第4話 ナっさんを探せ!

「お前、器用だなぁ」

 公園の木の前にポツンと立って、岡田啓太はつぶやいた。

 目の前で、1センチ前後の小さなクモが巣を張っている。細い木の枝の間に糸を渡して、忙しく動き回るクモをじっと見ていた。放射状に張り巡らせた縦糸に対して、外側から段々と渦を巻くように横糸を張っていく。その作業は正確無比に行われていた。見ていて飽きなかった。


 クモが中心まで来て、もうすぐ巣が完成だと思ったときに、蚊が一匹巣に引っかかった。もがき苦しんでいる蚊をクモは捕まえて、お尻から糸を出し、あっという間の早業でグルグル巻きにしてしまった。


「弱肉強食の世界だな」

 啓太は感心したような口ぶりで言った。

 それから、ゆっくりと食事タイムに入ろうとしたクモを、啓太がひょいっと摘まんでタッパの中に入れた。

「悪いな。こっちも弱肉強食なんだよ」

 くるっときびすを返して、公園を立ち去った。


 自宅に戻ると、一階の廊下でハエトリグモを見つけた。

「お前、ここにいたのかよ。探したんだぞ」

 と言って、啓太はハエトリグモを捕まえて、こちらもタッパに入れた。


 ハエトリグモは家の中でよく見かけるピョンピョンと跳ねる小さいクモだ。クモの巣は張らない。手に乗せて仕草を見ると案外可愛いクモである。啓太は最初、家の中でこのハエトリグモを探していた。普段よく見かけるので、すぐ見つかるだろうと思っていたが、探してみると、今日はどこにもいなかった。仕方なく外に出て公園まで行き、木の枝の間に巣を張っているクモをようやく見つけた。たった二匹のクモを捕まえるのに、結構時間が掛かったな。と、啓太は思った。

 *

 二階に上がり、自分の部屋で机に座った啓太。タッパを開けて中を見ると、今捕まえたクモとクモが共食いを始めていた。どっちがどっちを食っているのかわからなかった。


「おいおい。勘弁してくれよ」

 と、ピンセットでクモとクモを引き離し、そのまま一匹をつまんだまま、ペンケースのファスナーを開いた。そのペンケースの中に向かって啓太が話しかける。

「すまん。二匹しかいなかったんだ。ちゃんと味わってな。ご馳走だぞ」

 そう言いながら、捕まえてきたクモを差し出した。

「そうだそうだ。いい食いっぷりだ」啓太は何故か、ゾクゾクした。

「もう一匹いるぞ。ガブガブいっちゃえよ」と不気味に笑った。


 *   *   *


「いいか?――誰もいないよな」

 と、啓太はペンケースのファスナーをつまんで、もったいぶった態度を示した。

「誰もいないよ。なんだよ。早く見せろよ」

 同級生の里中たかしはいぶかしげに、啓太の手元を覗き込んだ。


 秋晴れの晴天が広がっている小学校の屋上。抜けるような青空の下、啓太とたかしは、自分たち以外には誰もいないことを確認し、何やら秘密めいた事をしていた。

 啓太がペンケースのファスナーを開くと、中から、なにかがにゅっと首を出した。


「あ、カナヘビだ」

 たかしの顔が緩んだ。

「さあ、来い」啓太が手を差し出すと、カナヘビが手に飛び移った。

「お、慣れてるな。カナヘビが人に慣れるなんて聞いたことないぞ。へえ~・・・」

 たかしはキョトンとした顔をして感心していた。

「まあな、コイツ可愛いんだ」

「どこで捕まえたんだ?」

 手のひらの上でおとなしくしているカナヘビの頭を指で撫でながら、「窓から入ってきたんだよな~」と、啓太は猫なで声を発した。

 たかしは思い出したかのように、

「あ、カナヘビって、シッポ切っても生きてるんだぜ。敵に襲われたときにシッポを犠牲にして、その間に逃げるんだってよ。俺、前に見たことあるんだよ。切った後のシッポもクネクネとしばらく動いてんだよ。――切ってみようぜ」

 と言って、カナヘビのシッポを掴もうとした。


 ――やめろよ!


 啓太は素早く手を引っ込めた。

「絶対切らせないぞ」

 こいつ、こういうところがあるんだよな。俺が今、無茶苦茶可愛がっていたのを見ていただろうが。よくそういうことが出来るな。やることがいちいち雑なんだよ。わかってないなあ。今後のこともあるから、こいつにはちゃんと教え込まないといけないか――。と、啓太はカナヘビを両手で包んで保護しながら、たかしの顔をじっと見つめた。

「な、なんだよ。ダメか・・・」

 たかしは、啓太の異様な雰囲気に押され、若干ひるんだ。


「いいか、たかし。よく見ろ」

 包んでいた手を開いて、たかしの目の前にカナヘビを掲げて見せた。

「このシッポの長さを・・・なっ」

 手のひらにカナヘビを乗せたまま、右手でシッポの先をつまんで伸ばして見せた。シッポ越しにたかしの目を真っすぐに見つめて、声を低くして言った。

「これが、かっけえんだよ」

 カナヘビのシッポは胴体の二倍ぐらいの長さがある。ほとんどシッポの生き物と言ってもいいぐらいだ。そう言われたからか、たかしは、あらためてまじまじと見た。

「たしかに・・・こんなに、シッポって長かったのか」

 いいぞ。少しはわかってきたか。

「それにコイツ、こういうことが出来るんだ」

 カナヘビを手に乗せたまま、手のひらをゆっくり、表・裏・表・裏とひっくり返した。カナヘビは啓太の指の間をくぐって、手から滑り落ちないようにすいすいと歩き回る。まるで、犬の競技にあるポールスラロームのように、体をよじって、指の間を右・左と交互にうまくすり抜けていく。だんだん息があって来たな。と啓太は思った。今日は、自分の呼吸とカナヘビの呼吸がぴったりと合っているような感覚だった。

