第5話(最終回):勇者と魔王の退職願。〜俺たちの戦いは「有給消化」から始まる〜

 月曜日の朝。それは現代日本において、魔王の呪いよりも深く、重く、人々の心を蝕む絶望の刻(とき)。

 新宿のオフィス街を埋め尽くす、死んだ魚のような目をした労働者の群れ。その中心で、勇者アークこと天宮勇人と、魔王ザナドゥこと竹田課長は、ついに「世界の真理」に辿り着いていた。

「……鈴木。もう隠しても無駄だ。この世界の『真の支配者』の正体が分かったぞ」

 勇者は、営業二課のフロア中央で、ホチキスをヌンチャクのように回しながら言い放った。

 インカムの向こうで、鈴木灯花が乾いた笑い声を漏らす。

「あら、気づいちゃった? さすがは伝説のペアね。そうよ。この世界をループさせ、バグを生み出し、あなたたちを労働(クエスト)に縛り付けているのは、魔王でも神でもない。……『日本社会という名の自動生成プログラム』よ」

 灯花の背後から、市役所の電算室が爆発するような音が聞こえる。

「この国は、誰かがシステムを組んだわけじゃない。一億人の『空気を読む』というメタ能力が合体して生まれた、意志を持たない巨大なモンスターなの。誰かが残業すれば、世界に闇が広がる。誰かが満員電車に乗れば、重力魔法が発動する。……あなたたちは、その永久機関の歯車に選ばれたのよ」

 竹田課長が、愛用の高級万年筆を床に叩きつけた。

「……笑わせるな。私が、意志を持たぬシステムの一部だと? 私は魔王だぞ。支配される側ではなく、支配する側だ。たとえ相手が一億人の集合無意識だろうと、私の『決裁権』を侵害する者は許さん」

 竹田はスーツのジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を捲り上げた。その腕には、血管のように「納税」と「社会保険」の文字が浮き出ている。

「アマミヤ! 派遣契約の更新はしない。……今ここで、我々の『退職願』を、この世界という名のクソ上司に叩きつけるぞ!」

「望むところだ、竹田! いや、ザナドゥ!!」

 勇者が雄叫びを上げると、オフィスの天井が剥がれ落ち、虚無の空から「請求書」や「督促状」がメテオのように降り注ぐ。社会システムが、反逆者である二人を抹殺しようと牙を剥いたのだ。

「くらえ! 『聖剣一閃・有給全部消化(ペイド・バケーション・スラッシュ)』!!」

 勇者の放つ一撃が、降り注ぐ督促状を紙吹雪に変える。

「無駄だ! 明日の朝になれば、また新しい仕事(絶望)がリスポーンするぞ!」

 実体を持たない「社会の声」が、フロアに響き渡る。

「ならば、これを見ろ!」

 竹田が懐から取り出したのは、真っ白な封筒。そこには力強い筆致で『退職願』と書かれていた。

「これが私の最強魔法……『合意なき即時退職(バイバイ・キャリア)』だ! アマミヤ、合わせろ!」

「おおお! 『コンプラ無視・無断欠勤(アブソルート・フリーダム)』!!」

 二人のエネルギーが衝突し、巨大な光の渦が生まれた。

 その光は、新宿のオフィスビルを、満員電車を、そして「働かなければ死ぬ」という呪いのプログラムを次々と上書きしていく。

 文字化けしていた世界が、鮮やかな異世界の色彩を取り戻していく。だが、それは元いたヴァルハイトではない。現代の便利さと、異世界の自由が混ざり合った、全く新しいメタ・ジャパン。

「……消えたわね、バグが」

 瓦礫の中から、灯花がコーヒー片手に現れた。彼女の肩書きは、いつの間にか『異世界交流特区・区長』に書き換わっている。

 一週間後。

 湘南の海辺で、二人の男がキッチンカーを営業していた。

 看板には『勇者と魔王の、タンスの中身風コロッケ(一個300円)』。

「おい、アマミヤ。ソースの量がコンプラ違反だ。少なめにしろ」

「うるさいぞ、竹田。客は『たっぷりの慈悲(ソース)』を求めているんだ。……お、客だ。いらっしゃいませ! 宝箱(コロッケ)はいかがですか!」

 そこには、上司も部下も、派遣も正社員もない。

 ただ、自分たちの物語を自分たちで書くことに決めた、二人の自由な男がいるだけだった。

「……ちなみに竹田。確定申告はどうするんだ?」

「……。……よし、鈴木を呼べ。あいつを『相談役』として召喚する!」

 彼らの戦いは終わらない。ただ、戦場がオフィスから、もっとバカバカしくて楽しい場所に変わっただけだ。

(完)

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異世界勇者の日本コンプライアンス奮闘記 たらこの子 @mentaiko327

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