第2章「女神の依頼——異世界の『現場』へ」
目を開けると、そこは白い空間だった。
上も下もない。左も右もない。ただ、果てしなく広がる純白の世界。健太は自分が立っているのか浮いているのか、それすらも分からなかった。
「——お目覚めになりましたか」
声が響いた。若い女の声だ。だが、どこか人間離れした透明感がある。
健太が振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。
銀色の長い髪。深い蒼の瞳。白いローブを纏った姿は神秘的で、どこか現実感がない。年齢は二十代に見えるが、その瞳には途方もない時間の重みが宿っているようにも感じられた。
「あんた、誰だ」
「私はセレスティア。この宇宙の一角を司る神——あなた方の言葉で言えば、女神とでも呼ぶべき存在です」
女神。その言葉を、健太は上手く飲み込めなかった。
「待て。俺は——」
記憶が蘇る。落下。山下を助けて、自分が落ちて——
「死んだのか。俺は」
「はい。あなたの肉体は、地上に落下して命を終えました」
セレスティアは、事実を述べるような淡々とした口調で言った。だが、その目には確かに同情の色があった。
「ですが、あなたの魂はここにあります。それは、私があなたを選んだからです」
「選んだ? 何を言って——」
「高倉健太さん。私はあなたに、お願いがあるのです」
セレスティアは一歩、健太に近づいた。
「私が管理する世界が、今、危機に瀕しています。その世界を救うために——あなたの力が必要なのです」
健太は黙ってセレスティアを見つめた。何を言っているのか、正直よく分からない。だが、この女性——女神が、冗談を言っているようには見えなかった。
「俺の力って何だ。俺はただの鳶職人だ。戦うことも、魔法を使うこともできねえ」
「ええ、存じています」
セレスティアは微笑んだ。
「だからこそ、あなたを選んだのです」
女神は手を差し出した。すると、空中に光る文字が浮かび上がった。それは健太が見たこともない言語だったが、不思議と意味が理解できた。
「私の世界——アルヴェスタには、かつて偉大な文明が存在しました。彼らは高度な技術を持ち、大陸中にその痕跡を残しています。道路、橋、城塞、そして人々が『ダンジョン』と呼ぶ地下構造物」
「ダンジョン……」
「ですが、その文明は千年前に滅び、技術は失われました。今の住人たちは、先人が残した建造物を使い続けているのですが——」
セレスティアの表情が曇った。
「それらは、寿命を迎えつつあります。崩落事故が各地で相次ぎ、多くの命が失われている。そして、その崩壊を加速させようとする存在がいるのです」
「魔王、とかいうやつか」
「ご明察です。魔王ヴォルデモルグ。彼は古代文明の遺産を破壊し、世界を混乱に陥れようとしています」
健太は腕を組んだ。
「話は分かった。で、俺に何をしろって言うんだ。魔王を倒せってか? 悪いが、俺にはそんな力は——」
「いいえ」
セレスティアは首を横に振った。
「勇者は別にいます。聖剣に選ばれた、若き戦士が。彼女たちは魔王を討つ力を持っています」
「じゃあ、俺は何のために——」
「あなたには、世界の『現場』を救っていただきたいのです」
現場。その言葉に、健太は耳を疑った。
「崩れゆく建造物を補修し、人々に技術を伝え、この世界のインフラを立て直す。それができるのは、あなただけです」
「俺が……」
健太は自分の手を見た。節くれだった、職人の手。二十年間、鉄と汗にまみれてきた手。
「この手で、異世界を救えってのか」
「はい。あなたの『現場力』が、この世界には必要なのです」
セレスティアは再び手を差し出した。
「転生に際し、私からあなたにスキルを授けます。あなたの経験と知識を最大限に活かせるように」
光がセレスティアの掌から溢れ出し、健太を包んだ。温かい光だ。心地よい。
そして、頭の中に何かが流れ込んできた。情報。知識。そして——感覚。
「これは……」
「『現場監理』。あなたに授けたスキルです」
頭の中で、何かがカチリと噛み合った感覚があった。まるで、二十年間の経験がすべて整理され、いつでも引き出せるようになったような——
「このスキルは、あなたの職人としての能力を拡張したものです。危険を察知し、最適な作業手順を導き出し、構造物の強度を瞬時に解析する。あなたの『目』を、より鋭くするための力です」
健太は目を閉じ、そのスキルを感じてみた。
すると、見えた。この白い空間の「構造」が。見えないはずの境界線が、うっすらと浮かび上がる。そして、どこに負荷がかかっているか、どこが弱点か——それが手に取るように分かる。
「……すげえな、これは」
思わず声が漏れた。
「これなら、どんな建物でも——」
「ええ。ですが、忘れないでください」
セレスティアの声が、少し厳しくなった。
「このスキルは、あなたを無敵にするものではありません。戦闘においては、あなたは一般人と変わらない。あなたの力は、剣を振るうためのものではないのです」
「分かってる」
健太は頷いた。
「俺は職人だ。戦いは専門外だ。その辺は、勇者様に任せるよ」
セレスティアは満足げに微笑んだ。
「それでは、あなたを送り出しましょう。アルヴェスタへ——あなたの新たな『現場』へ」
光が強くなる。健太の身体が、その光に溶けていくような感覚。
「待ってくれ。一つ聞きたいことがある」
「何でしょう」
「山下——俺が助けようとした若いやつ。あいつは無事か」
セレスティアは一瞬驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
「はい。彼は無事です。あなたのおかげで」
「……そうか」
健太の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「なら、いい。——行くか」
光が、健太を包み込んだ。
意識が遠のく前、最後にセレスティアの声が聞こえた。
「健太さん。どうか、あの世界を——お願いします」
◇
草の匂いがした。
それが、健太が最初に感じたことだった。都会では嗅ぐことのできない、青々とした生命の匂い。鼻腔を満たすその香りに、健太はゆっくりと目を開けた。
空が見えた。雲一つない、透き通った青空。だが、その青さは東京で見ていたものとは違う。もっと深く、もっと澄んでいる。
身体を起こす。見渡す限りの草原が広がっている。遠くには山が見え、木々が風に揺れている。
「ここが……異世界か」
自分の声を出して、健太は驚いた。声が若い。いや、声だけではない。身体全体が軽い。関節の痛みがない。四十二年間積み重ねてきた疲労が、すべてリセットされたような——
自分の手を見る。若い。皺が減り、筋肉が張っている。二十代の頃の手だ。
「若返ってんのか、俺……」
立ち上がり、身体を動かしてみる。軽い。動きやすい。まるで二十年前の身体に戻ったような感覚だ。
だが、健太は分かっていた。身体は若返っても、中身は変わらない。四十二年分の経験と、二十年分の現場の知恵。それは消えていない。
むしろ——
「現場監理」のスキルを起動してみる。すると、視界が変わった。草原の地形が、まるで図面を見るように把握できる。風向き、地面の傾斜、遠くの木々の配置。すべてが「情報」として流れ込んでくる。
「……便利だな、これは」
健太は草原を歩き始めた。どこに行けばいいのか分からないが、立ち止まっていても仕方がない。現場で培った直感が、ある方向を指し示していた。
人の気配。煙の匂い。
——あっちに、村がある。
健太は歩き出した。
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