「へえ~」と、たかしは目を丸くして感心した。

「さらに!」

 と言って、啓太はカナヘビをもう一度両手で優しく包んで、自分の顔の前に合掌するかのように持ってきた。一旦、祈るように目を瞑って、再度、その目を見開いた。


「いいか。山の頂上の噴火口が開くぞ。ドカーン」

 といい、合掌して合わさっている、中指と中指をぴっと離した。すると、中からカナヘビがにゅっと這い上がってきて、体を半分出すと、キッとした眼つきで遠くを見渡した。まるで見得を切ったようだ。

「わ、かっけえ!恐竜みてえだ」

 たかしには、火山の大爆発と同時にこの世に出現した、古代生物のように見えたのだろう。それでいいんだよ。ようやくわかったか。っと、啓太は満足気に含み笑いを浮かべた。

 たかしは開いた口が塞がらないまま、見る角度をいろいろ変えて、カナヘビを眺めた。

「触ってもいいか?」と、啓太を見てきた。

「シッポ切るなよ」

「わかってるよ」

 カナヘビを手のひらに乗せてやると、たかしも頭を撫で始めた。

「可愛いな~、こいつ。名前は?」

「ナっさん」

「ナっさん?なんで?」

「なっ。なっ。って呼び掛けてたら、そのうちナっさんって呼んでた」

「ナっさん。か。よろしくな・・・おい、ナっさん、くすぐってえな~」

 ナっさんがたかしの指を甘噛みしはじめた。

「ナっさんはいつも腹を空かせているんだ」

「エサか。虫だな」

「ああ、クモも好きだぞ」

「休み時間に探すか」

「おう」

 ナっさんは、たかしの指を気に入ったのか、いつまでも甘噛みしていた。


 *   *   *


「可愛い。私もこのキャラ好き」

 と、楢崎アンナが頬杖をついて松田あずさの手元を見ている。

 休み時間の5年2組の教室ではおなじみの光景だ。絵が得意なあずさは暇さえあれば、落書き帳にマンガのキャラやイラストを描いているような娘だ。いつも、自分の机で熱心に励んでいる。その、あずさの椅子の横に、並べるように椅子を持ってきて座ったアンナは、通路に体を半分はみ出したまま、両手で頬杖ついて感心しながら眺めている。


 松田あずさは背が低くて、典型的な文系のメガネっ娘。対して、楢崎アンナは長身で金髪。お父さんがロシア人でお母さんが日本人の所謂ハーフである。見た目には好対照の二人だが、趣味が合うのか、いつも一緒にいる。


「あずちゃんって、ホント上手だね~」

「そ、そ、そんなこと・・・」

「なくないよ。いいな。私もあずちゃんみたいにうまく描いてみたいな~」

 頬杖つきながら、アンナが首を横に振ると、

「えへへ」と照れ笑いしながら、あずさはペンを早く動かした。


「あずちゃんは本当に上手よ」

 川田ひなのはあずさの机の前に立ち、腕組みをして見下ろすように言った。

「ひなちゃんもそう思うよね」

 アンナが顔を上げた。

「うん。どう?ちゃんとしたマンガを描いてみたら。あずちゃん」

 腕組みを解き、真剣なまなざしでひなのは言ってみた。

 もし描けたら、コバちゃんに見てもらって、アドバイスを貰えるかもしれない。そうすれば、あずさの才能を大きく伸ばせるかも。何で今まで気づかなかったのか。と、ひなのは思った。

「うちの隣にマンガ家目指している、コバちゃんっていう男の人が住んでいるの。私、仲がいいから、あずちゃんが、もしもよ、見て欲しい、アドバイスが受けたいって思うなら、頼んであげる」


「えっ! マンガ家さんと知り合いなの?」

 まずは、アンナが反応して食いついた。

「知り合いっていうか。向こうが私のことを気に入ってるみたいだから、いろいろ面倒見てあげているの。食事とかいろいろ。男子って、ほっとくとコンビニのお弁当ばかりになるから、栄養が偏るでしょ。見てられなくて」

「すごい。お嫁さんみたい。いいなあ」

 アンナは両手を口にあてて、目を剥いた。

「アンナちゃん。お嫁さんになりたいの?」

「うん。絶対なる。幸せなお嫁さん。でもね、まだ好きな人が出来ないの。男子のことがよくわからないし。――それに、私のこと、好きとか可愛いとか綺麗って言ってくれる人もいないもん」

「大丈夫。そのうち見つかるから」

「ひなちゃんは、その人のお嫁さんになるの?」

「まだ早いわ。マンガ家として成功したら、考えてもいいけど。今はまだ卵だからね」

「その人、ひなちゃんのこと、好きって言った?」

 アンナの興味が止まらない。こういう話が大好きな小学五年生である。

「そうなんじゃない。私のこと、マンガのキャラで出すぐらいだから・・・」

「いや~、相当好きなんじゃない。ひなちゃんのこと」

 アンナは祈るように手を組んで、ブルブルと震えた。矢継ぎ早に聞いてくる。

「その人、いくつ?いくつ?」

 ひなのは、顎にひとさし指をくっつけて、上を見上げて言った。

「28だったかしら・・・」

 アンナが急に冷めた。

「え?・・・歳の差ありすぎない。いくら何でもそれは・・・」

「アンナちゃん。恋に年齢は関係ないわ。そんな考えでいたら、将来必ず、自分が損するから。今はまだわからないかもしれないけど、そういう決めつけは、良くないのよ」

 ひなのはアンナの肩にそっと手を置き、諭すように言った。こういう立ち位置に、妙に優越感を感じるひなのであった。

「そうかも・・・いや~、おとなね~・・・」

 アンナは、恥ずかしいのか、感心したのか。手で顔を押さえながら、ひなのの言葉がしみじみと沁み込んだようだった。いいのよ、少しはわかったかしら。と上から目線のひなの。

「そんなことより、あずちゃんのマンガよ」

 話を戻した。

 

