処理の知識と、この世界特有の「魔素」に関する情報が融合した、この世界に一つしかない能力。
初日、清一がゴミ山から掘り出した銅の塊は、銅貨十二枚に換算された。通常の塵拾いが一日に稼ぐ額の四倍。仲間たちは目を丸くしたが、清一は「勘だ」と言って誤魔化した。
二日目は銀を見つけた。銀貨一枚。これは塵拾いが一週間かけて稼ぐ額に相当する。
三日目——今日。清一は、ついに「本命」を掘り当てた。
「……これは」
清一の前に、乳白色に輝く骨の破片が横たわっていた。
分解鑑定の情報が、視界に浮かぶ。
『骨(飛竜種・翼膜接合部) 魔素含有率:23% 精製可能素材:魔導触媒(中級) 市場推定価格:金貨3〜5枚』
金貨。
この世界の通貨単位で最上位。銀貨百枚、銅貨一万枚に相当する。一般的な平民の年収が金貨二枚から三枚。つまり、この骨の破片一つで、一年分の収入を軽く超える。
それが、ゴミ山に捨てられていた。
いや——「捨てられていた」のではない。正確には、「気づかれなかった」のだ。
この世界では、魔物の死骸は「穢れた物」として扱われる。討伐された魔物の素材のうち、明らかに価値のある部位——角や牙、鱗など——は冒険者ギルドを通じて流通するが、残りは廃棄される。その廃棄物の中に、実は価値ある素材が紛れ込んでいることは珍しくない。
現代日本の廃棄物処理でも、同じことは起きていた。リサイクル可能な金属が一般ゴミに混入し、そのまま焼却されてしまう。電子機器に含まれるレアメタルが、適切に分別されないまま埋め立てられる。
問題の本質は変わらない。「何が価値あるものか」を見分ける目がなければ、宝もゴミになる。
清一は、骨の破片を丁寧に布で包み、懐に収めた。
さて、どうするか。
この骨を換金するには、まず「売り先」を見つけなければならない。だが、塵拾いが金貨クラスの品を持ち込めば、盗品を疑われるのは目に見えている。この世界の身分制度は、そういう「飛び越え」を許さないようにできている。
考えながら歩いていると、不意に足が止まった。
ゴミ山の片隅に、小さな人影があった。
少女だった。
年齢は十二、三歳か。痩せ細った体を汚れた布で覆い、両手でゴミの山を掻き分けている。目は虚ろで、機械的な動作。だが、その動きには必死さがあった。何かを——誰かのために——探している切迫さ。
清一は、無意識のうちにその少女に近づいていた。
「おい」
声をかけると、少女がびくりと体を震わせた。振り向いた顔は、恐怖に強張っている。塵拾い同士でも、縄張り争いは珍しくない。獲物を横取りされると思ったのだろう。
「……取らないでください」
掠れた声で、少女が言った。
「これは、弟のために……薬草を買うお金が、要るんです」
その両手には、錆びた金属片が握られていた。清一の目に、分解鑑定の情報が浮かぶ。
『鉄 純度18% 腐食度:極高 再利用価値:ほぼなし 推定換金額:銅貨0.5枚』
銅貨半枚。この世界で最も安い薬草でも、銅貨五枚はする。少女が握っているそれでは、十分の一にもならない。
「弟が、どうした」
清一が訊くと、少女の目に涙が滲んだ。
「汚染病です。三日前から、熱が……咳が止まらなくて……でも、聖堂様は、お金がないと治療してくれなくて……」
汚染病。
魔素汚染によって引き起こされる病。この世界では、「浄化」と呼ばれる治療法が存在するが、それを施せるのは聖堂——この世界の宗教組織——の聖職者だけ。そして当然、浄化には高額な「献金」が必要になる。
貧しい者は、治療を受けられない。
清一は、自分の懐を探った。
飛竜の骨がある。金貨数枚の価値がある「宝」が。
だが、それを今ここで少女に渡しても意味がない。塵拾いの少女が金貨クラスの品を持ち込めば、盗品として没収されるか、最悪の場合、「どこで盗んだ」と拷問される。
ならば、別の方法を考えなければならない。
「名前は」
「……エルダ、です」
「弟の名前は」
「トーマ。八歳です」
清一は、少女——エルダの目を見つめた。
四十二年の人生で、清一は多くの「見捨てられた場所」を見てきた。不法投棄の現場。汚染された土地。そして、そういう場所で生きることを強いられている人々。
ゴミ処理の仕事は、そういう「見えない場所」と向き合う仕事だ。
社会の華やかな部分を支えるために、誰かが汚れ役を引き受けなければならない。清一は、二十年間それを続けてきた。
この世界でも、同じことだ。
「エルダ」
清一は言った。
「俺について来い。弟の薬代、稼いでやる」
少女の目が、一瞬だけ希望に輝いた。
だが、すぐに曇る。
「……でも、あなたも塵拾いでしょう? 銅貨三枚稼ぐのだって、大変なのに——」
「俺は、普通の塵拾いじゃない」
清一は、ゴミ山を指さした。
「あの山の中に、何が埋まってるか——俺には、見えるんだ」
◇
夕暮れ時。
清一とエルダは、銀貨二枚と銅貨十五枚を手にしていた。
清一の「分解鑑定」が導き出した素材の山——使える金属、まだ価値のある布、そして魔物の骨片——を、灰色地区の廃品回収業者に売りさばいた結果だ。
本来なら、飛竜の骨だけで金貨数枚になるはずだった。だが、清一はあえてそれを売らなかった。いきなり金貨クラスの品を持ち込めば、足元を見られる。最悪の場合、奪われる。
まずは、実績を作る。信用を築く。そして、交渉力を得る。
二十年の社会経験が、清一にそう告げていた。
「これで、薬が買えます……!」
エルダの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ありがとうございます、レイドさん……本当に、ありがとう……!」
清一は、その涙を見ながら考えていた。
銀貨二枚。これで、トーマの薬は買える。だが、それは「一時しのぎ」に過ぎない。汚染病の根本的な治療——浄化——を受けるには、金貨が必要だ。
そして、この灰色地区には、トーマのような子供が何十人もいるはずだ。汚染に侵され、薬も買えず、聖堂の「浄化」からも見放されて。
清一は、夕焼けに染まるゴミ山を見上げた。
この山の中に、どれだけの「価値」が眠っているのだろう。
そして、その「価値」を見出せる人間が、この世界にどれだけいるのだろう。
「エルダ」
「はい?」
「明日も、手伝ってくれるか」
少女は、戸惑ったように清一を見つめた。
「俺一人じゃ、運搬が追いつかない。分別と運搬、お前に任せたい」
「……私が、ですか?」
「報酬は出す。今日の分け前——銀貨一枚と銅貨七枚、お前の取り分だ」
エルダは、信じられないという顔で清一を見つめた。
塵拾いの世界に、「分け前」という概念はない。それぞれが個人で拾い、個人で売り、個人で生き延びる。協力などという発想自体が、この世界の塵拾いには存在しない。
だが、清一は知っている。
効率的な廃棄物処理には、分業が必要だ。収集、分別、運搬、処理——それぞれの工程を専門化することで、効率は飛躍的に向上する。
一人でできることには、限界がある。
「……はい」
エルダは、涙を拭いながら頷いた。
「私、頑張ります。レイドさんのために」
「俺のためじゃない」
清一は言った。
「お前と、トーマのためだ」
そして、心の中で付け加えた。
そして——この世界の、「見捨てられた場所」のために。
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