第2話:レベル1の接客業。〜「お客様は神様」という名の邪神〜

世田谷区、環七沿いのローソン。

 深夜二時、自動ドアが「ピンポーン」と気の抜けた音を立てる。それがこの世界における、戦闘開始のエンカウント音だとアーク――今は天宮勇人――が悟るまでに、そう時間はかからなかった。

「……い、いらっしゃいませ。勇者、アーク……じゃなかった、店員のアマミヤです」

 勇者は引きつった笑顔で、青と白のストライプ柄の聖衣(制服)に身を包んでいた。

 胸元には『研修中』の二文字。かつて魔王軍の軍団長を震え上がらせた「救世主」の称号は、今やこのプラスチックのプレート以下の価値しかない。

「おい、兄ちゃん。温め。これ、温めろっつってんの。聞いてんのか?」

 目の前に、昨晩の残り香のような酒臭さを漂わせた「酔っ払い(種族:人間、レベル4)」が立っていた。カウンターに叩きつけられたのは、半額シールの貼られた幕の内弁当。

「承知した。……だが待て。この『マクノウチ』なる供物、中身に一部冷たい果実(ポテトサラダ)が含まれている。これを加熱すれば、理(ことわり)が崩れるのではないか?」

「あぁん? 理屈はどうでもいいんだよ! 早くチンしろよ、この無能!」

 勇者のこめかみに青筋が浮かぶ。

(無能……だと? 私は聖剣の一振りで山を削り、古代龍を黙らせた男だぞ。それを、このレベル10にも満たない村人が……!)

 右手がつい、腰のあたり――かつて聖剣があった場所――を探る。だがそこにあるのは、予備のレジロール紙と、鈴木灯花から「絶対に割るな」と念を押されたTポイントカードの束だけだ。

「……少々お待ちを。今、聖なる炎(電子レンジ)にて浄化する」

 レンジが『チン』と鳴る。

 勇者は恭しく弁当を差し出した。だが、酔っ払いは中身を確認するなり、汚い声を上げた。

「おい! 袋! 袋入れてねえだろ!」

「……袋(レジ袋)は三円だ。これはこの国の法、あるいは『コンプラ』という名の絶対神が決めたルール。払えぬなら、その腕に抱えて帰るがいい」

「んだとコラぁ! 客に向かってその態度はなんだ! 本部に通報してやるぞ、この野郎!」

 怒号。店内に響き渡るメタな脅し文句。

 勇者は困惑した。異世界ヴァルハイトでは、勇者に暴言を吐く者は「村人A」であってもフラグが折れて物語から消滅するか、魔物に襲われた際に助けてもらえないという暗黙のペナルティがあった。

 だが、この国では違う。理不尽な要求をする者ほど、「お客様」という無敵のバフ(強化魔法)を纏っているのだ。

「落ち着け、アーク」

 バックヤードから、死んだ魚のような目をした店長が出てきて、酔っ払いに深々と頭を下げた。

「申し訳ございません。こいつ、ちょっと……異世界から来たばかりで、教育が届いておらず。袋はサービスしますから、ね?」

 酔っ払いが「ケッ、最初からそうしろよ」と鼻を鳴らして去っていく。

 静寂が戻った店内で、勇者は拳を震わせていた。

「店長……なぜ謝る。非はあやつにある。三円を惜しみ、聖なるルールを無視したのはあやつだ」

「アマミヤ君。この世界にはね、『お客様は神様』っていう呪いがあるんだ。理不尽でも、土下座すれば波風が立たない。それが日本のスキル『忖度(そんたく)』だよ」

「神だと……? あんな、酒に溺れ、レジ袋をせびる神がいるか! ヴァルハイトの邪神でさえ、もう少し威厳があったぞ!」

 勇者は絶望した。

 魔王ザナドゥを倒した時、彼は「これで誰にも膝をつかなくて済む世界が来る」と信じていた。だが、現実は違った。魔王がいなくなった代わりに、一億総神様状態の、クレーマーという名の「名もなき暴君」が跋扈する地獄だったのだ。

 夜明け前。バイトを終えた勇者を待っていたのは、身元引受人の鈴木灯花だった。

 彼女は缶コーヒー(微糖)を勇者に投げ渡す。

「お疲れ。初日で警察呼ばれなかっただけマシね」

「鈴木よ。この国の民は、強大な力(金)を持つ者に平伏すのではない。……『文句を言う権利』を持つ者に平伏すのだな。これは、魔王の恐怖政治より質が悪い」

「メタいこと言わないの。ほら、これ二話目の台本……じゃなくて、業務指示書」

 灯花が差し出したタブレットには、世田谷区の地図と、真っ赤に点滅するアラートが表示されていた。

「勇者にお仕事よ。代々木公園付近に『異常個体』が出現したわ。さっきの酔っ払いより、よっぽど分かりやすい敵」

「ほう……。ようやく私の出番か。聖剣は返してくれるのだろうな?」

「無理。銃刀法違反はまだ解けてないから。代わりにこれ持っていきなさい」

 灯花が渡したのは、市役所の備品である「伸縮式のカラーコーン」と「防犯カラーボール」だった。

「……これで戦えと?」

「いい? 相手は『物語の整合性』を無視して現れた、バグみたいな存在よ。派手にやるとまた警察が来るから、なるべく『酔っ払いの喧嘩』に見えるように処理して」

 勇者はカラーコーンを手に取り、虚空を見つめた。

 世界を救った男が、今、プラスチックのコーンで現代の闇を払おうとしている。

 これは、神話にも叙事詩にも残らない、あまりにもメタで世俗的な戦い。

「行くぞ、鈴木。……ちなみに、この『カラーボール』を敵にぶつけたら、経験値は入るのか?」

「入らないわよ。入るのは、私の『残業代』だけ」

 二人は夜明けの街へと走り出す。

 その背中には、伝説の勇者の面影はなく、ただ「シフトを終えたばかりの疲れたバイト店員」の哀愁だけが漂っていた。

 一方その頃。

 新宿のオフィスビル。魔王ザナドゥは、自分のデスクで狂ったようにキーボードを叩いていた。

「……クソっ! なんだこの『Excel』という魔法陣は! セルの結合を解いただけで、全ての数式が崩壊するだと!? これこそが禁忌の古代魔法か……!」

 魔王もまた、別のベクトルの「現代の不条理」と死闘を繰り広げていた。

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