 アンナがハッと我に返って、隣でペンを走らせているあずさに向き合った。

「そうそう。あずちゃん、マンガ家の人がいるんだって、見てもらおうよ。あずちゃんなら、マンガもかけるよ。絶対」

 あずさは黙って、ノートに顔を近づけ、ペンを動かす手を早めた。

「あずちゃんなら描けるって。描いて、見てもらおーよ。ねえ」

 とアンナが煽ると、あずさはもじもじしながら、ペンを走らせ続け、口を開いた。

「も、も、も・・・」

「もう描いてるの?マンガ描いたの?あずちゃん、見せて見せて」

 アンナが興奮して、あずさをゆすった。

 アンナはあずさの言わんとすることがニュアンスでわかるようになっている。若干の吃音症で悩んでいるあずさには、ありがたい存在だろう。二人の付き合いの長さと深さを感じるこのやり取りが、ひなのは好きだった。

 アンナがあずさの顔を覗き込むようにして、言った。

「描いたのなら、何で見せてくれないの」

「だ、だ、ダメ・・・」あずさは真っ赤になった顔を両手で隠して突っ伏した。

 アンナがひなのに向かって、

「恥ずかしいんだって。最近出来たばっかりみたい」と、納得したかのように言った。

 くすっと、ひなのは笑った。

 *

「たかし、花壇に行ってみようぜ」

 啓太が廊下から教室に向かって顔を突き出し、教室の奥にいるたかしに向かって声を掛けた。例のナっさんのエサになる虫を探そう。ということらしい。

 おう。と、たかしは返事をして、教室の後ろの方から走って啓太に続こうとしたが、アンナが通路にはみ出して邪魔になっていた。一瞬、躊躇して立ち止まったが、

「どけよ!」と、アンナを肘で押しのけて強引に走って出て行った。


 アンナは、たかしに押された勢いであずさにぶつかり、「きゃあ」と、叫んだ。

 あずさも、一緒に「きゃ」っと、叫んだ。

 ひなのは、振り返って、走り去るたかしを睨みつけた。なにあいつ。と、思ったが、すでにたかしは教室を出て行ったあとだった。

「ごめんね。大丈夫?」と、アンナがあずさを抱き起す。

「う、うん・・・び、ビックリ・・・」あずさは、ズレたメガネを直していた。

 ひなのはなんだか悔しかったが、アンナとあずさを黙って見ているしかなかった。


 *   *   *


 校庭の花壇には赤、白、ピンク、紫と色とりどりのコスモスや、鮮やかな青のリンドウが咲いている。女子なら、「わあ、可愛い」とか言って、綺麗な花をめでるだろうが、啓太とたかしには花はどうでもよかった。たかしがずかずかと花壇に足を踏み入れて、石を持ち上げると、ダンゴムシがうじゃうじゃいた。

「まずは、こいつだ」と、たかしは、丸まったダンゴムシをつまみ上げた。

 まだ、エサとして試したことのなかった啓太は、手のひらにナっさんを乗せて、ダンゴムシにナっさんの口元を近づけてみた。ナっさんは何一つ興味を示さない。ふんっと、目を背ける始末だ。ボソッと言った。

「ダメだな。こりゃ」

「まずそうだもんな。堅そうだし」

 たかしはダンゴムシを指でピンっとはじいて捨てた。

「クモは美味しそうにムシャムシャ食ったけどな」

「クモか・・・おい、啓太」

 たかしが花壇のレンガに張り付いているジグモの巣を発見した。


 ――ジグモとは――

 塀や石垣、木の根元などから、細長い筒状の袋の巣を、地中に伸ばして生息しているクモ。体長は1センチから2センチ程度の小さなクモである。地上に出ている袋の先をつまんで、そっと引き抜くとそのままジグモが入っていて捕まえることが出来る。力任せに引き抜くと、袋の底が破れて逃げてしまう。適度な力加減が必要だ。

 サツマイモを引き抜く時、あまり掘らないで力任せに抜くと弦が切れるのと一緒である。


「ヤツか・・・ヤツは柔らかいな・・・」

 と、啓太は不気味な笑みを浮かべた。何故なら、ナっさんがムシャムシャとがっつくところが容易に想像できたからだ。生き物が生き物を食う姿に妙に興奮する啓太だった。

 たかしがジグモの巣の先をつまんで引き抜いた。

「あ、逃げた」

「もう、下手くそだな。そっとやるんだよ。そっと」

「わかってるよ」

 たかしは底の破れたヤツをポイっと投げ捨て、すぐ隣の巣に手を掛けた。

「うまくいったぞ」

 と言って、袋からジグモを取り出し、啓太の手の上に乗っているナっさんの目の前に差し出した。ナっさんはすぐさま、バクっと食いついた。予想通り、ムシャムシャと音をたてて食っている。たかしも何やらそそられるらしい。嬉しそうに言った。

「うまそうに食うな」

「だろ」

「片っ端から引き抜くか」

「ああ。どうせ、これやりだしたら止まんねえからな」

 啓太は、ナっさんをペンケースに一旦避難させて、ジグモ取りを始めた。二人は夢中になって何匹も捕まえた。せっかく咲いているリンドウの一角を、踏み荒らしていることにも気が付かずに。半ズボンのお尻を泥だらけにしてせっせと続けた。


 *   *   *


 家に帰った啓太は、自分の部屋の机の上でタッパの蓋を、そおっと開けた。中には今日捕まえたジグモがゾロゾロと入っている。二十匹はいるだろう。たかしと相当粘って捕りまくったから、大収穫だ。ジグモ同士は共食いをしないので、同じタッパに入れておいても安心だった。


 ナっさんは、啓太のシャツを駆け上り、胸ポケットに入って、顔をひょこっと出した。

「ナっさん。そこ好きだな」

 と言いながら、ピンセットでジグモを掴み、胸ポケットで待っているナっさんに食べさせた。相変わらずムシャムシャと美味そうに食う、ナっさん。

「貴重な飯だな。コイツらが死んで腐らないように、どこかに保存しとこうな」

 タッパの蓋を閉めながら言った。

 *

 啓太の母・今日子は、撮り為した韓国ドラマを見て泣くだけ泣いた。ティッシュをぼんぼん抜いて、鼻をかんだ後、「サランヘヨ~、サランヘヨ~」と言いながら、ソファから立ち上がりリビングを出た。思いっきり泣いてすっきりした後に、夕方の家事に取り掛かるのが毎日の日課だ。


