第3章「これが異世界の建築……だと?」

村に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。


 小さな村だった。木造の家屋が二十軒ほど。畑があり、家畜がいて、中央には井戸がある。中世ヨーロッパの農村のような風景——とでも言えばいいのか。


 だが、健太の目に映ったのは、そんな牧歌的な景色ではなかった。


「……おいおい、嘘だろ」


 思わず声が漏れた。


 「現場監理」のスキルが、警告を発している。それも、一つや二つではない。村全体が危険信号に包まれているような状態だった。


 あの家屋——梁が腐食している。重みに耐えられない。あの井戸——石組みが崩れかけている。落ちたら這い上がれない。あの納屋——屋根の傾斜がおかしい。大雨が来たら潰れる。


 そして、何よりも——


 村の入り口に架かっている小さな橋。木造のその橋が、明らかに限界を超えていた。


「あれを渡ってんのか……」


 橋の下を流れる川は、さほど大きくない。だが、深さはある。大人でも溺れかねない水量だ。そこに架かる橋が、今にも崩れそうなのだ。


 健太は橋に近づき、構造を確認した。支柱が三本。そのうち一本は、もう完全に朽ちている。残り二本も、いつ折れてもおかしくない状態だ。


「おい、あんた。旅の人か」


 声をかけられた。振り返ると、壮年の男が立っていた。農夫のような身なりをしている。


「ああ、まあ……そうだ」


「この村に何か用か」


「いや、特に用ってわけじゃねえんだが……」


 健太は橋を指差した。


「この橋、危ねえぞ。今にも崩れそうだ」


 農夫は怪訝な顔をした。


「橋? 何年も使ってるが、別に問題なんてないぞ」


「いや、あるって。支柱を見ろ。一本は完全にダメになってるし、残りも——」


「あんた、旅の人だろう。この村のことを何も知らないくせに、偉そうなことを言うな」


 農夫の声が険しくなった。健太は口を噤んだ。確かに、突然現れた余所者が村の設備に文句をつけてきたら、気分が悪いだろう。


「……悪かった。でも、気をつけた方がいい。特に子供は渡らせない方がいい」


「余計なお世話だ」


 農夫は不機嫌そうに去っていった。健太は溜息をついた。


「……まあ、そうなるよな」


 だが、職人の目は誤魔化せない。あの橋は危険だ。それは間違いない。


 村を歩く。どこを見ても、問題だらけだった。傾いた家屋。ひび割れた石壁。腐った木材。この世界の建築技術は、どうなっているのだろうか。いや、技術以前の問題だ。メンテナンスがされていない。補修がされていない。危険な状態が放置されている。


