第7章「スラムの橋——見捨てられた者たちへ」
王都には、光と影があった。
城壁の内側は華やかな商業地区。外側は、スラムと呼ばれる貧民街が広がっている。
健太は、そのスラムにいた。
理由は単純だ。「現場監理」のスキルが、最も多くの警告を発したのが、この地区だったからだ。
スラムの建物は、どれも酷い状態だった。傾いた家屋。崩れかけた壁。腐った木材。王都の華やかさとは対照的に、ここには絶望が漂っていた。
そして——橋があった。
スラムを二分する川に架かる、古い木造の橋。それが、完全に限界を超えていた。
「こりゃあ……」
健太は橋の下に潜り込み、構造を確認した。支柱は腐り、梁は割れ、床板はところどころ抜け落ちている。よくこれで人が渡れるものだと思った。
だが、渡らなければならないのだ。この橋が、スラムの住民たちにとって唯一の移動手段だから。
「おい、あんた。何やってんだ」
声をかけられた。振り返ると、痩せた男が立っていた。警戒の目だ。
「橋を見てる」
「見てどうする。直せるのか」
「直せる」
男の目が変わった。嘲笑だ。
「無理だね。この橋は、もう何年もこのままだ。誰も直そうとしない。貴族どもは、俺たちのことなんか気にしちゃいねえ」
「だろうな。だから、俺が直す」
「……は?」
「俺は職人だ。建物を直すのが仕事だ。この橋を直すのに、誰の許可もいらねえだろ」
男は呆気にとられた顔をした。
「あんた……正気か」
「正気だ。ただし、一人じゃ無理だ。手伝ってくれる奴はいるか」
男は黙り込んだ。しばらくして、周囲を見回した。いつの間にか、人だかりができていた。スラムの住民たちが、健太と男のやり取りを見ていたのだ。
「……材料は、どうすんだ」
「廃材を集める。使えるものは何でも使う」
「金は」
「いらねえ。ただし、飯は食わせてくれ」
男は健太の顔をじっと見つめた。
「……あんた、変わってるな」
「よく言われる」
翌日から、橋の補修が始まった。
最初は、健太一人だった。廃材を集め、使えるものを選り分け、支柱を交換する。地道な作業だ。
だが、二日目から、人が増え始めた。
最初は子供たちだった。物珍しそうに見ていた彼らが、いつの間にか手伝い始めた。材料を運んだり、工具を渡したり。
三日目には、大人も加わった。最初に声をかけてきた痩せた男——名前はトムというらしい——が、仲間を連れてきた。
「俺たちも手伝う。何をすればいい」
健太は彼らに指示を出した。
「この板を、ここに打ちつけろ。釘は三本、均等に」
「この支柱を、垂直に立てろ。ズレたら意味がねえ」
「焦るな。急いで雑な仕事をするより、ゆっくり確実にやれ」
スラムの住民たちは、最初は戸惑っていた。だが、健太の指示に従って作業を進めるうちに、何かが変わり始めた。
「おい、見ろよ。形になってきたぞ」
「俺たちで、橋を直してるんだ……」
彼らの目に、光が宿り始めた。
一週間後、橋は完成した。
古い廃材を使ったとは思えないほど、しっかりとした橋だった。床板は隙間なく並び、支柱は真っ直ぐに立ち、手すりまでついている。
「すげえ……」
「本当に、直っちまった……」
住民たちが、自分たちで直した橋を見て、呆然としていた。
「おい、皆」
健太が声をかけた。
「この橋は、お前たちの橋だ。俺が直したんじゃねえ。お前たちが直したんだ」
住民たちが顔を見合わせた。
「俺は指示を出しただけだ。実際に手を動かしたのは、お前たちだ。だから、これはお前たちの功績だ」
トムが前に出た。
「ケンタ……あんた、何者だ」
「ただの職人だ。建物を直すのが好きな、ただの職人だ」
「……ただの職人が、こんなことできるかよ」
トムは橋を見上げた。
「俺たちは、ずっと見捨てられてると思ってた。誰も助けてくれない。何も変わらない。そう思ってた」
その目に、涙が滲んでいた。
「だけど、あんたが来て、俺たちの橋を直してくれた。いや、俺たちに直させてくれた。それが……」
言葉が続かなかった。
健太はトムの肩に手を置いた。
「俺は、また来る。この街には、まだ直さなきゃいけないものがたくさんある。その時は、また手伝ってくれ」
「……ああ、もちろんだ」
住民たちが集まってきた。子供も、大人も、老人も。
「ケンタさん、ありがとう」
「また来てくれよ」
「今度は、俺たちの家も見てくれ」
健太は手を振って、スラムを後にした。
背後で、住民たちが橋を渡る音が聞こえた。新しい橋を、自分たちの橋を。
——これが、俺のやり方だ。
健太は思った。
権力者を説得するのは難しい。だが、現場で結果を出せば、人は動く。
まずは一つ。そして、もう一つ。地道に積み重ねていけば、いつか大きな波になる。
それが、職人のやり方だ。
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