 洗濯機の中を確認すると、泥だらけの半ズボンが入っていた。

「もう・・・啓太、啓太」

 二階に向かって鼻声のまま叫んだ。「なに?」と啓太が降りてきた。

「泥がついたまま入れないでって、何度言ったらわかるの。洗濯機が壊れちゃうでしょ。まったく、もう!」

 わかったわかった。と啓太は目で言って、半ズボンを持って泥を払いに外に出て行った。


 今日子はエプロンを付けて、夕飯の支度に取り掛かろうと、冷蔵庫を開けた。すると、見慣れないタッパがあった。

「ん?残り物がなんかあったかしら」

 タッパを開けて見ると、ジグモがゾロゾロとうごめいていた。


 ――きゃあああ! 


 と叫んで腰を抜かした。

 なにが起きているのか状況がよく理解できないまま、今日子は、冷蔵庫の取手にしがみついて、なんとか上半身を起こした。足下には今投げ捨てたタッパが蓋を開けて転がっており、逃げたクモ達が、ずらっと今日子の周りを放射状に取り囲んでいた。


「あっ!」見たことあるこの場面。と今日子は思った。確か、エイリアン2で沢山のエイリアンに囲まれた乗組員が、最後には食べられちゃうのよ。それだわ。

「いやー、助けて、啓太。エイリアンが、エイリアンが!」目を瞑ったまま、叫んだ。

「どうした。オッカー」

 啓太が走ってやってきた。一目で「あ、しまった」っという顔をした。

「オッカー、そうやって目を瞑っていろ。今、俺がエイリアンをやっつけてやるからな」

 と言って、ジグモを一匹づつ拾って、タッパに入れ直した。


 *   *   *


「ナっさんは?」

 たかしが啓太の机の前に立って、聞いてきた。

「ここにいる」

 椅子に座ったままの啓太が胸ポケットを軽く叩くと、ナっさんが顔を出した。

「少し元気ないな」たかしはナっさんの様子が気になるようだ。

「多分、日光浴が足りないんだ」

 ナっさんの頭を撫でてみたが、確かに元気がない。と、啓太も思った。


 今日は朝から雨が降っていた。寒いとまではいかないが、気温もあまり上がらない。爬虫類は変温動物なので、気温が下がると活動が鈍る。啓太は自分で調べた知識で晴れた日にはナっさんに日光浴をさせることを心掛けていた。今日はそれが出来ずにいた。


 たかしが、窓から空を見上げると、さっきまでの雨がやみ、雲の切れ間から日差しが降り注いでいた。

「啓太、太陽が出てきたぞ。ちょっと、屋上行くか」

「あ、ホントだ」啓太も立ち上がった。

 *

 あずさが机に向かって絵を描いている。その横にアンナが椅子を持ってきて座って見ている。5年2組ではおなじみの光景なので、日常風景と化している。誰も気にしない。


 あずさが絵を描きながら恥ずかしそうに言った。

「だ、ダメ・・・」

「あずちゃんの描いた漫画なら、絶対面白いよ。ねえ、見せてよ」

 アンナは気になってしょうがないみたいだ。

 あずさがノートの別のページを開いて見せた。

「こ、これで、ゆ、許して・・・」

 アンナは一瞬凍り付いた。

「イルカワ君・・・スマイルダンクのイルカワ君だわ」

「あ、アンナちゃん、す、す、好きでしょ」

「きゃああ。イルカワ君。イルカワ君よ!」

 アンナはノートを手に取り、立ち上がって、勢いよくグルグルっと回った。と同時に、ドン!っと音がしてアンナの足下に誰かが倒れた。


 見ると、啓太とたかしが二人揃って倒れていた。

 二人はナっさんに日光浴をさせようと、屋上に向かって、走って教室を出て行こうとしていた。休み時間が残り少なかったので二人は焦っていた。ぶつかったのは、急いだ彼らが前方不注意であったことも原因の一つなのだが、そんな反省はこの二人には皆無だった。

「いててて、何やってんだよ。このノッポ」啓太が言った。

「ったく。デカ女。金髪ブス」たかしも倒れたまま罵倒した。


 啓太とたかしは立ち上がって、「謝れよ。お前がぶつかって来たんだろうが」と二人して詰め寄った。

 アンナは手足が長くて華奢な体つきだが、啓太とたかしより頭一つ背が高い。上を見上げるような恰好で、二人はアンナに対して突っかかっていく。アンナはノートで顔を隠してブルブル震えている。あずさも座ったまま目を瞑って固まってしまっている。


 そこに、ひなのが走って来て、すぐさまアンナと男子の間に入った。

「ちょっと男子。それだったらこの間のこと、そっちが先に謝ってよ」

「この間のことって何だよ」啓太が聞いてきた。

「里中がアンナちゃんを突き飛ばしたことよ」

「はあ!突き飛ばしてねえよ」

 たかしのギアが上がった。敵意むき出しだ。もともと、たかしが、自分のことを良く思ってないことは知っている。それなら、なおさらこちらも。と、ひなのは際立てて言った。

「突き飛ばしました」

「よけてくれ。ってやっただけじゃねーか」

「はあ・・・そういうこと言うの」

 ひなのは冷めた口調でそう言うと、自分のスカートに両手をかけた。


「あ!」っと、たかしはビビって、のけ反った。いつぞやのスカートめくりの反撃技だ。とすぐさま直感したようだ。たかしは一瞬固まった。傍にいる啓太も同じく気づいたみたいだ。たかしと違ったのは、飛び込むようにして、ひなのの手を押さえに来たことだった。

