第4話:派遣勇者と、黒鉄の竹田課長。〜非正規雇用にボーナスなし〜
西新宿の空を切り裂くようにそびえ立つ、ガラス張りの摩天楼。その三十階に位置する「株式会社・黒鉄システムズ」のフロアに、天宮勇人は震える足で立っていた。
彼が纏っているのは、青いストライプのコンビニ制服ではない。量販店で二着セール九千八百円だった、微妙に肩幅の合わないリクルートスーツだ。
「……鈴木。もう一度だけ聞く。なぜ私は、あいつの靴を舐めるような真似をせねばならんのだ」
耳に仕込んだ超小型インカムから、鈴木灯花の冷徹な声が響く。
「いい? 天宮君。ゴルフ場の備品損壊、あれの賠償金はあなたのローソン給与三ヶ月分よ。でも、この黒鉄システムズの派遣案件を完遂すれば、特例で市役所が肩代わりしてあげる。……あ、それと、これは『潜入調査』でもあるから。いいからさっさと営業二課に行きなさい」
勇者は重い扉を開けた。
フロアは、カタカタというキーボードの打鍵音と、電話のベルが重なり合う戦場だった。その最奥、窓際のデスクに「課長 竹田」というプレートを掲げ、椅子に深く腰掛けている男がいた。
かつて漆黒の鎧を纏い、冥府の炎を操った男。魔王ザナドゥ――現在は、竹田。
「……遅いぞ、派遣。三分だ。三分の遅刻は、現代のビジネスシーンでは『魔王軍の総攻撃』に等しい大罪だぞ」
竹田は顔を上げず、マルチモニターに向かって猛烈な勢いでExcelを操作していた。その指先は、かつて破壊の呪文を紡いだものとは思えないほど繊細に、セルの結合を解除し、マクロを組んでいる。
「貴様……竹田と言ったか。そのナリは何だ。角はどうした。その忌々しいネクタイは、呪いの装備か何かか?」
勇者が詰め寄るが、竹田は鼻で笑った。
「角など、入社式の日に『コンプラ違反だ』と言われて切り落とした。いいか、アマミヤ。この世界での支配とは、恐怖で民を縛ることではない。……『数字』で黙らせることだ。私が今この指一本動かすだけで、数百人のエンジニアのボーナスが消え、株価が変動する。これこそが、私が求めていた真の権力だ」
竹田は、勇者の目の前に一束の分厚い資料を叩きつけた。
「お前の仕事だ。この千枚の企画書をホチキスで留め、さらにPDF化して、弊社の共有サーバー(クラウド)にアップロードしろ。定時までにだ。一分でも過ぎれば、お前の時給は八百円に減額申請する」
「な……千枚だと!? 私は魔王を倒した勇者だぞ! こんな、紙に金属の針を打ち込むだけの単純作業をさせるために呼んだのか!」
「そうだ。派遣とは、そういう『物語の端役』を担うためのシステムだ。不満があるなら、この世界でレベルを上げてから言うんだな」
勇者は屈辱に震えながら、デスクの隅に陣取った。
バチン、バチンと、ホチキスを留める音が虚しくフロアに響く。
(……おのれ、竹田。かつては一対一の決闘で雌雄を決した仲。それが今や、上司と非正規雇用。この世界のヒエラルキーは、魔王城の階層構造よりも残酷だ……!)
だが、その時。
フロアの空気が凍りついた。
カチ、カチカチカチ。
勇者の持つホチキスの音が、奇妙なエコーを伴って反響し始める。
周囲の社員たちの姿が、突如としてスモークガラス越しのようにボヤけ、デスクやPCが「0」と「1」の羅列――バイナリデータへと崩壊し始めたのだ。
「竹田! 異常事態だ! この空間のテクスチャが剥がれている!」
勇者が叫ぶ。竹田は眉をひそめ、自分のモニターを見た。
「……チッ。また『バグ』か。誰だ、物語の整合性を無視して強制パッチを当てているのは……」
フロアの中央に、巨大な黒い影が現れた。それは、数千枚の紙資料と、絡まり合ったLANケーブルが寄り集まったような醜悪な怪物。
怪物の頭上には、赤文字で【物語の修正者(エディター)】というメタなネームプレートが浮かんでいる。
「アマミヤ! ぼさっとするな、迎撃しろ!」
「分かっている! ……む、体が動かん!? なぜだ、鈴木!」
勇者が叫ぶと、インカムから灯花の焦った声が返ってきた。
「ごめん、天宮君! あなたの今の身分は『派遣社員』だから、営業フロアでの『戦闘行動(コマンド)』に権限制限がかかってるの! 今、承認ワークフローを回してるけど、部長と役員の判子が必要で……!」
「判子だと!? 敵が目の前にいるのに、承認待ちで殺されるというのか!」
怪物のLANケーブルが、触手のように勇者を縛り上げる。
「やれやれ……。やはり勇者は、組織というものが分かっていない」
竹田が立ち上がった。彼は胸ポケットから、銀色に輝く社章を取り出し、それを指先で弾いた。
「アマミヤ。お前を『臨時特別プロジェクトリーダー』に任命する。これは私の課長裁量だ。……今、システム上の権限(パーミッション)を全開放したぞ!」
瞬間、勇者の全身に力が戻った。
彼の手にある安物のホチキスが、聖なる輝きを放ち、一本の長大な剣へと姿を変える。……いや、それは剣ではなく、巨大な「ホチキス型のハルバード」だった。
「行くぞ、竹田課長! 貴様の指示は受けたくないが、このバグは腹に据えかねる!」
「ふん。いいだろう、派遣社員。……くらえ! 『納期厳守・暗黒納品(ブラック・デリバリー)』!!」
竹田が放った魔力の奔流が、怪物の動きを停滞させる。それは「物理的な時間の遅延(処理落ち)」を誘発する魔法だった。
その隙を突き、勇者が跳躍する。
「これが! 日本の! 派遣の怒りだああああ!! 『全ページ・一括製本(フル・スタック・バースト)』!!」
勇者のハルバードが、怪物の核である「エラーログ」を真っ二つに叩き割った。
光と共に怪物は霧散し、フロアは何事もなかったかのように元の忙しいオフィスに戻った。社員たちは、何が起きたかも気づかずにキーボードを叩き続けている。
勇者は膝をつき、肩で息をしていた。手元には、元の安っぽいホチキスが転がっている。
「……助かったぞ、竹田。だが、これで借りを返したと思うなよ」
「勘違いするな、アマミヤ。私はただ、自分のフロアの資産価値が下がるのを防いだだけだ。……それより、ホチキス留めが終わっていないぞ。一分でも遅れたら、今日の残業代は一ゴールドも出さん」
竹田は冷たく言い放ち、再びExcelの世界へと没入していった。
勇者は拳を握りしめ、天井を見上げた。
魔王との再会、バグの出現、そして絶対的な上下関係。
この物語を裏で操り、自分たちを現代日本の歯車として弄んでいる「黒幕」の気配が、すぐそこまで迫っているのを感じていた。
「待っていろ……。次の『定時』が、貴様の最後だ」
勇者の戦いは、ついに最終決戦へと突入する。
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