異世界勇者の日本コンプライアンス奮闘記
たらこの子
第1話:聖剣の代わりに手錠を。~伝説の勇者、コンプラの壁に散る~
かつて、ヴァルハイトという異世界があった。
そこでは魔王が跋扈し、人々は絶望の淵にあった。だが一人の若者が立ち上がった。彼の名はアーク・ブレイバー。神に選ばれし聖剣を手に、数多のダンジョンを攻略し、ついに魔王の首を撥ねた伝説の勇者である。
そんな彼が、魔王の死の間際に放った「道連れ
「……ここが、魔王が最後に遺した『地獄の門(東京)』か」
アスファルトが熱を放つ、真昼の世田谷区。アーク――現在の戸籍名、天宮勇人は、Tシャツにジーンズという「初期装備」姿で立ち尽くしていた。
彼は焦っていた。魔王の呪いによって全ステータスが初期化され、懐には一ゴールドすら入っていない。
「くっ、これでは宿屋にも泊まれん。まずは情報収集と、冒険の軍資金だ」
勇者は歩き出す。彼にとっての『常識』に従って。
目の前に、立派な瓦屋根の家があった。門には「佐藤」というプレート。
「ふむ、ここが最初の街の拠点か。佐藤家か、名は聞いたことがないが。失礼するぞ」
勇者は当然のように門を乗り越え、施錠された窓を「解錠(物理)」の拳で叩き割った。
ガラガラ、という景気のいい音とともにリビングへ侵入する。
「おのれ、鍵がかかっているとは。佐藤とやらは相当な警戒心だな」
彼は迷わず居間のタンスを開けた。中から出てきたのは、丁寧に畳まれたユニクロのポロシャツと、ブランド物の小銭入れだ。
「おお! 幸先がいい。宝箱を見つけたぞ!」
小銭入れを開けると、五百円玉が三枚入っていた。
「なんだこの銀色のメダルは……。経験値か? まあいい、軍資金として徴収させてもらおう。そして、この家の中に隠されているはずの聖剣、あるいは壺を……」
彼が床の間の高級そうな壺を「何か入っているかもしれない」と手に取り、いつもの癖で床に叩きつけようとした、その時だった。
「ひゃあああああああ! ど、泥棒! 泥棒よ!!」
背後から、エプロン姿の女性が絶叫した。この家の家主、佐藤さん(主婦)である。
勇人は爽やかな笑顔で振り返った。
「案ずるな、市民よ! 私は勇者アーク。魔王の追手から君たちを守る……」
「警察! 警察呼んで! 誰かあああ!」
数分後。
勇者の周りを、白バイとパトカーが囲んだ。
「……身元不明、住居侵入、器物損壊。それから盗った財布がポケットにあるね。現行犯だ」
サングラスをかけたベテラン風の警察官が、勇者の腕をひねり上げた。
「待て! 何をする! 私は勇者だぞ!? 街の者の家を捜索し、アイテムを回収するのは正当な権利だ! 世界の理だろうが!」
「
勇者が背負っていた自作の「ゴミ捨て場から拾った鉄板を研いだもの」が、凶器として押収された。
連行されたのは、世田谷署の取調室。
カツ丼が出る……なんてことはなく、目の前には一人の疲れ果てた女性が座っていた。
スーツを着た彼女は、市役所の『特異事象対策室』――通称、メタバスターズの職員、鈴木灯花。
「……あー、天宮勇人さん。本名アークさん。えーと。あなたの言いたいことは分かりますよ? 『自分の世界では、人の家のタンスを開けて中身を奪うのはコミュニケーションの一環だった』って。そう言いたいんですよね?」
勇人は、カチャリと音を立てる手錠を見つめながら、毅然と言い放った。
「当然だ。勇者の権能は、全住民が承知しているはず。そもそも、家の中にタンスがあれば、それは開けられるために存在しているのだ。壺があれば割られるためにある! それがRPG……じゃなかった、冒険というものだ!」
灯花は深く、深いため息をつき、一枚の書類を突きつけた。
「いいですか。ここは日本です。まず、『私有財産』という概念があります。他人の家に入るには『同意』が必要です。勝手に入ると『住居侵入罪』。タンスを開けて物を盗ると『窃盗罪』。壺を割ると『器物損壊罪』。全部合わせて、あなたは今、勇者じゃなくて『ただの犯罪者』なんです」
「なんだと……。では、この世界の民は、どうやって勇者に協力するのだ!? 薬草の一枚も、
「普通にドラッグストアで買ってください。それと、今の行為をネットに上げられたら一発で炎上ですよ。あなたの『勇者レベル』とやらは知りませんが、日本の『社会的抹殺レベル』はMAXですからね」
勇人は絶句した。
魔王の強力な魔法に耐えた彼の精神が、今、「コンプライアンス」という未知の概念によってボロボロに崩れ去っていく。
「……では、私はどうすればいい。装備もない、金もない、宿もない。このままでは道端の雑魚敵に……」
「安心してください。今の日本では、いきなり襲ってくるスライムはいません。ただ、働かないと死ぬという呪い(税金・家賃)はあります」
灯花は、勇者の目の前に一冊のパンフレットを置いた。
そこには、近所のコンビニ『ローソン』の求人票が貼ってあった。
「あなたの身元は、特例でうちの課が預かります。その代わり、明日からここでバイトしてください。接客です。いいですか、お客様の家のタンスは開けない。ましてや壺は絶対に割らない。……あ、でも、不審な魔物が出た時だけは、特別公務員として現場に向かってもらいますから」
「……コンビニ? 私は魔王を倒した男だぞ。レジという名の聖域を守れというのか」
「時給千二百円です」
「……やる」
伝説の勇者アーク。現代日本における彼の最初のクエストは、「唐揚げクンを時間通りに揚げること」に決定した。
その頃、都内某所のIT企業。
「えー、新入社員の竹田(元魔王ザナドゥ)です。前職は……まあ、世界征服とか管理職をやっていました。あ、この名刺、ちょっとフォントがズレてませんか? 修正お願いします」
魔王は魔王で、日本の「ビジネスマナー」という名の別の地獄に順応し始めていた。
二人の運命が再び交差する時、それは「定時後の残業」か、あるいは「賞味期限切れの廃棄弁当」をめぐる戦いとなるだろう
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