「やめろよ」

 ひなのの両手をガシッと握って、啓太は訴えかけるような目をしている。


 顔と顔はかなりの至近距離だ。ひなのはドキッとした。コイツ、真剣に私を止めている。射貫かれるような眼を向けてくる。もしかして、私のこと―――。と、岡田啓太という存在を、改めて意識した。それは自分にとって、男子として、とか、異性として、というほどのモノではなかったが、今までボヤっと見ていた啓太の輪郭が、はっきりと際立って形作られた。瞬間的な出来事だった。今までにない感覚を味わった。が、次の言葉を聞いて、そんな意識や感覚はすぐに消えた。


「お前なにやってんだよ。頭おかしいんじゃねーのか」

 その言い方が気に食わなかった。両腕を掴んだままの姿勢で言われた。

 思わず、啓太の、その手を払いのけて、

「何よ。あんたなんか、私のパンツ見て喜んでたくせに」

 と吐き捨てた。

「はあ!喜んでなんかねーよ」

 今度は啓太のギアが上がった。

「うそ。喜んでいました」

「ふざけんなよ!」

 ひなのは、くるっと振り向いて、教室中に響くように言った。

「岡田君は私のパンツを見て喜んでいる変態で~す」

「お前、いい加減にしろよ!」


 ――キンコンカンコン。チャイムが鳴った。

 ひなのにつかみ掛かかりそうな啓太を、たかしが止めた。

「もうよせ。先生が来るぞ」

「くそ~」啓太は興奮冷めやらぬまま、引っ張られていった。が、胸ポケットを押さえて

 ――「あ、ナっさんがいない」

 といい、いきなり床に這いつくばって何やら探し始めた。

 たかしも「なに!」と発して一緒になって這いつくばった。


「なによ。なにがいなくなったのよ」

 啓太には聞こえてないようだ。たかしが代わりに答えた。

「ナっさんだ。カナヘビのナっさん」

「カナヘビ?」

 ひなのが聞き返した時に、

「ほら、席に着け。お前ら」と、吉田先生が入ってきた。


 みんなが席に着くと、先生が言った。

「さて、昨日。学校の花壇が一部踏み荒らされていた。これについては、学校側は犯人捜しはしない・・・が、男子、よく聞いてろよ。少しはお前ら、花をめでるという気持ちを持てよ。植物にも命があり、一生懸命生きている姿がそこにあるってことだぞ。わかったか。女子はたまに水をあげてる姿を見るぞ。えらいな。じゃあ、授業を始めるぞ」

 たかしは、やべっという顔をして啓太をチラッと見た。

 啓太は椅子に座ったまま、床を見回してナっさんの行方を捜しているようだった。

 *

「ナっさ~ん・・・どこだ~・・・出てこ~い」

 放課後、啓太とたかしは、教室の床を這いずり回って探していた。


 もう誰も残っていない教室の中には二人きりだった。ナっさんが隠れていそうなところは大抵探した。みんなの机の中やロッカーの中、ごみ箱の中、掃除道具入れの中、注意してみると、案外多いあちこちにある隙間。どこを探しても、ナっさんは見つからなかった。たかしは立ち上がって腰を伸ばしながら、大きな声が出したくなった。

「もうダメだ。逃げたんだよ。ナっさん」

 と、吠えるやいなや、

「そんなことねーよ!」

 被せるように啓太に返された。

 こちらを睨む啓太の眼は、凄まじく異様な眼力だった。あまりの迫力にたかしは言葉を失い、腰を伸ばすような恰好のまま、固まった。暫く動けなかった。


 さすがに、逃げた。は禁句だったか。と、軽く反省めいたものが頭をよぎったが、なんで俺が、こんなことにいつまでも付き合わされなきゃいけないんだよ。と、嫌気もよぎってきた。こちらを睨んだまま、何か言いたそうな啓太だったが、その言葉はグッと飲み込んだみたいだった。視線を外して、もう一度探し始めた。――「ナっさ~ん・・・」と、四つん這いになって這いずり回る啓太の後ろ姿を見ながら、たかしは思った。


 あれだけお前に懐いていたナっさんが、出てこないってことは、ここにはもういねーよ。気持ちはわからんでもないが、逃げたに決まってるじゃねえか。所詮はそんなもんだよ、動物なんてのは。こういう時お前は、誰が何を言っても止まらないからな。もう、諦めようぜ。なんて安い説得をしても無駄だからな。だからと言って、このまま付き合わされても、たまったもんじゃねーんだよ。一生やってろよ。


「すまん。今日、オッカーに早く帰って来いって言われてたんだ」

 と、たかしは嘘をついた。

「ああ」と一言。啓太は床を眺めながら言った。


 たかしはランドセルを背負って「見つかるといいな」とボソッとつぶやき、教室から出ようとした。が、啓太の返事がない。気になって目をやると、何度も見た掃除道具入れをまた開けようとしていた。そして、またしても「ああ」と、遅れて返事が来た。たかしは、走って教室を出て行った。

 啓太は振り返らず、黙々と探すのを続けた。


 *   *   *


「ひなちゃん、ごめんね」

 先ほどから、アンナが責任を感じて何度も何度も謝ってくる。

「やっぱり私がすぐに謝ればよかったのよ。ぶつかったのは私だもん・・・」

 ひなのとアンナとあずさ。三人がランドセルを背負って、帰り道を下校している。話題は、今日の男子との揉め事に終始していた。

「いいのいいの。あんな奴等、下等動物と一緒だから。猿なのよ、猿。ね、あずちゃん」


 あずさがピタッと立ち止まって、口を開いた。

「あ、あ、あ・・・」

「ん?」っと、ひなのは首を傾げた。

「あの人たち、怖いよね~」と、アンナが続いた。なるほど。それが言いたかったのね。

 あずさがアンナの手を取って、「うん、うん、うん」と、険しい顔をして頷いた。

 お返しとばかり、アンナもあずさを見つめて、半分泣き声で言った。

「あずちゃん聞いて~。私、金髪ブスって言われたの。金髪ブスって。あんなこと言われたの生まれて初めて。わたしってやっぱりブスなのかな~、もういや~」


 可愛そうな娘たち。よっぽどあいつらが怖かったのね。仕方がないわ。この二人は私が守らなければ。と決意して、ひなのは二人に向き合った。腰に手を当てて言った。

「いい、二人とも。今度あいつらに何か言われたら、すぐに私を呼ぶこと」

「うん!」二人は即答した。

 ダメ押しとばかりに「私の後ろに隠れてなさい」と、ひなのは右手の人差し指を突き出した。

 その時、

 突然、ひなのランドセルからナっさんが現れて、肩から右手をつたわり、ひなのの目の前のアンナに飛び移った。

 きゃああああ!

