いきをする

αβーアルファベーター

いきをする

◇◆◇


誰かが生きるのは、

その誰かの大切な人が生きるためだ。


朝の駅で、誰かは深く息を吸う。

満員電車の中、息苦しさに顔を歪めながらも、呼吸を止めない。


――家で待つ人がいる。

――帰りを信じている人がいる。


それだけで、人は今日を生きられる。


誰かは働く。

誰かは耐える。

誰かは謝り、頭を下げ、心をすり減らす。


それでも息をする。

生きることをやめない。


「生きてさえいれば、誰かを守れる」


それが、誰かの信条だった。


夜。

誰かは古いアパートに帰る。

明かりはひとつだけ。

狭い部屋の中には、写真立てが並んでいる。


笑っている母。

眠そうな弟。

誰かの大切な人たちだ。


「今日も、ちゃんと生きたよ」


誰かは写真にそう呟き、息を吐く。

生きている証のように。


――この人たちを生かすためなら、

――自分はどんな息だって、吸ってみせる。


その夜、誰かは外へ出る。

月は出ていない。

静かな郊外の道を、誰かは車で走る。


後部座席には、黒いシートが敷かれている。


誰かは考える。

「これは、必要なことだ」と。


誰かが生きるのは、

その誰かの大切な人が生きるため。


そのために、

“邪魔なもの”を片付けるだけだ。


人気のない場所に車を停める。

重たい荷物を、無言で引きずる。


顔は見ない。

名前も考えない。


考えてしまえば、息が乱れるから。


誰かは穴を掘る。

淡々と、息を整えながら。


「必死に生きてるんだ。みんな」


そう言い聞かせるように呟いて、

誰かはそれを埋める。


土を被せ、痕跡を消し、

何事もなかったかのように立ち去る。


帰り道、誰かは深呼吸をする。


――今日も、生きた。

――大切な人のために。


アパートに戻り、手を洗い、

写真立ての前に座る。


「明日も、ちゃんと息をするよ」


そう微笑む、誰かの背後で、

テレビのニュースが静かに流れていた。


「連続死体遺棄事件の捜査は難航しています。 犯人はいまだ――」


誰かは音量を下げる。

息が乱れないように。


そして今日も、

“いきをする誰か”は、生き続ける。


大切な人を生かすために。

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