 「現場監理」のスキルが、次々と警告を発する。健太の頭の中は、赤信号だらけだった。


「ここは……現場がなってねえ」


 職人として、見過ごせなかった。


 健太は村の中央に向かった。井戸の周りに人が集まっている。何かを話し合っているようだった。


「——だから、あの古い倉庫を壊して、新しく建て直さないと」


「金がないだろう。それに、職人だっていない」


「このままじゃ、冬を越せないぞ」


 会話を聞いて、健太は状況を把握した。この村は、建物の老朽化に悩んでいるが、それを直す術がないのだ。


 考えるより先に、口が動いていた。


「俺がやろうか」


 村人たちが一斉に振り向いた。見知らぬ男が突然口を挟んできたのだから、当然の反応だろう。


「あんた、誰だ」


「旅の者だ。だが、建物を直すのは得意でな」


「建物を直す? 職人なのか」


「ああ、まあ……そんなところだ」


 村人たちは互いに顔を見合わせた。怪訝そうな目だ。無理もない。


「金はないぞ」


「いらねえよ。ただ、食い物と寝る場所を貸してくれればいい」


「……本気で言っているのか」


「ああ」


 健太は井戸を指差した。


「まずあれだ。石組みが緩んでる。子供が落ちたら大変だ。明日から直させてくれ」


 村人たちの目が変わった。半信半疑だが、どこか期待を含んだ目だ。


 その日から、健太の異世界での「現場仕事」が始まった。


 ◇


 翌朝、健太は早くから動き始めた。


 まず、井戸の補修だ。石組みを一度解体し、基礎を固め直してから組み上げる。村人たちは最初、遠巻きに見ていたが、健太の手際の良さに次第に興味を示すようになった。


「あんた、本当に職人なんだな……」


「言っただろう」


 健太は石を積みながら答えた。


「こういう仕事は、基礎が大事なんだ。見えない部分を手抜きすると、後で必ずツケが回ってくる」


 午後には、井戸の補修が完了した。続いて、傾いた家屋の柱を直す。そして、腐った納屋の梁を交換する。


「この村、木材はどこで調達してるんだ」


「近くの森だ。だが、最近は魔物が出るから、あまり行けなくて……」


「そうか。じゃあ、今ある材料で何とかするしかねえな」


 健太は廃材を見繕い、使えるものを選り分けた。ない物はないで、あるもので工夫する。それが職人だ。


 三日目には、村の入り口の橋に取り掛かった。


「おい、旅の人。その橋は後回しでいいぞ。まだ使えるんだから」


 村人の一人がそう言った。さっき健太に文句を言った農夫だ。


「使えねえよ」


 健太は橋の下に潜り込み、支柱を叩いた。ゴン、と鈍い音がする。


「聞こえたか。この音。中が空洞になってんだ。腐ってる。いつ折れてもおかしくねえ」


 農夫は黙り込んだ。


「俺が言いたいのはな」


 健太は橋から出てきて、農夫の顔を見た。


「『今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫』ってのは、現場では通用しねえってことだ。事故は、油断した時に起きる」


 農夫は何も言わなかった。だが、その目には、何かを理解したような色があった。


 その夜、嵐が来た。


 激しい雨と風が村を襲った。雷鳴が轟き、稲光が空を切り裂いた。


 健太は村人たちと一緒に、避難所代わりの集会所にいた。外は大荒れだ。木々が揺れ、何かが飛ばされる音がする。


 そして——


 轟音が響いた。


 何かが崩れる音。村人たちの顔が強張る。


「何だ、今の——」


「橋だ!」


 誰かが叫んだ。


 嵐が去った後、村人たちは橋を見に行った。そこには、無残に崩れ落ちた木材の残骸があった。健太が補修を始める前に壊れていた、もう一つの古い橋だ。


「もし、あっちを先に直していたら……」


「いや、あの旅の人が直した橋は……」


 村人たちの視線が、健太が補修した入り口の橋に向いた。


 その橋は、嵐に耐えていた。びくともせず、しっかりと両岸を繋いでいる。


「……すげえ」


「本物だ。あの人、本物の職人だ」


 村人たちが健太を見る目が変わった。


「旅の人……いや、あんた、名前は何ていうんだ」


「高倉健太だ」


「ケンタ? 変わった名前だな」


「そうか? 俺の世界じゃ普通だぞ」


 村人たちは意味が分からないという顔をしたが、それ以上追及はしなかった。


「ケンタさん。あんた、しばらくこの村にいてくれないか。直してほしいところが、まだたくさんあるんだ」


 健太は村人たちの顔を見回した。さっきまで疑いの目を向けていた人々が、今は期待と尊敬の目で自分を見ている。


「……ああ、いいぜ」


 健太は頷いた。


「俺にできることなら、何でもやる」


 この世界の「現場」は、想像以上に荒れていた。だが、それは同時に、自分の力が必要とされているということでもある。


 ——これが、俺の新しい現場か。


 健太は空を見上げた。嵐が去り、星が輝いている。見たことのない星座だ。だが、不思議と不安はなかった。


 現場がある限り、職人は働く。それだけのことだ。

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