 っと、悲痛な叫び声をあげ、アンナは反り返って固まった。ナっさんはアンナの胸にしがみついて、じっとしている。


 アンナが目を瞑ったまま、聞いた。

「なに?なに?なに?」

「ト、ト、ト・・・」

 あずさはビックリしたまま、ナっさんをじっと見つめて「ト」を繰り返している。

「トカゲ?トカゲ?トカゲ?・・・とって」

 アンナは目を瞑ったまま硬直して、懇願した。

「と、と、と・・・」

 まただ。あずさは、相変わらず「と」を繰り返した。

「なんで、とれないのよ。あずちゃん、とってよ」


 ああ、ちゃんと会話になっていたのね。へえ、さすがだわ。ひなのは感心した。ひょいっと、カナヘビのシッポをつまんで、アンナから外してあげた。

「カナヘビよ」

 そう一言いって、ひなのは思った。

 ふ~ん、これがそうか。あいつらが探していたのは。


 ナっさんは、ひなのにシッポを掴まれて、ブラブラと身体を横に振っている。

 アンナとあずさは、ササっと、ひなのの後ろに隠れた。

「ひなちゃん、怖くないの?」

「別に」

 身体を横に振っている反動で、ナっさんのシッポが切れ、下に落ちた。「あら」っと、ひなのはすぐにかがんで、ナっさんを上から押さえつけて捕まえた。

「どうしたの?」と、アンナとあずさが上から覗き込んできた。


 はいっと、ひなのはアンナの手になにかを握らせた。

 アンナが手のひらを開いてみると、シッポがクネクネと動いていた。

 ――きゃあああああ!

 アンナは悲鳴を上げて、シッポを投げ捨てた。

「ごめんごめん。冗談」と、ひなのはペロっと舌を出した。

「もう、やめて!」

 アンナがめずらしく怒った顔を見せた。少し可笑しかった。


 ふと横を見ると、あずさが背筋を伸ばして立っていた。目を瞑っている。よく見ると、メガネの奥の、瞼の下で目玉がグルグルと動いていた。

「あ、はじまった」と、アンナが言った。

 なにが?と聞くと。

「あずちゃんは、なにかあると、誰かと交信始めるの」

「誰と?」

「わかんない」


 アンナによると、あずさは、嫌なことがあったり、驚いたりすると、誰かと交信を始めるらしい。

 と言っても、これはアンナの推測であり、勝手にそう捉えている。ということだった。ほっとくと、そのうち元に戻るから、アンナはそれほど心配をしてなかった。前に、「宇宙人と話していたの?」と聞いたこともあったらしいが、「ち、ち、ちがう」と言われただけで、詳しいことは話してくれないらしい。もともと、あずさには妄想癖があるので、その一環だろうということだった。

「あ、戻った」と、アンナが言った。

 あずさは、何食わぬ顔をして一人で先に歩き始めた。


 *   *   *


 吉田先生が、薄暗くなった5年2組の教室に入ると、啓太が一人で何かを探していた。

「おい、岡田。どうした?探し物か?」と、電気を点けた。

「あ、はい。ちょっと・・・」

「もう下校時間過ぎてるぞ。早く帰れ」

 吉田は黒板を消し始めた。

「はい」と、返事をして、啓太はランドセルを背負ってトボトボと教室を出て行った。


 満月に近い月が、南東の空に輝いていた。月明りが辺りを照らしている。

 吉田は自転車に乗って、ようやく帰れると思い、勢いよくこぎだした。次の瞬間、キキーっと、ブレーキをかけて止まった。

「おい!岡田。まだいたのか」

 校庭の草むらで、啓太が何かを探していた。

「あ、はい・・・」

「何を探しているんだ?こんな遅くまで」

「え~と、シャーペン・・・かな・・・」と言いながら、啓太は草むらをかき分けている。

「いい加減にしろ。先生だって帰る時間だぞ。明日にしろ。明日に・・・後ろに乗れ。送って行ってやる」

 啓太を自転車の後ろに強引に乗せた。

「何時だと思ってるんだ。お前は」と言って、力一杯、自転車をこぎだした。

 啓太は、荷台に座ったまま振り返って、校庭をずっと見ていた。


 *   *   *


 朝の校庭。スズメがチュンチュンと地面をついばんでいる。

「楢崎、すまんな。お母さんによろしく言っておいてくれ。先生からも後日、お礼を言うけどな」

 吉田先生は花壇の前でスコップとバケツを渡しながら言った。アンナとひなのとあずさの三人が、スコップとバケツを受け取って花壇に足を踏み入れた。

「先生。気にしないでくださいって、ママが言っていました」

 アンナが屈託ない笑顔で答える。


 踏み荒らされた花壇のことを聞いた、アンナのお母さんは、代わりに植え替える花を用意してくれた。というのもアンナの母は、『楢崎花壇』という都内に十数店舗のフラワーショップを経営する会社の代表取締役である。日頃から、学校に花や植木を寄贈してくれる有難い存在として知られている。今回も早速、学校の近くの店舗に指示を出して、植え替え用の花を朝一で届けてくれた。植え替え作業はアンナ、ひなの、あずさの女子三人がやると申し出てくれた。彼女たちは嬉しそうに、新しい花を袋から取り出して「わあ、可愛い。これ」と言って、楽しそうに作業を始めた。吉田は、そんな女子たちの姿を見て、頼もしくて笑みをこぼした。

「先生は朝の準備があるから任せていいか?」

「大丈夫で~す」

 三人が元気に答えたので、吉田は職員室に戻った。

 *

 三人で花を植え替えていると、声がした。

「なにやってるんだ?」

 見ると、たかしが立っていた。通学してきたばかりなのだろう。ランドセルを背負っている。ひなのが立ち上がると、アンナとあずさはひなのの後ろにさっと隠れた。二人はビクビクしている。大丈夫。言った通り、私の後ろに隠れていればいいから。と、ひなのはたかしに向き合った。


「アンナちゃんのお母さんが、新しいお花を用意してくれたの。だから、植え替えてるの。なんか文句あるの?」

「いや・・・そうか・・・」

 と言って、たかしは行きかけたが、もう一度花を見て、聞いてきた。

「それは、なんていう花だ?」

 アンナがひなのの背中に隠れたまま、か細い声で答えた。

「リンドウ」

「リンドウか・・・そうか・・・」

 と呟いて、たかしはトボトボと教室に向かって歩き出した。

 ひなのは怪しいと思った。犯人はあいつだ。と直感した。証拠があれば先生にすぐに言いつけるのに。証拠を探さなければ。と決意し、スコップを握る手に力が入った。

 *

 今日は朝から晴れて太陽がまぶしかった。

 たかしは、校舎に入る前にもう一度、花壇の方を見た。女子三人が、植え替え作業をしている。リンドウの鮮やかな青色が朝日に映えて美しかった。


 もやもやしていた。何で、俺が踏んづけてしまったんだと言わなかったのか。言って、俺も手伝うよ。って、なんで言い出せなかったのか。よくわからなかった。よくわからなかったので、そのまま、教室に向かった。


 教室に着くと、啓太が四つん這いになって這いずり回り、あちこちにある隙間を丹念にチェックしていた。朝早く来て、ナっさんを探しているのが一目でわかった。クラスのみんなは、そういう啓太を怪訝な目で見ている。啓太は周囲の目を何一つ気にせず、没頭してナっさんを探していた。たかしはランドセルを机に置き、啓太に近づいた。


「ナっさんは?」

「まだだ」

 啓太は、ごみ箱をひっくり返してみている。「まだだ」と答えるあたりがこいつらしい。

 ふと見ると、啓太の両膝に大きな絆創膏が張られていた。昨日は膝が擦りむけるまで、探していたのだろう。しかも、すでに右ひざの絆創膏からは血が滲みだしていた。相変わらずだな。と、たかしは思った。


 しばらく考えて、あっと気が付いた。今日は天気がいい。

「ナっさん・・・朝は日光浴したいんじゃねえか?」と、投げかけた。

 啓太がハッと目を見開いて、たかしに向かって言った。

「屋上だ」

「行くぞ」

 たかしも反射的に答えた。

 二人は走って教室を出て行った。が、屋上にもナっさんはいなかった。

 *

 給食が済んだ。

「ごちそうさまでした」

 の掛け声の後、啓太とたかしが急いで食器を片付けて、教室を走って出て行った。

 

 校庭の草むらをかき分けている二人の姿は、教室の窓からよく見えた。

 ひなのは、窓に手をつき、啓太とたかしの様子を見ていた。

「ひなちゃん。あの二人、昨日のアレ、探しているんじゃないの?」

 アンナが聞いてきた。あずさも、横で「うんうん」と頷いている。

「そうでしょ」

「返してあげないの?」

「しばらくね・・・いい気味よ」と、答えた。

 どうせ、花壇を踏み荒らしたのはあの二人なんだから。私にはわかっているんだから。そのうち証拠をつかんで見せるから。と、睨みつけた。


 *   *   *


 放課後になって、また、啓太とたかしは教室の中を探し始めた。

 クラスの女子の一人が言った。

「もう、岡田! 床に血が付いてる。せっかく掃除したのに」と、すごい剣幕だった。

「ああ、ごめん」啓太が雑巾を持って拭きに来た。

 啓太の膝の絆創膏はとっくに剥がれている。

「保健室行くか?」とたかしが聞くと、

「後でいい」そう言って、啓太は床を拭いて、また、探し始めた。


 ひなのは、その様子をじっと見ていた。

 アンナとあずさがランドセルを背負って、近づいてきた。

「ひなちゃん、どうするの?返す?それとも、帰る?」

 ランドセルを背負ったひなのは、机の中からお菓子の箱を取り出して啓太に近づいた。

「あんた達のカナヘビ。私が保護しといたから」と、そのお菓子の箱を差し出した。


「ほんとか!川田」

 啓太は、目を見開いてこちらを見た。そして、大事そうに箱を受け取った。

「おい、よかったな~・・・」たかしが駆け寄って来た。

 啓太が箱の蓋をそっと開けると、中にいたのは、シッポの切れたカナヘビだった。

 ――あっ!

 啓太は息をのんだ。しばらく固まった。が、ワナワナと震えだして、ひなのに吠えた。

「ふざけんなよ! ナっさんはもっとシッポが長げえんだよ。適当なモノ拾ってくんじゃねーよ!」

「はあ、何よその言い方」

「お前は俺をからかってんのか!」

「知らないわよ。私のランドセルからそれが出てきたのよ。ねえ」

 とっさにアンナとあずさに投げかけた。


「遊んでんじゃねーんだよ!」


 アンナとあずさはひなのの後ろに隠れた。

「ひなちゃん、もう帰ろ・・・」


 ――待て!

 たかしが、啓太の手を取って、手のひらを上にした。

 そして、箱の中のカナヘビをつまんで、そっと、啓太の手のひらの上に乗せた。

「なによ?」思わず聞いた。


「もし、こいつがナっさんだったら、啓太の指の間をすり抜けるように歩き回る・・・だろ、啓太」

「ああ・・・」

「どういうこと?」意味がわからなかった。

「啓太がこのまま手のひらをゆっくりと表から裏、裏から表へとひっくり返す。普通だったらカナヘビは下に落ちる。だが、ナっさんは落ちないように啓太の指の間を縫って、すり抜けるように器用に歩き回るんだ。啓太が仕込んだ芸をするんだ。ナっさんは」

「へえ、見てみたいわね」

 アンナとあずさも、後ろからそっと、顔を覗かせた。


「いいぞ。啓太」たかしが頷いた。

 左手の手のひらに乗っているカナヘビを見つめて、啓太はゆっくりと裏返した。

 カナヘビは、ズルっと、下に落ちた。

「あっ!」と、すかさず啓太は右手で受け止めた。「見ろ!こいつはナッさんじゃねえんだよ!」またしても激怒した。


 たかしは啓太の腕をつかみ、カナヘビをつまみ上げた。

「わかった。わかった・・・もう一度、探そう。ナっさんを」

 はあ、はあ、はあっと、啓太は肩で息をしている。


 たかしは、自分のペンケースを取り出して、中の文房具をぶちまけた。「けど、こいつはナっさんの友達になるかも知れねえからな。ここに入れとくぞ」――カナヘビをペンケースの中に入れ、ファスナーを閉め、啓太のランドセルに入れた。


 ひなのはピンときた。昨日シッポが切れたばかりだから、バランスを失っているのかも。

「私達は、あんた達が一生懸命探しているから・・・」と、説明しようとしたら、

「もういいから、余計なこと言うな。帰れ、帰れ、帰れ!」

 たかしに追い払われるように、三人とも教室の外に背中を押されて出された。


「なんで怒られなきゃいけないのよ。ねえ」

 廊下に出されながらも、ひなのは、アンナとあずさに、思わず愚痴った。「なんなのあいつ」と、啓太の態度が特に許せなかった。「バカみたい。帰りましょ」と、三人で廊下を歩き出した矢先だった。


「お前ら、ありがとな」


 たかしのぶっきらぼうな声が聞こえた。

 三人同時に振り返った。両膝に手をついたたかしは、下を向いていた。そのまま床に、ふ~と、ため息を吐き教室に戻った。

「なによ。今さら」と、ひなのは呟いた。


 ふと見ると、あずさが背筋を伸ばして硬直している。目を瞑り、メガネの奥の瞼の下では目玉がグルグルと動いていた。よっぽど驚いたらしい。宇宙人との交信が始まっていた。無理もない。たかしからあんな言葉が出てくるとは。

「あずちゃん、大丈夫?」声を掛けても返事はなかった。

 *

「楢崎・・・」

 と、もう一度、たかしは教室から顔を出した。

「花壇の花。踏んづけたのは俺なんだ。虫を取ってたら、いつの間にか・・・」

「そう・・・」

 アンナは下を向いて返事をした。

「すまなかった。植え替え手伝えなくて・・・リンドウって、綺麗な花だな」

 たかしが教室に戻ろうとすると、アンナが下を向いたまま声を掛けてきた。

「あのね・・・私って、金髪だからブスなの?」

「え?」

「この間、金髪ブスって、はっきり言われたから。里中君に」

 たかしの顔が歪んだ。悩んでいたのか。と今気付いた。


 たかしの家は母子家庭だ。父親はいない。オッカーとオネエ、女二人がいるだけだ。そして、この二人が喧嘩になるといがみ合いが凄まじい。女とは、かくも過激な戦闘民族なのか。と目を覆うこともしばしばある。ゆえに、女子に対して憧憬も幻想も抱いていない。まだ、思春期前の男の子だが、女の本性は泥臭いものだと既に知っている。つい、女子に対して横柄になるのは自分でもわかっていた。オネエからはいつも怒られている。


「そんなこと言ったか。ごめん。覚えてないや。俺、バカだから適当なこと言っちゃうんだ。でも、楢崎。自分の顔を鏡でよく見てみろ。お前、誰より綺麗な顔しているぞ。リンドウみたいだ。うちのオネエ、あれで結構モテるみたいだけど、オネエより全然綺麗だよ。まあ、俺の意見だけどな。心配することないと思うぞ」

 素っ気なくそう言って、たかしは教室に戻りながら叫んだ。

「ナっさ~ん。どこだ~」

 *

 ノッポとか、外人とか、気持ち悪いとか、さんざん言われてきた。

 ――綺麗って、私のこと? はじめて言われた。

 下を向いたままのアンナだったが、その顔は見る見ると紅潮していった。


 *   *   *


 啓太は、自分の部屋のベットに寝転がり、天井を見つめていた。

「くそ~・・・ナッさん・・・」

 ごろっと横に寝返って頭を抱えた。


「あっ」となにかを思い出して起き上がり、ランドセルを拾って椅子に座った。ランドセルからペンケースを取り出して机の上に置き、ファスナーを開けると、中から、シッポの切れたカナヘビが出てきた。

「お前、腹減ってんじゃないのか?」

 啓太は机の引き出しの一番下を開けて、タッパとピンセットを取り出した。

「冷蔵庫に入れておくと、オッカーに怒られるんだ。待ってろよ」

 と言って、タッパの蓋を開けようとした。


 その時、カナヘビが啓太の手の上に乗った。――ん?もしかして。――さらに、長袖の袖口からシャツの上をよちよちと登ってきた。――いつものルートだ。――カナヘビは、上へ上へと這い上がり、身をよじって胸ポケットに向かった。――間違いない。

 川田ひなのの顔が咄嗟に浮かんだ。あいつは嘘を言っているんじゃなかった。俺をからかっているんじゃなかった。なのに自分は逆上して、――バカか俺は!

 

 川田。俺、明日必ず、お前に謝らなければいけない。

 ごめん。すまなかった。すいませんでした。どんな言い方でも、どんなやり方でも謝るよ。でも、それだけじゃない。もう一つ言わせてくれ。ーありがとうー


 シッポの切れたカナヘビが、とうとう、胸ポケットに入り込んだ。

 啓太は、目と口を大きく開いたまま、その様子を見守っていた。

 カナヘビは胸ポケットから、


 ヒョコっと顔を出した。


 啓太は、ふ~と、大きく息を吐いて、声を掛けた。

「お帰り・・・ナっさん」

 ナっさんが啓太を見上げていた。


 第4話 終

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